3 ゼミナールの紹 

(法人化に伴う雑務増加のためしばらく更新を停止。05326→2008年5月下旬、更新再開。)

(2008515日、大学評価室長の任務が終わりました。 (^o^))

1:ゼミで何を研究するか

2:ゼミ生紹介

3:ゼミ連絡 (卒論の勉強の仕方) (卒論の清書の仕方)卒論の提出の仕方

 2005卒論発表会感想一覧

4:ゼミ

ゼミ生との対話から(卒論、授業の感想など)

ゼミでの議論から

1:ゼミで何を研究するか ・・・ この研究室では、社会と経済に関する基本的文献の学習と、それに関連して各自が設定する自由研究、そして卒業論文作成を行っています。基本文献は『社会システムとしての市場経済』です。自由研究・卒論ではこのテキストにある効率性、公正性、慈恵性の三つの要素について、それぞれ関心のあるテーマを設定し研究します。(効率性は経済成長、公正性、慈恵性は成果分配に主に対応します。) (下に詳しい説明あり。) (注:ゼミは、真面目なテーマを十分に話す、考える機会にしたい。多数の人間が参加するゼミ運営の難しさもあり、この「十分に」やった、と振り返るまでになることは簡単ではない。)

 参考資料:2002年度の演習1(2年生用)の授業概要 

                              

授 業 科 目 名

科 目 類 型

単位数

開設期

担 当 教 官

演  習  T

通年

塚田広人

テーマ

経済政策の基本的問題、特に分配ルールのあり方の研究

(現在私たちの住んでいるこの社会は市場経済を基本的仕組みとする社会です。とくにそこでの分配ルールのあり方、枠組みと問題点を考えます。問題:失業がなく、正しい賃金が支払われ、弱者にやさしい社会とは?

研究内容・方法

分配ルールの問題は、大別すると、自然資源の分け方と労働成果の分け方の二つの問題からなっています。 

  @自然資源とは、「私たちが生きていく上で、自らが作り出したものではないもので、生産のために利用できるもの」であり、たとえば土地、また生得の知的・肉体的能力、などです。これらをどう分けるべきかを、土地分配の問題、教育費負担の問題などの場面において考えます。

  A労働成果の分け方の第一の問題では、市場社会で作り出される生産物をたとえば企業家と被雇者(雇われている人)との間でどう分けるか、また、そのときの基準となる貢献度をどう測るか、という問題を考えます。

  B労働成果の分け方の第二の問題では、働けない人、弱者に生産物をどう分けるかという問題を考えます。これはしばしば福祉という言葉で扱われています。私はこれを慈恵性の問題と呼んでいます。具体的には、社会保障の水準と負担の問題がそれにあたります。

  こうした分配のルールが、いわば社会の基本的枠組みであり、市場における競争行動はその中で行われるべきである、しかし、この枠組みはまだ十分完成したものではないので、いまだ、長期にわたって改善のための努力が必要である、というのが私の基本的な研究視点です。

 

1)年度当初、4,5月ごろは上の問題の内容、それに取り組む視点などを説明します。

  2)5,6月ごろから、基本的テキストを読みます(拙著『社会システムとしての市場経済』)。これを2,3ヶ月ほど学習します。(夏ごろ集中ゼミー合宿形態となるであろうーを行います。)

  3)秋から、各自の個別研究に入ります。皆さんが大学に入って一番やりたかったこと、「好きなテーマについて思いっきり勉強すること」が始まります。高校のときは、受験のためにたくさんのテキストをこなすことで時間を使い、「これをもっと勉強したいだけど・・」というテーマは置いてこざるを得なかったことも多かったでしょう。ここからのゼミは、まさにその「したかった勉強をする」時間です。ただ、研究するテーマは、指導上の必要から、私の研究室の基本的テーマに沿ったものとなることが望まれます。(そこには、上の分配ルールの問題を基礎として、経済の円滑な循環の問題・・景気をどう回復させるかなど・・、また、社会の枠組みの不備とその社会病理としての表れの問題・・いじめ、過労死など・・などのテーマも含まれます。)

  この個別研究の前に、論文の書き方、その一部としての資料の集め方などについて説明します。

テキスト及び参考書等

拙著『社会システムとしての市場経済』(成文堂、1998年、文栄堂で販売)

  他の文献は適宜、紹介します。

関連授業科目

経済政策総論(できるだけ、2年生時までに履修しておくことが望ましい。)

成績評価の方法

出席点、レポートの内容・水準、の二つで評価します。(無断欠席は厳禁。)

履修上の注意事項

とくになし。

オフィスアワー,その他メッセージ

会議等で、下の時間がふさがる場合があります。ほぼ毎日研究室にきていますので、質問等のある方は下記の時間以外でもいつでも来訪してください(A棟4階、424号室。)

   水 曜  1  時 30 分 〜  3  時 00  分 

   内 線:5558  E-mailht@yamaguchi-u.ac.jp

 


 

 <今、社会について考えるべき重要問題>

 環境、戦争、経済。これいま私たち考えねばならない三つの重要な問題だろう。

 環境・・・地球温暖化

 戦争・・・パレスチナ紛争(2002年の春、いまや自爆テロとイスラエル軍の殺し合いは正視できぬほどのところまできている。)そしてつい先日まではニューヨーク同時テロ(2001119)と残酷なアフガン戦争(2002)があった。

 経済・・・これも我々日本人を苦しめている。仕事がなく自殺する中高年者。自分の価値を軽く見始めている若者たち。

 

 →参考ページ


卒論作成の方法

 

T 卒論の勉強の仕方                                                                                             

 

1 テーマを選ぶ ・・・(2年の終わり〜3年の春)

  ・全体の構想を練る(仮の目次を作る)

   ↓

  テーマ決定後、

   ↓    

2 関連資料を読む・・・(34)

 1)本

 2)新聞・雑誌・TV・ラジオ・インターネット

 3)インタビュー、アンケート

  

 それをゼミで紹介する 

1)資料の報告 (読んだ本、資料の重要部分を報告する)

   ・資料配付+自分の考え、意見

        一回 A4用紙 1枚〜無制限

   ↓

3 卒論の原稿を作る

    4年夏ごろから〜 (そろそろ集めた資料をもとに原稿を書き始める。)

   ↓

4 清書 (4年秋・冬)

 

目次の例

はじめに(序論)(問題設定。何を問題とするか。各章の位置付け)

第1章

 第2章

 第3章

 第4章

 おわりに (結論、まとめ)(結論)

 注

 参考文献一覧

 あとがき (執筆が終わっての感想など)

  ↓

5 提出 (4年1月中旬)

  ↓

6 発表 (卒論発表会) 4年1月中・下旬。これで終了!)

 

 

U 卒論の清書の仕方

 

○注のつけかた・・・二通りある。どちらでもよい。

 

 まず、文中で、注をつけたい文字の右上に番号をつける→ 「・・・比較 ()・・・」

そして、おわりに、の次のページに注の内容を書く。

(1)参考文献[]の5ページより。

(2)・・・・・・・・・・・・・。

等々。

(なお、注を書く位置は、各章の最後に書く方法も、各ページの下の方に入れる方法もある。)

 引用箇所のみの注は、文中に「・・・・比較(塚田[1]39)・・・」のように入れてもよい。これは、“巻末文献リストの塚田の著書[1]39ページから引用した”、ということを意味する。

 

あまりに注が多い節、章は、その節、章の名前の最初に、「第2節 日本経済 ()  」として、注に、

 (1)この節()は、[1]の○ページから○ページまで(または○○章)の要約である。

と書く。

 

○参考文献の書き方(あいうえお順、またはアルファベット順が原則。これをジャンルごとに行う方法もある。)

 []著者名、書名、出版社、出版年

 ()

 []塚田広人『社会システムとしての市場経済』成文堂、1998年

 []Rawls, John, A Theory of Justice, Belknap Press, 1971

  ・・・

○図表     表1 ・・・     *それで隠れた字数も、字数に数える。

 

              (出所:山田太郎『日本経済統計』○○書店、2003年、××ページより。)

 

 

V 卒論の提出の仕方 (『履修の手引き』2004年度入学者用 3536ページ)

 

1)卒業論文

・黒表紙をつける。(教育売店で販売している。)

・表紙に担当教官名、題目、学籍番号、氏名を明記する(『履修の手引き』とじこみの用紙を使用する。)

・とじ紐で閉じる(縦書きは右とじ、横書きは左とじ)。(下の注を参照。)

2)要旨

・2000字以上。(2000〜2500ぐらいで。)

・白色の厚紙の表紙をつける(これも教育売店で売っている。)

・表紙に担当教官名、題目、学籍番号、氏名を明記する(『履修の手引き』とじこみの用紙を使用する。)

・ホッチキス等でとじる。

(3)卒業論文題目届け

・『履修の手引き』とじこみ用紙を使う。

 

(注)

・見本が学務係にあるので、分からないときは見に行くこと。(研究室にもある。)

黒表紙 ↓こんな感じです。

表表紙

 

題名を貼る

 

氏名を貼る

 

裏表紙

題名、氏名の用紙は履修の手引きの巻末にあり。

○1ページ目 目次

○2ページ目 はじめに

○3ページ以降 第1章、・・・

 


:ゼミ生紹介 (過去4年間) (・・・少し更新が遅れています。)
2000年度入ゼミ、2002年度卒業生
2001年度入ゼミ、2003年度卒業(予定)生
2002年度入ゼミ、2004年度卒業(予定)生
2003年度基礎ゼミ生
2001年度入ゼミ・2002年度卒業生  
卒論テーマ
菅邦夫     価格競争
祝卒業!
窪山太朗    IT革命における政府の政策
祝卒業!
塩見景子    国民所得と公正な富の分配
祝卒業!
徳賀幸恵    高齢社会における介護・医療保険改革
祝卒業!
原田健太郎   少年犯罪について
祝卒業!
天野五春    規制緩和
祝卒業!
永安陽一    社会保障は今後どのように進んでいくか
祝卒業!
馬場敬幸    少年犯罪と社会心理
祝卒業!
三宅信行    少年犯罪と社会心理
祝卒業!
宮本尚武    ごみ問題
祝卒業!

皆さん、卒業おめでとう。就職した人も、これからの人も、体に気をつけて、自分の人生をがんばって、楽しんで生きて下さい。

(時々は近況を知らせてください。待ってます。)

2001年度入ゼミ・2003年度卒業生  

卒論テーマ

安部裕見加

創造都市について

池本香織

デポジット制について

岡田佳子

()中国と日本の貿易関係について

岡村誠

雇用の確保と社会の効率性

河原奈央子

株式について

千崎勲

労働に関する諸問題について

中野希望

雇用制度について

中村舞

年金制度と社会福祉

濱村晃司

企業と福祉の関係について

松本郁恵

高齢社会について

棟久淳子

民営化について

三藤大輔

日本の不況について

山口真護

経済と戦争の関係

山根孝明

ごみ問題とリサイクルについて

今井清美

日本とNEEDSASEAN


2002年度入ゼミ・2004年度卒業生 

卒論テーマ

石倉弘子

ワークシェアリング

米 翔太

大田佳樹

不良債権

大戸和哉

企業論

新宅裕子

少子高齢化

佐々木良徳

過労死

竹岡秀記

東アジア・日本企業

前田俊英

年金制度

水田賢治

アニメ産業

吉元貴弘

沖守啓二郎

環境と経済

村上文恵

子供たちが抱える問題

佐伯直紀

ビジネス書

藤井由紀子

企業論

高守史子

医療制度関連法




:ゼミ連絡

 2001・夏

2年ゼミ 合宿の件 (2001夏、メールで送ったもの) 

 皆さんへ  合宿の二番目の課題(国会論戦)について、さっき岡村君から質問がありました。さてこれからという人もいるようなので、やり方をもう一度補足説明しますね。 安部・山根・山口の三人のグループを例にとります。 
1)グループに関わるテーマからキーワードを決める。(この場合国内不況、財政赤字、経済活動のグローバル化への対処、のグループだから、たとえば、「景気回復」「財政赤字」「国際競争力」を選んだとします。 
)これをグループで相談して、初めから分担してひとり一つのキーワードを受け持つか、だれかがまとめてすべて印刷したあと、皆で読み、それからまとめる範囲を分担するか、どちらかに決めます。前者のやり方なら、たとえば景気回復→安部、財政赤字→山根、国際競争力→山口、とするわけです。 
)それぞれ議事録で国会での発言を読んで(この場合、与党だから、自民党、公明党、保守党の議員、大臣の発言のみ、です!)一枚の紙程度に要旨をまとめる(「この党はこういう主張をしている。」) 
)それをコピーして、合宿で配り、ひとり15分で紹介する。 以上です。(まだわからないところは質問して下さい。) 塚田 
(
なお、これだと与党側と野党側が違ったキーワードを選ぶ恐れがあるので、できれば両グループはそれを調整して下さい。間に合わないときは仕方ありません。テーマは共通なので、それほど違ったキーワードとはならないでしょう。)

 2001・11・18 ゼミ大会 質疑応答集

 2001年 2年生 個人研究 (01・11・30)

ねらい 自分で決めたテーマを思う存分勉強すること → 卒論にまとめる

 研究の仕方

 

1 研究テーマを決める (問題形式)

      大体テーマを絞る。

これまでの研究書を読む。(材料集めの第一段階。)

  理解する。残った問題点を見つける。

研究テーマを本当に絞る。       

サーベイ survey

(先駆者に追いつく)

 

 

2 絞ったテーマの材料を集める (第二段階)

3 材料を読む・分析する

4 解答を構成する・考える 

4 書く        問題・・上の1

        考察・・上の4

        解答・・上の4のまとめ

研究

(自分で付け加える)

 

 

 

 

 研究上の注意

 

1について

 

テーマ決定のための材料集めはけっこう大変。まずここをしっかり

     研究書・論文 単行本、大学紀要(『山口経済学雑誌』とか)、月刊・週刊雑誌、新聞

      インターネット上の資料

 

      注意! 使った資料は必ずメモする (使う部分のそばにメモしておく!

           (著者名、書名、発行所、出版年、引用箇所のページ)

 

4について

 

     注意! 使った資料は必ず出典を書く

              (著者名、書名、発行所、出版年、引用箇所のページ)


  200528日 卒論発表会 感想の紹介 

(類似のものは省略しました。)

 

沖守啓二郎 京都メカニズムを生かした環境と経済の両立について

・聞き易く分かりやすかった。

・説明がとても上手だった。

・具体的な説明があり全体的にまとまっていた。

・まとまっていた。

・改善策の具体案が出てきたのは将来につながる。

・アメリカは世界から孤立してどこへ向かいたいのか。

・話のまとめ方を見習いたい。

・インターネットで調べられないようなことも書いて欲しかった。

・関西弁は使わないほうが良い。

 

山根孝明 環境とリサイクル

・わかりやすかった。

・一人一人の心構えの重要性が分かった。

・最後の結論はプリントに載せて欲しかった。

・もっと考察を述べて欲しかった。

 

竹岡秀記 日本による東アジア諸国の経済発展と環境破壊

・少し難しかった。

・一人一人の意識を高めることが必要と感じた。

・図があったのが良かった。

・説明にもっと図を使えばよかった。

・わかりやすかった。

・日本と東アジアの関係の重要性が理解できた。

・時間に対して少し量が多かった。

・事実に基づき中立を保ちながら自分の考えがにじんでいるのには驚いた。

・聞き取りにくいところがあった。

 

大田佳樹 金融構造と金融改革−不良債権とペイオフ解禁−

・わかりやすかった。

・ペイオフ解禁後は普通預金でないほうが良いかと感じた。

・ペイオフのことが良く分かった。

・まとまっていた。

・これからは自己責任であり努力が必要だ。

・金融構造、用語をよく理解できた。

・初歩的な説明は不要。

・論理的だった。

・内容が難しく省略しながらの発表ですぐには理解できない。

 

水田賢治 日本製アニメーションの文化・産業の確立について

・アニメーション、アニメ、ANIMEで意味が違うことが分かった。

・話すペースがちょうど良かった。

・おもしろかった。

・アニメの厳しい背景が分かった。

・アニメの奥深さが分かってきた。

・わかりやすかった。

・初めて知ることが多くとても驚いた。

・情報が多すぎてうまくまとめきれていなかった。

・現在と歴史のつながりが分かった。

・途切れて時々分からなくなる。

・話し方も大人。社会に出ても相手を説得できそう。

・もうすこし経済面を述べて欲しかった。

・経済的分析の難しいテーマだが、よくまとめられていた。

・目からうろこのテーマだったがその分もうすこし分かりやすく説明して欲しかった。

 

佐伯直紀 ビジネス書に見る人間関係の変化()        

・難しいがおもしろかった。

・もっと詳しく聞きたかった。

・話が上手だった。

・言いたいことをうまくまとめれていなかった。

・結局人は親や友人の影響を受けて生きているのかもしれない。

・家族との付き合い、近所との付き合いが減ってきているのを補うのがビジネス書だと言うおもしろい結果だった。

・難しいけど本人もわかっているのでしょうか。

・よく研究されていて、発表は不十分だったけど主張は良く分かった。

・ビジネス書を読んでみたいと思った。

・発表の手順をというものを理解している。

・一番自分の考えが述べられていた。

 

石倉弘子 ワークシェアリングについて                

・具体例があり分かりやすかった。

・まとまっていた。

・米英の現状を知りたかった。

・日本でワークシェアリングを浸透させるのはきついのではと感じた。

・もうすこし企業例が欲しい。

・結論に見解をもっと加えてもらいたい。

・プリントがとても見やすかった。

 

前田俊英 年金改革 将来への課題と展望                             

・図、表による説明がとてもよかった。

・文章がうまくまとめてあった。

・わかりやすかった。

・もうすこしゆっくり話したほうが良い。

・全学返金して新制度を立ち上げるべきではないか。

・これからどう制度転換すべきかが重要になる。

・論理的で高度な部分にも入りやすかった。

                                                                 

新宅裕子 高齢者福祉について 

・とても分かりやすかった。

・おもしろかった。

・医療費増加の重要性が分かった。

・まとまっていた。

・細微な部分まで目が届いていた。

・声が小さいところがあった。・

                      

村上文恵 子ども達の抱える問題について              

・わかりやすかった。

・まとまっていた。

・考えさせられる内容だった。

・おもしろかった。

・将来参考にできる内容だった。

・国として本格的に議論する必要がある。

・少年犯罪は身近な問題なのに大人達は何もしていないのではないか。

・家庭環境は大きい。

・問題と経済の関係が欲しかった。

・理論的に話が進められた。

・身近な問題に取り組む姿勢が伝わった。

・もうすこし自分の意見を入れて欲しかった。

・もうすこしデータや分析を入れると良い。

・各項目の要点を明確にして欲しい。

・子どもって恐い、でも大人の幼児に対する犯罪も恐ろしい。

 

佐々木良徳 過労死・過労自殺について                

・過労死はもっと見直しが必要な大切な問題だと思った。

・わかりやすかった。

・もうすこし説明が欲しかった。

・途中の資料があればもっとよかった。

・少しでも事態が改善されたのは良い。

・経済、環境、治安等を最適にすることで過労死、過労自殺を減らせる。

・どこでも過剰労働はあるだろうが、皆でカバーするか一人で背負い込むかの違いが出る。・専門的な言葉がきちんと抑えてあるのでイメージしやすい。

・過労死恐いです。

・過労死の原因としてのストレス、に納得できない点があった。

・早かった。

・人として一番大切なものを守る必要がある。

 

2008年1月18日 卒論発表会 次第

 


:ゼミの窓

2000年7月31日、明日から夏休み
2000年11月17日、バドミントン大会
2000年12月25日 忘年会
2001年2月24日、新2年生と4年生の顔合わせ

2001年4月29日新歓コンパ
2001年6月1日バドミントン大会
2001年6月29日、第二回バドミントン大会
2001年7月13日、4年生打ち上げ
2001年7月31日、2年生バーベキュー

2001年12月21日 2,4年生合同忘年会

2002年2月7日 卒論発表会

2002年2月21・22日 卒業旅行

2002年5月10日 ゼミ新歓

2003年5月2日 ゼミ新歓(基礎ゼミ、留学生)

2004年2月17・18・19日 卒業旅行

2004年4月8日 フレッシュマンセミナー

2004年7月 バーベキュー

2004年9月 ゼミ合宿

2004年12月 忘年会

2005年2月 卒業旅行

2005年7月 学年対抗スポーツマッチ

2005年11月14日 ゼミ連ソフトボールマッチ

2006年2月13日 卒論発表会

・・・・(20063月から2008515日まで、評価室業務で非常に多忙となり、記録ができず。)

2008年5月16日基礎ゼミ懇親会・花火レク

2008年6月13日 2年ゼミ懇親会

2008121,15日 基礎ゼミ(特別ゼミ+懇親会)

20081217日 4年ゼミ忘年会

2009210日 合同懇親会

200985日 「試験終了・良い夏休みを」パーティー

2011年3月24日 卒業式を終えて

2011621日 基礎ゼミ懇親会

2011年8月5日 1.2年ゼミ親会

2012214日 卒論発表会

2014123日 4年ゼミ新年会


2000・7・31、明日から夏休み
  第二学食前の広場で 台風の余波残る夜 天気が心配だったが何とかもった。よかった。4:30ごろ、三宅、天野、塩見、徳賀さんが集まり、火おこしと買出しに分かれた。丸久から帰るともう火はおき過ぎるほどおきていてまもなく菅君が追加の炭を持ってきてくれるとのこと。

 3,4種類の肉を焼き、野菜を焼き。野菜は包丁なしだったので手でむいてみる。洗ってむく。裂く、ちぎる。結構うまくいった。でも、玉ねぎをむいたときはちょっと指が痛くなった。試験を終えた窪山、原田君も合流。ずらっとコンロの周りに集まりしばし肉を置き野菜を置き裏返しつまむ。久しぶりのバーベキュー。ビールとチューハイ、日本酒を飲みながら。途中で菅、原田、窪山君らに追加の飲み物やつまみを買いに行ってもらった。ご苦労様。

 霧雨が時折降るがあまり気にならない。向こうでは10数人の大所帯がやはり飲み会を始めた。後で工学部の応用科学の学生たちと分かる。肉とビールを交換して欲しいとたずねてきたがもう肉はなし。キャベツを好きなだけ取ってもらった

。 飲み会の常。楽しいことは第一だけど、それプラス何か話も残ると良い。今日はそれを期待して前期の反省を呼びかけた。ややあって結局感想を俳句で表現しようということにした。その中の一句。「台風でしまなみ街道大渋滞。」今日愛媛から帰る道が大変だった学生がいたのだ。

 反省をするって言うのは自分を外から見ること。今まさに「その」渦中にいるみんながそれをするのは実は結構難しいだろう。今皆は社会に入る入り口にいる。どうやって生きていくかそれを探すのにがんばっている。授業や大学、今皆はまさにその「渦中」で単位を取ったり恋愛をしたりクラブに熱中したり忙しいのだ。

 雨が小雨風に変わってきた。さあ、お開き。片づけをして解散。ごみは車に積んだ。酔った後で、少し何か食べたい。大学前の「ここ一番」に行く。食べているとひょっとゼミ生の宮本君がカウンターの中から挨拶した。そうか10時ごろから入るだ。これから遅い時間の勤務なのだ。


2000年11月17日 バドミントン大会
今日はゼミナールの第一回ゼミ杯争奪、バドミントン大会でした。ちょっとひんやりした空気の中、みんなで楽しみました。長い間やっている分まだ若い皆の相手ができました。来年はきっと皆もっと強くなっているでしょう。ただ翌日から体が痛くなりました。・・そして翌週は昼の運動時間に足首を捻挫。皆との時の疲れがたまったのだろうか?つい気がつかないうちにがんばってしまったのかもしれません。
2000年12月25日 忘年会

4月から始まったゼミも、今年は無事修了。皆元気に年越しを迎えることができました。ということで、昨日はそのお祝いの忘年会。お亀茶屋のおいしい料理を食べながらひと時をすごしました。私はクイズを用意しました。(問題を出しては飲み、を繰り返していたら、気がついたらもうお開きの時間。あまり食べられませんでした。それだけが残念!) クイズの中から2,3・・・
・子供のとき、彼はお父さんに宿題をやってと頼み、お父さんは全部やってくれた。翌日学校で答あわせをするとみんな間違っていた。さて、この少年は誰でしょう?ヒント:有名なサッカー選手 (@三浦和義、A名波B中田英寿)
・二酸化炭素は毎年、化石燃料の消費から63億トン、森林伐採から16億トン発生しています。海が23億トン、気が23億トン吸収します。では、毎年何億トンづつ増えていくでしょう?(引き算の問題です。)
・今世紀のヒットチャートランキングで最上位の二人は、ビートルズと、もう一人は誰でしょう? (@ローリングストーンズ、Aサイモントガーファンクル、Bエルビス ・プレスリー)
・大阪教育大の学生アンケートから:学生の読む雑誌の一位は、男子、女子、それぞれ何? 
・では、コミックは?
・日本の軍事支出は世界で何位?(@5位、A10位、B15位)
・日本の兵器の輸入は世界で何位?(@1位、A3位、B10位)
・吉田松蔭の書いた手紙が最近見つかりその中にかかれていた次の言葉は何?(”○○○よりも薬のほう効果ありましたありがとう。”獄中で病気になり薬をもらってよくなりその感謝の手紙。) 
答 中田 33億トン プレスリー 少年マガジン 少年ジャンプ バガボンド 花より男子 5位 3位 大和魂


2001・2・23 新2年生と新4年生の顔合わせ

  がさっき済みました。雨天中止、前日は大雨。今日も曇り空。やや寒し、時折風が吹く。の中、2年生では岡田、今井、松本、中野、山口の5名、4年生は徳賀、塩見、三宅、宮本、窪山の5名が集まりました。簡単な自己紹介と質問、情報交換など。で1時間が過ぎ、ほんの少し陽がさしかけたころ、農場のほうへツアー開始。牛を見たり、ぶどう園(何もなっていない)をみたり、建築中の建物を見たり、犬を見たり。途中から父と息子らしき人も自然に加わり、校内見学ツアーになりました。商品資料館を始めてみた人がほとんど。楽しい昼過ぎの散歩となりました。

2001・4・29 新歓コンパ


   4年の塩見さん菅君に幹事をやってもらう。よい具合にお亀茶屋に大きな部屋が取れたのこと。よかった。
  定刻少し前に行くと店の前には山のような自転車。やはり今日はコンパ日和なのだった。案内される先は以前とは違って店内を過ぎて・・・ホテルの入り口のほうに向かう。あれこんなほうに部屋が・・?と思うと左手にあった!いろいろ小さな人形などの飾り物が壁においてある部屋。特別室という感じの広い部屋。ただちょっと風通しがよかったですね。
  2年生は定刻にほとんどそろう。4年生は就職活動で菅君(幹事をしていた彼です)天野君(スーツを着ていた人です)窪山君(入り口近くに座ったメガネをかけていた大柄な彼です)など少し遅れてくる。企業組みはまだまだ夏までは会社回りが続く。大変な時期である。
  食べるものはたくさんあった。鍋や刺身やいろいろいろいろ。4年生が回りの2年生たちに話をしてくれている。私はクイズを用意していった。心地よく酔いながら菅君に頼んでやってもらっい、青海島入り口で買った貝の詰め合わせから景品を出した。(けっこうきれいだったでしょう?)でも、反応からしてクイズの内容がもう一つだったのか、・・そんな気がする。
  2,3時間たってそろそろお開き。記念写真をとった。個々半年ほどか実はいつもカメラを持ち歩いている。おもにとるのはふしの川か大学の景色だが、こんなときは役に立つ。無事2年生を見送って4年生は二次会に。私も参加。養老の滝でしばらく歓談する。やはり就職のこと面接のことなどが話題の中心になる。 公務員志望の人たちも大変なのは同じ(であろう)。しっかり勉強しているようだ(であろう。)
  *** このような懇親会などを通じて親しくなることはゼミでの討論の役にも立つと思います。同じ言葉でも使う人によって意味は微妙に違うことが多いものです。相手を知ることは討論を深く行うためにも役に立ちます。これからも折に触れていろいろな懇親の場を持ちましょう。 ***

2001・6・1 バドミントン大会


   今日は2年生のバドミントン大会。中野・今井ペア、河原・棟久ペア、千崎・山根ペア、山口・岡本ペア、安部・松本ペア、中村・池本ペア、岡田・濱村ペア(だったと思います)、そして塚田は進行係。(腰を少し痛めていたので本当はちょうどよかったです。)もう6月だけれど天気よし。汗もかいたけれどみんな元気元気。楽しそ〜〜〜うでした。「毎週やりましょう」と濱村君。・・・思わずうなずきたくなりました。

そして・・まもなく第二回目が開催されます!

2001・6月29日 バドミントン大会 

  今日は2年ゼミの第二回バドミントン大会。中野、中村、浜村の三人が世話係。少しプレーすると暑い。蒸す。でも、おもしろい。みんなも、汗をかきながらプレーしている。梅雨の真最中に、よく頑張る。みんなきっと、こんなに暑いとは知らなかったかも。春、秋は良いですが。冬は体育館の中は冷えます。今日はさすがに、経験から学んで、靴を持ってきた人が多い。私は昼に一回練習をし、すでに結構疲れた。でも、4限にみんなともう一度頑張った。棟久さんとのペアでやっぱり全勝した。自分で「上手いよ」と言って来た手前、・・・頑張りました。・・・翌日。右足、腰、太股が痛い。やはり、腰が痛くなってから一ヶ月、ずっとやっていなかったのが響いたようだ。ちょっと急激に頑張りすぎたみたいだ。これからまたしばらくおとなしくしないと。でも、みんな、前よりずっと上手になっていた。ちょっと驚いた。
(左上から、山根・千崎、河原・三藤、濱村・岡田、右上から、濱村・岡田、中村・山口、中野・松本の各ペア。・・全員写したはずだったけれど、何人か漏れてしまいました!

 ベストスリーは、山根、河原、中村の三人。フォアとバックとちゃんと打っている。これからみんなどう伸びるか。楽しみだ。(体育会はラケットを新しくして欲しい。貸し出し用でちゃんと準備してあるはずでは?誰か頼んで下さい。) 皆、疲れただろうと思う。だが、私はもう一つする事があった。ビールを飲むのだ。(この辺の気持ちがよくわかってもらえるには、ビール好きなことが条件であるが・・。)生ビールが、一日、時々、目に浮かんだ。夕方、雨もやんだ。30日まで生ビール一杯百円のおしゃれ茶屋にうきうきと行った。4年の窪山君、2年の千崎、山根君が来てくれた。山根君はバイとがあるので、1時間ぐらい。やはり生ビールは美味かった。5杯も飲んでしまった。途中、酔いに任せて何人かにメールを送った。(驚かせて済みません。)(そういえば、宛先の変わった人のアドレスを、他の人に知らせなければ・・。)

 ところで、翌日、学会が経済学部であった。4,5時間の研究会の後、植村先生が「懇親会、一緒に飲んでいって」と誘ってくれたが、昨日の今日でとても飲めない。これで一週間ぐらい生ビール欲しくならないだろう。よく飲んだ。4人で11杯だった。だが、これで2,3週間続けてきたダイエットが、ちょっと元に戻ってしまった。(3.5キロ減らしたのだが、1キロ戻ってしまった。)酔いが回ってきた頃、「まだ他に誰か来るか?」と賭をして、私が負けた(来る方。千崎、窪山君は来ない方)。東京は地震が来るかもしれない(2004,5年ぐらい、とある週刊誌の予想にあった)から、一度来てから後で行った方がいいとか、いろんなことをしゃべったのだが、(・・余りよく覚えていないのだが)気が付くと9時過ぎ。よく飲み、よくしゃべり、よく食べた。最後は魚を三品注文したが、なかなか来ない。「すぐできなければ、もう帰るのでキャンセルして」というと、すぐ持ってきてくれた(!?)。 

 翌朝・・・土曜日、朝の院の講義と昼からの研究会が無事終わる。だが、まだ少しアルコールが残っているような、いないような、そんな感じ。日曜日、昼から天気になる。全日本とパラグアイのサッカーを3時から観戦。2−0で勝利。小野のアシスト、柳沢のゴール。気持ちがよい。ちょっと前線でのプレッシャーが少ないときもあったと思うが、なかなか見応えがあった。

 夕方、買い物がてら、また維新公園へ。子どもたちの、川沿いの人工プールで遊んでいる姿を見、自分も川に足をつけて涼む。手も浸ける。気持ちがいい。公園の中を白鳥の池まで自転車で行く。途中、山桃がたくさんなっている。一つもいで口に入れる。甘酸っぱい。小さい、グミぐらいの大きさ。まだたくさんなってます。行く機会があったら、つまでみると良い。まだ、1、2週間は十分大丈夫。 

 三々五々、子ども連れ、親子連れ、中年夫婦、が池の畔に来ている。子どもがパンのかけらを白鳥や鳩にやっている。一羽の白鳥は私の足下に来ている。くちばしを伸ばして、私に接近してくる。落ちていたパンのかけらを投げてやる。すぐ食べる。水面に浮かんでいる食べ残しは池の中にいる鯉や、小さな魚が上がってきて食べてくれる。見上げれば音を立ててトンボが飛んでいる。昼前の自宅近くの犬の散歩の時は、近くの田圃に小さなタニシがたくさんいた。今日はいろいろな動物を見る日だ。 

 ・・ところで、ロールズの第17節の内容を一度検討し直した方がよい。ここでは「正常な範囲」の人間が前提となっているのかもしれない。私はこれまで、働けない人々、つまり社会的弱者がそこでは検討対象に含まれていると考えてきたのだが。昨日の院の講義の中で、この点が疑問に浮かんだ。

2001・7・14 4年生打ち上げ new

  今日のゼミが前期の最終。2年生は試験準備が大変なので、打ち上げは31日に。今日は4年生と飲み会。原田君は用事で来られなかったが、今日はゼミもみんなそろったし、飲み会も9人と私。楽しくのみ、話し、元気が出た。前期はかなり授業がきつく、今日も夕方は疲れていたが、みんなと飲んだ後は元気が出た。三宅君は昨日からの徹夜マージャンの後。
    養老の瀧。確か信州出身の人が経営していると聞いた気がする。チューハイにも「信州」があった。信州といえば、といろいろ話が続いた。天野、菅君は志賀高原で冬アルバイトをした。永安君は1、2年生とワンゲルで3000メートル級の山に登ったことがある。雷が下から上ってくるそうだ。
    ユースではこれから大浜に行くという。伝統の海開きのようなものがあるそうだ。男性たちが女性を担いで海に投げ込む?という古代の儀式を思わせるような内容だった。
    飲み会というのは、静かに始まり、それぞれ、ふと頭に浮かんだ何気ない話が話を呼び、仕事上(大学では勉強上)の付き合いではなかなか話題にならないいろいろな側面が伝わってくる。そんなものがおもしろい。楽しかったです。

2001・7・31 2年生バーベキュー

  4時半に棟久、松本、三藤の三人の係が集合した。濱村君も来てくれる。昨日予約したバーベキューセット、クーラーボックスを借り出す。廊下で平野先生とばったり。今日はご自宅でバーベキューをされるとのこと。(クーラーボックス今度大き目のほうを借りよう。入れてみると少し小さかった。)炭は去年の分があったので間に合った。
  5時。8名集合。他は部活などが重なり今回は参加できず。行動開始。3名は火をおこし、5名で丸久に買出し。肉、野菜、飲み物(ビール12缶、チューハイ15缶、ジュース、お茶2リットルビン各1)、氷。虫刺され薬。丸久で4年の徳賀さんと三宅君とばったり。徳賀さんここ数日進路のことで大忙しとのこと。三宅君はこれからナイター。
  料理の前だが、あまりのどが渇くので、まず一杯目の乾杯をし、それから野菜の準備をはじめる。6時半ごろから焼くのを開始。そのあとは食べ、のみ、話した。(岡村君の携帯を借り、ちょっと家に電話。)
  話した。焼いた。食べた。飲んだ。山口弁の話、九州弁の話、私の昔の話も少し、・・・気がつくと10時ごろ。最初暑かった日差しも、7時ごろから陽が事務棟の後ろに隠れ、日陰ができ、すごしやすくなった(次回への参考)。せみ時雨の中のバーベキューだった(本当にすごいせみの声だった。メタセコイアの木の下はせみの幼虫が出てきた穴がたくさんあり、枝にはぎっしりというほど、抜け殻がくっついていた)。最初の予算が半分も余った。(2000円集めたが、1000円が返ってきた。次回への参考。)
  楽しい打ち上げでした。(となりに他のグループが一ついた。スイカを食べていた。それを見てこちらでもスイカを所望する声があがった。・・・これも次回への参考。)後始末もしっかりできた。皆さん、ご苦労様。

 

2001・12・21 2,4年生合同忘年会

 

 今、土曜日の朝10時45分。昨日は6時に始まった忘年会が10時過ぎまで続きました。12時に中村、中野さんとコンロと鍋の準備。4時から濱村君も加わって、また他の2年ゼミ生も手伝って、おでん作りなどの準備。

4年ゼミが終わるころにはもうかなり用意ができていました。以前の学会のあまりもの(でちょっと悪いのだけれど)のお猪口やバッグなどもお土産用に準備。で、いよいよ開始です。(「2001年、いろいろありました。経済始め、難しい状況も続きますが、明るい2002年を目ざして・・」とか挨拶をして、天野君の温度で乾杯。)

いやー、楽しかったです。会費は安く(1000円)、おでんはおいしい。岡田さんが青い取手のお玉を持ってきてくれていました。いろいろな惣菜も買ってきてにぎやかに飲み、食べ、話し、そして歌いました。とはいえ、歌ったのは私でした。(否応なく聞かされたのはみんなでした。)Blown in the wind, Stand by me, Bridge over troubled water, You’ve got a friend. (今回出席できなかった人は貴重な歌を聞き逃したのかも! ・・と思っているのは私だけかも。)今度はみんなも歌いましょう。私の場合(みんなも?)お酒が入ると羞恥心が少し減り、歌えてしまうのが不思議です。

菅君、単位と就職の件、残念でした。来年、またがんばろう。宮本君は、やっと部活の時間と重責から解放され、久しぶりに一緒に飲みましたね。3年の6月以来ですね、雨の日に、かつての村さ来で飲んだのは。空手の話、窪山君の剣道の話などして・・。

昨日は「Coco一番」の話もありました。年中無休。そして学生の労働力に頼っている。試験期間中でも、学生が遅く来るのに応えて宮本君ら学生のアルバイトが働き続ける。そうしないと店が回らない。でもそのアルバイトの彼らも試験勉強がある。で、彼らは仕事と試験勉強と両方でがんばらねばならない。私これ大変だし、店が何らかの配慮をすべきだと思うのだけど、宮本君、馬場君らは、そこでがんばるのが当然と感じているようだ。えらいと思うけど、試験のときぐらい、彼らを休ませてあげるアルバイトであってほしい。これは金龍も一緒。こちらは労働時間に見合った報酬の問題も大きいのですが。加えて、休むといくらでもやりたがっているフリーターがいる、といったこともある?そうだとすると、たとえ休みたいと思っても休めなくなってしまう。これも大きな問題。

菅君、天野君は7時過ぎに、今井さんは8時前ごろに退出。写真を撮るのが遅れて彼らを映すことができず。

そのうちに、河原、松本、中野、濱村、岡田さんら2年生のほうから「一気」の声が聞こえてくる。ちょっと驚いてそちらをみると小さなグラスで、これなら大丈夫。そのうちビールや日本酒など、だんだんなくなってくる。少し購入の量が控えめだったか?そこで研究室に残っていたお酒などをかき集めて追加。二次会に行こうの声も聞こえてくる。(空手部は7次会をするとのこと。前の日の6時から次の日の朝の11時までというときもあるとのこと!)

おでんはこのひとつの大なべで結構量があり、まだまだ残っている。これをまず食べきって、と、腰を据えて続ける。途中に山根君も参加。終了少し前に後藤田君も加わる。でも、もうお酒はなくなっていて、残念でした。政府予算に関した話を聞いたような気がします。(少し記憶が・・。かなり酔いが回ってたのですね。そういえば、以前、村さ来で飲んでいて、さあお亀茶屋に行こうといって横田ゼミのコンパに「乱入」したことがありました。あの時は同行してくれた窪山君と永安君に迷惑をかけました!)私は4時間が限度ですね、きっと。(そもそも夜は家族の中で一番早く眠る私です。)

さて、そろそろお開きの時間。皆で片付け。帰り道の注意をして、解散。私は自転車で帰るか、家から迎えにきてもらうつもりでしたが、後藤田君が車で送ってくれました。ありがとう。

 来年まであと10日。

 

2002・2・7 卒論発表会と懇親会

 

なかなかよい発表会でした。事前準備の成果が出た人が10人中少なくとも7,8名。ゆっくり、わかるように発表する。これが重点。これはかなり成功したと思う。

 そして、懇親会。手作り自分たち準備し、片付ける分会費も安くあがる。職員厚生機器のガスコンロは重宝しています。おでんはしっかり19人を満足させてくれました。今回はピザも注文。B棟への入り口が締め切られたのは計算外。暗い階段を外から上り下りで、研究室まで追加の酒を取りに行ってもらいました(三藤君、濱村君)。宮本君は拙宅へでの二次会を希望するも、少し遠すぎる。で、近くの八犬伝で。藤原ゼミの飲み会がちょうど終わったところで、私たちと入れ替わり。宮本君の付き合っている彼女の話、馬場君の話、2年の後輩にも少しは身近な話題だったのでは?男が、女が、と一般的に決めて家事のことをはなすのは的外れですね。その二人がよければそれでよい。あくまでそういう問題でしょう。馬場君の言葉「話さなければわからない」というのは、私も実感。違ったことを経験して、考えてきた二人が一緒に生きていくためには、この「話」がやっぱり大切。原田君の報告の言葉で言うと「相互行為」ですね。今日の発表会のヒット用語! 競争社会でそれを失ってはいけない。また、それを失うような社会ではいけない、そうなりかかっていたらそれに歯止めを掛けねば。12時を過ぎ、家から迎えにきてもらい、ゼミ生たちに紹介する。皆さん、どうでしたか?卒業可能性のこと、つまり試験に受かったかどうか、また、成績の出し方へのいろいろな意見、疑問などの話が出ました。これも透明にすべきことですね。教官としての立場からも自戒すべきと思います。

 

2002・2・21,22 卒業記念旅行

 

思い立って提案したのが1ヶ月前くらい。今年は忙しさにまぎれてプランを作っていなかった。でも、何か記念旅行をしたらいいな、と思っていたとき目に付いたのが新聞の「一泊萩旅行、9800円、オコゼとふぐのフルコース」の宣伝。萩本陣は萩でも有名な旅館らしい。これにみんなが賛成していくことに。三宅君と宮本君に係を頼む。さて、当日。昨晩から今朝にかけて、塩見さんと菅君から病気でダウンとの連絡。インフルエンザの気配。旅館は気持ちよく「キャンセル料は要りません」とのこと。よかった!天野君が1時間間違えていたけど、20分遅れで、精鋭9名で出発。(宮本君と馬場君は宮野発。)

益田方面へ続く道を、峠を上り、左折し、山越えへ。一人ナビゲーターをと、原田君に助手席に座ってもらう。とはいえ、私の話し相手役。うまく相槌を打って聞いてくれた。徳賀さんは女性一人になってしまったけど、楽しんでるかな、と、ちょっと気にかかる。三宅君が話し掛けたりして、大丈夫そう。萩への道はきれいだった。まだ春ではないけど、もうすぐ、という季節。萩に入る直前の川沿いの道もとてもきれい。桜の季節はいかばかりか。

萩城に到着。宮本、馬場君は先に着いている。駐車場を教えてもらい、散策開始。梅が少しだけ咲いている。お堀には鯉が泳いでいる。城壁の階段を上り、お堀を見下ろす。年配のご夫婦がそばにいた。目の前の指月城を上るか、皆で考えた。徳賀さんはその道の大変さと、上ってもあまり見るものはないことを知っており、やめることにする。ぐるっと回って帰る。閉まっている茶室を見、毛利氏のだれそれが祭ってある神社を見、そして次に厚狭家の古い作りの長屋のような家を見る。籠が飾ってあったが、とても重そう。こんなものを担いでいたのか、力持ちだ。すごい。

三宅、宮本君の案内で、(馬場君も萩には詳しい)、明神池に。こんな池があったのだ。もう数度は来ている萩なのに、知らないところが結構ある。鳥が飛び交い、(多分とびだろう、)池の水は外界から入ってくるので、魚も海の魚が泳いでいる。ふぐもいれば、ぼらも。道路向かいの食堂で昼食。うどんの人、いか焼きの人、いろいろ。私と天野君が食べた「いかいか丼」はとてもおいしかった。千円。お店の人から魚のえさを頂く。パンを小さく切ったもの。魚にやり、そして空に投げると鳥たちがうまく空中でキャッチする!皆に言われて手のひらに載せて手を高く上げると、鳥がうまく回旋してきて、さっと足でつかんでとっていった。ちょっと手のひらを引っかかれたかと思ったが、見てみると何の傷もない。上手なものだ。何人かそれをやった。

さて、今度は椿の群生林へ。これも初めて。本当にすごい群生林。富士山の樹海を思い出した。椿数メートルありそうな大きなもの。自生したものだと言う。花はまだまだ咲き続けそう。何か嬉しいところだ。きれいな椿の大木の前で写真をとる。次は笠山の頂上へ。火口があった。これも始めて、・・ではないか?大きなくぼ地の底に、ガスが噴出した後のような長い切れ目が。10〜20メートルくらいか。柵の手前の火山岩の上に小さなカメムシがいた。背中は黒っぽいが、なんとそこには黄色のハートの模様がくっきり。こんなカメムシがいるのだ。「火口」の文字を手で書いて写真をとる。タイミングが合わず、うまく写ったのは2,3人か?そばの展望台から見島、大島などを見る。島が平たいのは溶岩でできたせいだろう。

最後の場所、松蔭神社。九州から「玉東中学」の見学バスが来ている。ガイドさんは一生懸命説明しているのだが、ちゃんと聞いているのは前のほうだけ。でも、皆が同じものに興味を持つわけではないので、仕方がないことか・・。ゼミを代表しておみくじを買う。小吉。私個人も正月は小吉。玄関の大きな石門の前で写真をとる。お酒、つまみなどを買い、旅館到着。玄関に「玉東中学校」と、「何々高校」の歓迎版あり。内風呂は素敵だった。2350メートルの深さからくみ上げている。次は旅館裏側からモノレールで隣接の山の中腹の露天風呂へ。風呂のはしごだ。これもよかった。浴衣と半纏でも寒くなかった。さらに頂上には展望台があった。恐竜の模型が二つ陳列してある。この展望台には何人かで夜も来た。夜景がきれいだった。

楽しみの夕食。オコゼとふぐ尽くし。刺身あり、てんぷら、から揚げあり、煮物あり。窪山君と私はから揚げを全部平らげた。頭のから揚げなので少々食べるのに技術がいる。途中で「玉三郎」の余興あり。顔のお化粧がおかしい。しぐさもおかしい。ちょっと下品なしぐさもあったが、全体には楽しめた。部屋に帰り、腹ごなしの時間が必要だ。ちょうど金八先生があったので、皆で見た。徳賀さんは「どっちの料理ショー」を見たかったのだが、こちらの部屋で見ることになった。たしかにドラマチックすぎる筋立てだが、それでも皆けっこう引き込まれていたようだ。小山内美恵子さんはそれを承知で書いていると思う。このくらい書かないと、今の時代は映せないと思っているのだろう。

10時過ぎから飲み、話す時間に。宮本君、三宅君、馬場君がいろいろ話題を提供する。永安君、馬場君から話を引き出そうとするが、簡単にはいかない。とうとう原田君がクラブ合宿のときの話を披露してくれた。いろいろ話を聞き、私も一つだけ話し、11時過ぎには眠気に耐え切れずとなりの部屋へ退散。若さあふれる話が続いていた。(が、女性の徳賀さんの前ではもう少し他の話題を選べたらよかったかもしれない。どうでした?徳賀さん。)

翌朝、2,3時間の睡眠で早々と風呂に入る人あり。朝ご飯は皆集まる。すごい。ただ、やはり朝3,4時まで起きていたので、食欲がもう一つの人も。夜の雨も止み、さて出立。海と萩駅を見て帰ることに。菊が浜で海の空気を吸い、ちょっと海水に手をつけ、萩駅でレトロな駅舎を見る。昔の手回しの電話機を使ってみる。昔懐かしい小さな切符も展示されていた。世の中が便利になっても、なぜか昔のものを見るとほっとする。

 

2002・5・10 ゼミ新歓

 

飲んで話すとは・・・一人一人は、社会を作っている一要素。どの一人も重要だ。そんな一人一人と話ができるのは貴重なことだ。そんな重要な要素がどんなことを感じているか、思っているか、知ることができる。重要な情報交換の場だ。(私はよく、話す、交流する、というとき、蟻が歩きながら、仲間と会ったとき何かを話している、あのシーンを思い浮かべる。)

そのとき、話してもよい、聞いてもよい。話したい人がいたら聞き、話したい時は話す。こうして情報が交換されて行く。これが楽しく、役に立つ。(もちろん、飲まずに話してもいいです!)

 

 そして、この日は、飲んだ、食べた、話した。(話し、飲むのに忙しく、食べるのはちょっと少なかった。)生協学食の外のテラス。遅くまで電気をつけていてもらった。桜井店長さん、すみません。ありがとう。

 

 あいにくの雨だったが、アメニモマケズ、の言葉が浮かんできた。5時開会のつもりが、買い物ですでに5時を回り、火が十分熾きたのが6時半ごろ?7時ぐらいから本格的に始まった、バーベキューパーティー。なぜか、作りながら食べるのは楽しいね、ただお店に行って食べるよりも。

 買い物は山根君、中村さん、安部さん、今井さん、そして私。23,4人分で2万5,6千円の現金予算。さらに卒業生の田中君からのビール券差し入れ(7千円ほど!)、かなり財政は豊か。とはいえ、これだけの人数の買い物。まずアルクではレジでちょうどよいくらい。次の三平では買いすぎてレジで返品。日本酒も返す。ちょっと残念。

 買い物は全部食べ終わった時点でみると野菜が多すぎた。次は少なめに。何しろ、終わってから翌日研究室に行くと、二袋のビニールバッグいっぱいの野菜がでんとソファーに置いてある。誰か持って返ってくれてもよかったに、遠慮した?おかげで土、日我が家野菜料理尽くしであった。(ちょうど土、日は私が料理当番。土曜は八宝菜とホイコーロー(野菜と混ぜればできるやつ)、日曜日は野菜カレー。それでも今日14日、まだ半分が、冷蔵庫にどさっと残っている!)

 肉はちょうどよかったようだ。佐々木君、沖守君が一生懸命うちわで扇ぐ。あれは結構疲れますね。竹岡君、水田君もそれを助ける。途中から河原さんが加わる。山根君は次の部活の新歓に行かねばならないので、急いで食べた。刺身はすぐ食べられるので買っといてよかったね。飲み物は少しお酒が足りなかったか?ジュースは余った。→今度は、お酒を大目に、野菜は控えめにしよう!

 村上さんが言っていたが、5時から7時の予定が、終わってみると10時。あっという間に時間が過ぎた。つぎは7月に。今度はビールかな、やっぱり。2年生も、初めての飲み会だったが、いろいろ話ができたようだ。楽しそうだった。新宅さんは酔っているのかどうなのか、と疑問が出たが、やっぱり酔っていたでは?私もみ皆の話に入れてもらったり、楽しく過ごせました。

さすが3年生は段取りがわかっている。洗う、切る、そして終わった後の片付け、手際がよい。もちろん2年生の係も大物の片付けなど最後まできちんとやってくれた。

途中、暗くなって、明るいほうに移動した。楽しそうにやっているのを見て、店長さんも、なかなか帰れなかっただろうな。(私も1、2度、「もう少しお願いします」と頼んだし・・・。)みんな、生協でしっかり買い物をしよう。ゼミの恩返し。そうそう、写真もたくさんとりました。また現像して、HPに載せます。

まだ時間がある人で、会議室のとなりの準備室で飲む。3年生が5人。安部、河原、池本、千崎、濱村、三藤、そして私、だったか?(この辺に来ると記憶がやや曖昧に。)しかしここまで来るとなかなかもうどんどんは飲めないですね。1時間弱だったかな?さっきに比べると少し静かにお話し。池本さんらが車で送ってくれるというが、時間が経ったとはいえ、少しでも飲んでいるゼミ生に頼むのもいけない。家内にも電話していないのでお迎えは頼めないし。いっそのこと歩いちゃえ、と1時間のウォーキングを決意する。走っていけば半分、と正門前から走り出した。あとから考えると、やはり酔っていたのですね。10歩ほど走って、見事に何かにつまずいてステーンと滑り込みの形で転ぶ。こんなに見事に転んだのは何年ぶりか?・・・諦めて歩き出す。こんな時間(11時半ごろ?)、やっぱり新歓の季節の金曜日のせいか、学生たちがぞろぞろ歩いている。主に湯田方面から帰る様子。無灯火の自転車にぶつかりそうになる。ちゃんと灯りをつけてね!ちょっとラーメンを食べたくなる。山口君がいるかも。店に入ると、結構お客さんがいる。山口君は、・・・いた。忙しく、楽しそうに、働いている。それはいいが、ゼミの新歓で顔が見られなかったのは残念。夜勤が多くて起きられなかったのかな?空手部の部長も忙しいのだろうが・・。「先生、どうしたですか?」とその山口君がテーブルに来る。先日、やはりゼミの先輩の、卒業したばっかりの宮本君が大学に来たそうだ。後輩の部活を見に来ただね。「宮本先輩は最高っす。」うん、そんな先輩がいることは幸せだよ。本当に。

 

(翌日土曜日は2時間目、3時間目が院の講義。少し疲れが残っている。昼に休んだら疲れが出てしまうかも、というわけで3時間続けて講義。院生の皆さん、耐えてくれてありがとう。)

 

 2002・11・15 ソフトボール、そしてニライ君とビール

 

 2,3年生対抗でソフトボール。うまく雲も切れ、暖かな日差しの中でプレーできた。数名は開発とジェンダーのシンポに出席。16対14で2年チームの勝ち。3年チームは女子が多かったのに、追いつかれそうなスコア。がんばりました。最後少し寒くなってきたのに、せっかくニライ君が途中から参加できたので、と少し延ばしてプレー。あれで風邪をひかないとよいのだが。最後は記念写真。

 ニライ君がビールを飲みたいと聞いた。今日は山根、今井、浜村君と5人八犬伝飲む。せっかく留学生がいるのに話したことがないので、と今井さん。日本語の話、パラオの話、不良債権の話。英語、日本語が混じって2時間ほど飲み、話しました。日本語は、過去と未来の時制が難しいと。「明日行ったら話をしよう」の、「行った」という過去形が、未来の中に入ってくる。「???。」パラオは世界三大スキューバダイビングの適地とのこと。あと二つは紅海とオーストラリア。パラオはリターニーが多いとのこと。日本人が6割だったか。パラオの人口は1万9千。球場の半分で全員集まれる。不良債権について、公的資金は銀行にすぐ入れるべきか。小さい企業はつぶして、銀行だけは救うというからには、それなりの理由、また銀行への厳しい措置が公正性の点から必要。こういうとニライ君は少し考えていた。

 

2003・8・26,27 ゼミ合宿

 

 秋穂国民宿舎で合宿。今回のテーマは日本と世界の動き。経済、政治、社会、多様な視点から今の世界の動きを見ようと言うものでした。

 朝の集合。前日スペイン出張から帰り(深夜零時過ぎ)、疲れはピークに。朝は7時ごろから学校へ、そして合宿資料を印刷。少し遅れて出発、無事到着。改装してあり、きれいなところ。瀬戸内の眺望も絶景と言っていいくらい。

 ゼミ生たちが半分くらい、私が半分くらい、二日かけて報告。今の私たちのいる位置を理解しようとしたのですが、どれくらい役立っただろうか?

 昼は道の駅で。ちょっと小さいけど、名物のえびを使った料理がある。帰り道で海岸に。潮がひいているときで、とても遠浅でした。海水は暖かく、泳げそうなとき。駐車場は、公民館の空き地を使ったのですが、どうやら駐車禁止の場所だったかも。次に灯台のあるところまでの遊歩道へ。上り始めたら、もの巣が多い。大なくもが、丈夫な糸で行き先々に巣を張っています。ちょっと秋穂町の説明書と違っているぞと・・。上りついたころ、草刈でしょうか、作業をする方も二人上ってきました。ここでも写真を撮り、宿舎に帰宅。

 夕食はさすが、えび尽くしでした。あとで前田君を送っていくので、お酒はなし。夜ゼミ生たち遅くまで起きていたようです。私は11時ごろにダウン。翌日の昼はちょっと特筆すべき、町の食堂で昼食。車で探していたら、懐かしい、昭和30年代の年季の入った食堂と言う感じのところが見つかりました。黒ずんだ柱や店内すべてが味のある感じでした。最初目当てにしていた海沿いの食堂は値段がちょっと高すぎました。

 おみやげに近くの八百屋でスイカを購入。鳥取産だったか、青森産だったか?今ごろスイカを売っているのはちょっと驚き。

 

2003・11・22 ソフトボールマッチ

 

 秋のゼミ連主催のソフトボールマッチ。大田君、竹岡君が呼びかけて、3年、基礎ゼミ生、4年生の混成チームが組めました。チーム名は下半身タイガース。かなりユニークです。一回目は兵藤ゼミ、55でじゃんけん。なんと、勝利!二回目は?ゼミでしたか、これも勝利。でも、三回目の横田ゼミは強かった。地力から言うと10点差がついてもおかしくない試合。応援する私は5点差以内までで負けた場合は、ハンディを考えるとこちらの勝利と思っていました。結果は4点差。負けたけど勝った、といいたいです。みんなすでに来年のことを話しています。さて、このあと、みんな集まっての打ち上げは、今日は異常に寒いし、お金もないし、連休で故郷に帰るし、ということで今回はなしの方向へ。しかし、夜、以前から誘っていたニライ君が来るので、私は行くことにしました。そして竹岡君と三人でおしゃれ茶屋へ。しかし、そこでちょっとトラブル。山根君に予約を取り消してもらったと思っていたので、今日のお得なメニュー、安上がりコースを頼んで、一人1000円で済むね、とスタートしたら、すでに途中まで飲み、食べたところへ、「すみません、ご予約のお料理を忘れていました」と、ドンと大皿のから揚げと串盛りが到着。え、予約料理が生きていた?!これを三人でこれから食べきる!?・・・加えて、ニライ君は、この日、日本の急激な寒波襲来にやられてぜんぜん食欲がありません。あと日本、あと三個筒、と残った二人でがんばりましたが、もう苦しくて入らない。頼めるかな、どうかな、と持ち帰りできるか聞いたらパックをいただけました。

ところで、ニライ君のジョン・ガルブレイスとの交流の話には驚きました。いろいろなところで、いろいろな人がつながっている!今年は本当にそれが実感できました。(その話はまた次の機会に。)

 

2003・12・19 忘年会

 

今年のゼミ活動も終り。金曜日はゼミのあと、教室で忘年会。外の話もあったが、すでにほとんど予約済み。手作りだが、長所は安く、長くいられること。おいしい鍋をメインに飲み、話す。佐伯君は朝4時から配達とのこと。これから帰って寝ると起きられないかもしれないので徹夜をするらしい!4年生は山根、千崎、浜村君。今は卒論と就職の関係でまだ忙しい人が多い。卒論提出後に新年会をしましょう。途中で山根君の後輩も二人加わって、・・・。それにしても5時間以上、恋と愛について話したことを覚えている。自分のため、と相手のため、と。6時から11時過ぎまで楽しいときをすごした。そのあと皆で片付けをし、帰路についた。金龍でラーメンを食べる。山口君と今度ゼミに入る1年生がいた。

 反省、教訓・・・飲み過ぎに気をつけよう。(翌日は朝から出張の仕事だった。前夜、もうすこしセーブすべきだったと苦い思いで反省しながらひかりに乗った。)

 

2004・2・10 卒論発表会

 

年度最後のゼミ活動。1、3、4の三学年合同となった。大学会館も明るくてよいが、今年はすでに先約があり(兵藤ゼミ)B101で開催となった。45名の予定者中、インフルエンザ、就職活動などで若干の欠席、遅刻・早退があった。(就職活動は企業が夏休みまたは冬休みに行うべきである。しかし近年、買い手市場で強気ということか、企業は大学のスケジュールを考慮しない。文字通りの青田買い。早くよい人を取ろうということだろうか。4年生で大きく伸びる人もいればそうでない人もいるのに・・・。)

報告はなかなかよかった。13年生には、すぐには理解が難しいものもあっただろう。だがこれがよい刺激となって、これらの卒論作成を導く材料となってほしい。4年生は提出前の半月で急激に伸びたと思う。

終了後の懇親会の前に、少し早く行ったので松田屋と松政の間の足湯を味わった。発表会の緊張がほぐれた。だんだん茶屋で、広い、だがこれだけの人数には少し窮屈なくらいの場所で378名の参加でにぎやかに飲み、話した。体育会のメンバーが多く、酒量には少しはらはらしたが、年度末ともなると皆自分の許容量をわきまえて飲んでいたのだろう。〔そう願いたい。〕今回はできるだけ卒業する4年生と一緒に過ごすよう努めた。もう年度内に彼らみんなと飲む機会はないのだ。ゼミが2年から始まるようになって初めての学年。3年間は文字通り、振り返るとあっという間だ。来週は7名と由布院・別府に卒業旅行だ。全員が揃って行けないのが少し残念だが、旅行記を載せて少しでも温泉の気分を味わってもらおう。

 

2004・2・21 卒業旅行記(2・17−19)

 

湯田温泉に8時集合。濱村、千崎、三藤、中村、池本、そして私で出発。小郡駅のホームで、学生たちに、道中、卒論に関連して少し話をしたいと伝えた。「もう覚えてませんよー」との反応あり。いや、試験などではなく、かえって私の話を聞いてもらうことが中心になると話す。ちょうど前日に新聞記事を整理し始めたので、材料はいろいろ頭に詰まっている。早速池本さんと環境の話、博多からは千崎君とサービス残業の話、三藤君と日本の財政の話をした。ただ、残念ながら帰途では疲れてしまったのか、頭がその方向に働かなかった。博多では河原さんが合流。湯布院の森号に乗る。指定席はばらばらなので自由席。こっちはうまく皆近くに座れた。

湯布院に着くころには穏やかな天気になった。のどかな、大きすぎない温泉地。駅から歩いて5分ほどで山水館に着く。素敵なホテルだ。隣には麦酒館というレストランが連結されている。荷物を置かせてもらい、早速湯布院の町を散策する。大通りに沿って歩いていくと、ほんの2、3百メートルで風情のある通りとなる。お土産屋さん、食事、おやつを出すところがたくさんある。地鶏、豊後牛、団子汁の看板がたくさんある。地酒もいくつかある。少し歩いて豆腐料理専門店に上がる。おからのコロッケ、湯葉、豆腐で作ったプリン。ここも落ち着くいい店だ。池本さんは湯布院に何回か来たことがあるという。時折先導してもらいながら、次は金鱗瑚に行った。大きくはないが、風情がある。三藤君がなかなか湖中の魚が見えないといって、皆に教えられていた。向こう側の神社では未開封のおみくじがたくさん「あった」。お金を払ったのではないが、すでにたくさんおみくじ売り機の前に放出されていた。この湖では安部さんが合流。これで全員揃った。この町は旅行者がたくさんいる。翌日町の人にたずねると、11月と2月が多いという。紅葉の時が一番多い、そして今2月は団体客が多くなるという。

金鱗瑚そばの土産物屋に寄って、帰りは川に沿って歩いて帰る。この通りもとても風情があってよい。川が合流するところで危うく道がなくなるかと驚く場所があった。川の中に大きな石で通り道が作ってあった。ホテルの裏から中庭を通って入れた。皆で相談し、男女に分かれ、食事まで風呂めぐりをすることになった。提携しているホテルの風呂を三つ回った。私は浴衣に着替えていったが、ちょっと寒かった。両側に田んぼがある道を歩き、最初の湯に入り、行水のように短時間で上がって次は秀峰館の屋上露天風呂、そして次は山水館隣のホテル、とまさにはしご風呂をした。夜の食事はバイキング。洋風、和風、皆いろいろなものを味わい、堪能した。私は地ビールを中ジョッキで3杯。山口市にある地ビールもそうだが、地ビールのなんとおいしいことか。

私はすでにここの風呂にも入っていたし、おなかも膨れた。寝る前に下に下りると、フィリピンの男性歌手がピアノの弾き語りをしている。楽しそうだ。歌も私の好きそうな曲だ。お客さんが10人ほど、リクエストをしながら聞いている。中年の浴衣を着た日本女性が非常に楽しそうにピアノのそばで動き回って聞いていた。あとでゼミ生たちが、その方は少し酔いすぎていたのか、あまり好ましからぬ行動をとっていたようで、彼らは聞くのを止めて部屋に戻ったという。私は酔っていたのだろうか、あまりそれに気がつかなかった。二ラウンドくらいが終わって、お客さんが帰った。私も帰ろうとして、そのプレイヤーが近くに来たとき、握手のついでに曲のメニューの翻訳の誤りを伝えた。(Alfie Alifieに、 Close to YouHomeward Boundになっていた。)それがきっかけで、少し話した。彼は日本が二回目、日本人はとても歌をよく知っている(シンガポールで演奏するときと比べると)、日本の曲はなぜかとても身近に感じる、特にマイナーな曲、中でも荒城の月は最高だと言う。以前、この曲はヨーロッパでもとても好かれていると聞き、それを言うと(多分うれしかったのだろう)驚いていた。彼はMr. Babesという。9番目の子供で、母がそう名づけたとのこと。彼はお客さんがどのようなムードか読める、だからそれに合わせた曲が弾けると言った。A giftと。Close to you Alfieを歌ってくれた。アドリブもたくさんつけて。何というか、それを掌中にしているというか、歌、ピアノを自由に操る。繰り返したいときは何度でそこを繰り返し、テンポも自在に変え、というように。目の前の演奏が本物といえるのなら、まさに本物というのはすばらしい。話が終わって部屋に帰り、気がついて彼と話したテーブルに置き忘れたカギをとりに変えると彼が、Oh, my friend, what can I do for you!と大きな声で呼びかけてきた。大きな声で話すというのは(それを聞くというのは)、気持ちのいいものだ。私は10時前には寝たようだ。皆は、やはり若さの特権か、遅くまで起きていたらしい。

 

翌朝もバイキングの朝食をしっかり食べて出発。昨晩のニュースで、九重町でチャボから鳥インフルエンザのウイルスが見つかったといっていた。湯布院も鳥肉移動禁止の30キロ地域に入っている。別府も。山口は警報が解けたが、今度は大分とは。さて、今日は湯布院でできるだけゆっくりするのがよいと一致し、今日も町を回る。みやげ物や、雑貨屋を見たり、また川沿いに歩いたり。朝10時から開くという人気のパン屋さんにも行った。何人か、たくさんパンを買っていた。私はミルクパンを一つ。ホテルに戻り、別府行きのパスターミナルに行く。韓国かららしい30代ぐらいのカップルもいた。私たちのグループは切符の数が一枚合わず、ちょっと騒動になった。結局売り場の方が間違ったかもしれないと一枚渡してくれた。バスを待っている間、外では旅行者に報道関係の人がインタビューしていた。旅行シーズンのニュース編集だと思っていたが、あとから、あれは鳥インフルエンザの感想を尋ねているとわかった(テレビでその人たちが移っていた)。濱村君だったか、も映像に映ったらしい。バスターミナル横の売店でカボスジュースを飲む。30代後半ぐらいの女性の店員さんが、「お客さんは音楽が好きですか?」と聞く。意図がわからず「好きですよ。」と答える。ジュースを飲んでいるとまた戻ってきて、「この曲はなんだかわかりますか?」と聞く。あ、そうだったのか。「タイタニックの映画で流れた曲ですね」と答えると、「あ、そうそう、○○が歌っている曲ですね」と思い出したようだ。ちょっと名前が出てこないときにそれがわかるのはうれしいものだ。

バス1時間弱ほど、山を越えて別府に着く。別府は海沿いの町だ。人口は少し減って12、3万人らしい。しかし湯量は日本一、世界では第二位という。ニュージーランドの温泉が第一位とのことをタクシーの運転手さんから聞いた。海に面したホテルが10ほど立っている。少し迷って探し当てる。荷物を預け、温泉めぐり。別府観光、地獄めぐりは明日になった。人口海岸そばのホテルの屋上も、なかなか見晴らしがよい。何しろ遠くの海を一望しながら温泉に入るのだ。下を見ると犬を連れて散歩をする人、かもめにえさをやる人がいる。出るころにちょうど女性陣が来たようだ。私たちは先に海岸で散歩を楽しんだ。ここでもフィリピンの、今度は女性2人、男性一人がかもめと遊んでいた。えさの、パンくずだろうか、それを投げるとかもめたちが数十羽飛んでくる。そばに立っているとすぐ頭の上を彼らが飛び回る。少し恐いような、うれしいような眺めだ。大きな犬二匹を連れた夫婦が波打ち際にいる。三藤君は犬が好きだ。濱村君も千崎君も嫌いではないらしい。犬をあそばせるゴムの人形があった。それを投げると、犬たちがうれしそうに、でもたまに興味なさそうに、取りに行ったり、行かなかったりした。

夜は関アジがメインのおいしい食事だった。さすが豊後牛の産地、ステーキともう一種類、牛肉も出た。私は食事の少し前から部屋で、昨日湯布院で買った地酒を飲みながら俳句とも和歌ともつかないようなものを詠んだ。それを学生に見せてどれが一番好きかなどと聞いたりした。(前半部の一押しは下にあり。)

 

・風呂上り 春の海見て 寝転がり (三藤君、濱村君の姿を見て。千崎君はちょっと大き目の椅子の上で座りながら眠っている。)

・露天風呂 上から見下ろす かもめたち

・ニュー松実 耳を澄ませば お湯の音 (部屋にいても水の流れる音がする。後であれはお湯の音だろうということになった。)

・ガラス越し あふれる海を肴にし 湯布の冷酒を しばし味わう (濱村君、千崎君の一押し)

・一月と 少しすぎれば 卒業す 大海渡る 鳥のごとくに (三藤君の一押し)

・山のお湯 海のお湯 また温かし (湯布院と別府を入り比べて)

 

・旨酒を 口に含みて 詩句詠む 耳に聞こえる かすかないびき

・夕焼けの 海を前にし 話おり 土地の元気な二人の男 (60歳ぐらいの二人)

・素裸で 見る海掠め かもめ行く 

・湖の ごとき静かな 波に浮き 魚採る船に かもめは群れる

 

夕食がサッカー中継と重なり、半分ほどはボリュームを少し小さくして日本−オマーン戦を見た。部屋に戻って続きを見終わったとたんに私は眠ってしまった。歩き、湯に入り、酒を飲み、たくさん食べると、疲れと眠気がどっと来る。皆はやはり遅くまで起きていたようだ。ちょっと腰痛がある。歩き疲れか?

翌日はタクシーで地獄めぐりの場所まで行く。海地獄、海坊主地獄、山地獄、・・いろいろあって、最後は血の海地獄、そして竜巻地獄。竜巻地獄は間欠泉。20分ほど待つとお湯が吹き上げてきて、5分ほどそれが続く。地球の中が動いていることを、やはり目の前にこういうものを見ると、実感する。別府駅に戻って、駅前の食堂で団子汁と鳥天を食べる。団子汁は、味は味噌味のちゃんぽんのよう、麺はやわらかい素朴なきしめんのようでおいしかった。お土産に鳥天を買った。加熱すると大丈夫ということだ。(ただ、帰って食べると少し加熱が不足気味だったが。)

駅からソニックで帰途につく。中津で安部さんと、小倉で河原さんと別れる。皆元気に旅を終えて、これも一安心。山口線の列車で、みながこれからのこと、引越しの計画などを話していた。彼らも学生時代がこれで終わる。社会人の時代がこれからはじまる。大人への入り口に一歩足を踏み込んでゆく。

 

 2004年12月22日

 

2月から10ヶ月があっという間に過ぎた。もっと、折々の出来事を、バーベキューや、合宿のことなどを書いておきたかったのだが・・。このごろ、ここ数年はその余裕がなくなってきた。教育と研究の忙しさならよいのだが、それ以外の、大学「改革」(これはどちらかといえば私にとって否定的な響きを持つ)にかかわる諸雑務のせいだろうと思われる。

 

先日忘年会をした。4年生は拙宅で、2年生はD102で。

4年生を、やっと家に招くことができた。一人千円で、それでも余った。買い物をしてきてもらい、1時から女性人中心で料理をし、食べ、話した。男もしてよかったのだが、女性陣が早めに台所に向かった。つみれや魚の鍋料理がおいしかった。妻が作っておいてくれた大量のおでんはやはり数名分といったところだった。若者の食欲はすごい。新宅さんは最後の洗い物の時ちょっと手のひらを切ったが大丈夫か?2時間ほどして女性陣4名は帰宅。その後残った男性陣で2時間ほど話す。ついでに神社にも上り、犬の散歩をしてもらった。朴君の力には驚いた。倒れた石灯籠を立て直した。以前100キロの荷物を担いだことがあるとのこと。

2年生はやはり1000円で始めたが、参加者9名ほどで、結局12000円かかった。一人千円はちょっと少なかったようだ。5時買い出し、係で準備、何人かが手伝い、6時半頃開始。男だけなので、女性がいたらちょっと離しにくいこともいろいろ出た。自分の青春時代のことなどを訊ねられると、つい楽しくなっていろいろ話してしまう。歌も歌った。(だが、私の記憶は10時ごろから薄れている。酒、人を飲む、の状態に至ってしまったようだ。)私はかなり酔い、12時ごろタクシーで帰った。(自転車に乗ろうとしたが暗いのと、乗れなかったので。)途中何度かタクシーを止めてもらったので、家に着いたときは体が冷え切っていたようだ。翌日聞くと、彼らが後始末で荒いものをしていたとき、先生らしき人(たぶん先生)に不審に思われたとのこと(「君達は学生かね?こんな時間に、本当に学生?」)。ちょうど教育学部で盗難事件があったと張り紙が出た日だったこともあってか、学生にはかわいそうなことをした。私が一緒にいればよかったのだが、もうこの時刻については、まったく記憶がない。

 

2005年2月12日 卒業旅行記

 

沖守、水田、大戸、竹岡、私で湯田温泉を10時55分に出発。天気良し。めざすは大分・熊本県境の肥前屋、杖立温泉。はじめは私のワゴンでとの考えもあったが、私の運転で学生を事故に巻き込んだら一大事とのこと公共交通行くことに。新山口駅で弁当を買い、車中で食べる。沖守君はすでに黒ビールを楽しんでいる。新幹線と湯布院号を乗り継ぎ日田(ひた)の駅に1時40分に到着。落ち着いた町だ。駅前の案内所で道を聞く。私は行き先の杖立温泉を、日田の温泉街と勘違いし、さあ歩いていこう、と街中に歩き出した。しばらくして、目指しているのは本来の目的地とは違うことを皆に指摘してもらう。短い散歩だったが、人もあまり多くなく、陽だまりのような落ち着きのある通りだった。そこここにある子ども達をかたどったブロンズ像もかわいい。

駅でジャンボタクシーを頼む。9人乗りのワゴン車。一路杖立へ。運転手さんが道中いろいろ話してくれた。いわく、三つも資格をもっているが、景気が悪いので、ひまなときはタクシーに乗っているなど。資格は庭師など、建築関連のものだが、ここ数年間、仕事が減っている。公共事業が減ると仕事が減る。私たちは最初、仕事の慰安旅行かと勘違いされた。

徐々に山に入る。途中、一箇所だけ、左側が高い切り立ったがけのようになっている上を通った。少し恐い。元は杉の木がたくさん生えていたのだが、去年の台風で倒れてしまった。それでガードレールをつけたのだが、それがあまり安心感を与えてくれない。ちょうど今の経済状況に対して、日本の社会保障制度が安心感を与えてくれないのと同じようだ。山にはさまれた川沿いの温泉街に到着。肥前屋はその入り口ふきんの大きな旅館。部屋に入るとすぐ川向にそそりたつ山が見える。青々とした木々。眼下にはとうとうと流れる、きれいな緑色をした川。すばらしい。

客もたくさん入っている。平日なので私たちは一泊8千円弱だったが、休日前夜は5千円アップとなる。

夕食は何時にするかとのフロントの問に、今夜の北朝鮮戦を見るためには、と話していると、「サッカーの観戦ですか?」とにっこり笑った。あと新聞読むと、瞬間視聴率は50数%だったとのこと。私たちの部屋は10畳と6畳ほどの続き部屋で素敵なところだ。荷物を置き、まずは温泉街を散歩。近くの白糸の滝(ちょっとした登り降りだった)から始まって、足湯、川の両側のそぞろ歩きをゆっくり楽しんだ。ほとんど人には出会わなかった。5月には川をまたいで何百のこいのぼりが泳ぐという。春秋はさぞにぎわうのだろうが、2月の平日は本当にのんびり旅行できる。湯治場として栄えてきた。かつて弘法大師が、杖を付いて登ってきた人が、ここのお湯で癒され、杖を置いて帰るところと詠んだ、その杖立温泉。ひなびた味わいがある。湯田温泉とはまた違ってよい。

夕食前にボーリングを楽しむ。ここも先客が一組いたが、まもなく私たちだけの貸しきり状態に。1ゲームはサービスなので、あと1ゲーム。260円と靴代200円で十分楽しめた。スコアは大戸、塚田、沖守、水田、竹岡の順。2番というのは少しうれしい。食事までの30分、私と竹岡君は風呂に入った。残りはゲームを楽しむ。6時半食事。ご馳走がずらりと並ぶ。この料理の記念写真を携帯でとってもらった。あとで見るとちょっと小さめ。やはりカメラが一番いい。この旅館は川側から見て左が大分県、右が熊本県の上に立っている。よってこれは県境会席という。刺身、地鶏のから揚げ、団子汁風の鍋物など盛りだくさん。ビールと日本酒も楽しんだ。皆は担当の女性を、ご飯を大盛りでお願いします、との希望に、「盛り盛りですね」と答えたので、「盛り盛さん」と勝手に名づけた。頼んだ日本酒をお猪口で飲むのが面倒だったので、大きなお椀物のふたに入れた。一合がちょうど入りきった。だがすぐにふたを集めに来た。酒ごと片付けられたら大変なので、その旨言って、そのまま置いてもらった。7時半、さあキックオフだというわけで部屋に戻る。

もう布団が敷いてある。これを隅に寄せ、テレビの前に一列で陣取り、テレビをつけた。すでに始まってから5分ほどたっている。なんともう日本が一点入れている。小笠原のフリーキック。これは3点差以上もつくかと思い見つづけていると、北朝鮮チームもなかなか強い。点が入らないまま、後半になると、逆に一点入れられてしまった。きれいに左にパスをまわされ、あまり角度のないところから川口とゴールポストの間に同点ゴール。後半途中から、高原と中村が投入された。素人目にも流れがよくなったのがわかる。中村のキープ力とそこからの攻めのルートの増加が、何か期待感を高める。玉田に代わって大黒が入り、ロスタイムに小笠原からのパスを相手キーパーがはじき、それを福西が大黒の前に転がし、すかさず大黒が体を半回転させて左足でゴール。なんとか勝利。初戦は日本3点。スポーツなのでどこに入れ込む必要もないのだが、つい日本選手、チームを応援してしまう。政治の世界の日本と北朝鮮の関係とは違う、スポーツの世界。気持ちのいい試合になった。政治の世界もこうあるべし。

皆はこれから風呂へ。私はすでに旅の疲れが心地よく、となりの間で眠りにつく。皆は12時、1時までおきていた模様。翌朝。7時におき、8時半まで、昨日の試合を振り返る番組を見つづける。皆は熟睡中。8時半、さあ皆を起こして朝食。バイキング。卵焼き、さばの切り身、サラダ、その他いろいろ、皆しっかりと食べる。今日のメインはビール工場見学。お土産をロビーで買った。おいしそうなおかしがたくさんある。だんご汁も良い。11時過ぎ、タクシーで移動。日田の町を見下ろす高台にサッポロ九州工場がある。大きな、きれいなところだ。外はちょっと寒い。土地の名物を売っている建物でしいたけを買う。さて、1グループ3、40人ぐらいで工場見学開始。シュポッ!という良く響く音を何度も聞かせる宣伝ビデオを見、次に製造工程を見る。ビールの麦芽とは、本当に大麦を発芽させたものだと初めて知った。今日はちょうどラインはお休みなので瓶詰めの様子はビデオで見る。さて、お待ちかねの試飲コーナー。20分の間に、ビールビスケットをつまみに、300ccほどのワイングラスのようなビールグラスでエビスビールを試飲。おいしい。ただ昨日からの食べすぎで舌が荒れていたのでちょっと刺激が強かった。さっそくお代わりをする人も何人か。沖守君は4杯飲んだ。私は1杯半。みやげ物コーナーのそばにサッポロビールの歴史、ポスターなどの展示があった。三船敏郎の「男は黙ってサッポロビール」、のポスターも。1880年ごろ?の新橋に開いた日本最初のビアホールがそのまま再現されていた。大きなビールジョッキにあては漬物。昭和の時代の懐かしい酒屋の風景も小さ目ながら再現されている。

工場から日田の駅までコミュニティバスで行く。木材の名産地だけあって、バスも内装には木がたくさん使われていた。緑色の汽車のようなデザイン。木造というのは何か素敵だ。バスを降り、バスターミナルそばの食堂で昼食。さば煮定職、牛筋ラーメン、いなり寿司、あじ丼など。去年の別府駅前の食堂を思い出させるつくり。日田の駅前にはひな祭りに向けた、等身大の、顔を出して写真をとる板人形がおいてあったので、駅にいた女子高生に頼んで、皆が入った写真をとってもらう。ちょうど最後の一枚。

帰りの電車もゆうゆう座れる。指定席は不要。博多駅でもすぐ乗り継ぎがある。ただ新山口では4、50分ほど待った。あそこは待合室が吹きさらしなので寒い。電車では大戸君の後輩がいた。無事湯田温泉駅に到着。お疲れ様でした。一泊だけどとても楽しい旅でした。

 

 2005・6・27 ソフトボール大会の打ち上げ

 

 日曜日、ゼミ連主催のソフトボール大会の日だったが、朝から雨と曇りの繰り返しで中止。しかし、気を取り直して夜は打ち上げ。ゼミ生たちの探した話笑留(はなえる)という道門の店。日曜夜で道門は人通りほとんどなし。店には他に二組のなじみの客あり。2時間、皆、若い元気さで飲み、食べ、話した。一気飲みもしていた。あまりにも楽しそうで、私それ自体注意できず、声の大きさのことだけ、ウェイトレスさんに聞いてから、少し小さくするように注意した。

終わる少し前、各テーブルを回り始めてから、S君としばらく話した。好きな歌手の話。尾崎豊のこと。ジャニス・ジョプリン?のこと。S君の姪がとてもかわいいということ。携帯の動画を見せてくれた。どう生きたらよいか。自分の生き方を忘れないようにすることが大切、ということ。お金と100万ドルの話。生きるのに必要なお金と、不要なお金を求めて自分の人生を誤ってしまう危険性について。など。

大学の先生の研究には二種類ある。生きる目的、目標について考える研究と、ある目的、目標を与件として、それを実現するために必要なものをどう効率的に作り出すかについての研究と。私たちは、普段、目標についてあまり考えないで生きている。もっと考える必要がある。どう生きたらよいか。もっとしばしば考えるべき問いである。

 

 

2005722日 学年対抗スポーツマッチ

 

今日はいよいよスポーツマッチ。2週前ぐらいにアナウンス。1週前に梅雨明け。ぐんぐん暑くなって、今日も晴れ。熱射病、熱中症が気になる。朝アルクでスポーツドリンク、お茶を6リットル買う。開始すぐ前には宮永さんと小松さんに手伝ってもらって、置き忘れの傘を集め、ドリンクと一緒に会場へ持参。1年チーム6人、プラス3年から3(赤木・池田・石川)補強。3年チームは私も入って9人。暑い。だが皆、わくわくした様子で集まってきた。5回戦。1年チームリード。3年チーム追いつく。だが最終回、1年チームの逆転。1815。シーソーゲーム。一方的ではおもしろくなかったかもしれない。ドリンクはほぼ飲みきられた。傘はほとんど使われず。すぐ次の時間にはミクロもある。きわどいみんなの都合を縫っての大会だった。しかし、…体を動かすのは楽しい!このあと7時からは20人ほどだんだん茶屋打ち上げ。

 

2005723日 同、打ち上げ

 

昨夜は打ち上げ。だんだん茶屋は人気のある店。(石川君:しかし、経営はなかなかどこも厳しいようだ、と。)3200円で飲み放題と料理。あと20人ほど4000円分追加。3400円ということ。ただ飲み物がピッチャーで23杯残った。残らないようにすべきだが。女性は足を下ろせる座席にすべきだった。これも反省。乾杯、歓談、そして自己紹介、そして再び歓談。お酒が入ると垣根が取れ、13年は席を動いて交流していた。これがお酒の効用か。自己紹介では用意していった3年のプロフィールの紙が役立った。スポーツを中心とした趣味、所属クラブを記入したもの。私も中学以来のスポーツ暦を記入。飲み会中に女性から電話が来た3年生も。内容を皆にも紹介していた。紹介時、皆、「喜び、悩み、希望」も簡単に話した。1年生は、無事卒業したい、という希望が多かった。3年生もマクロを今度こそ取りたい、または彼女が欲しい、というものもあった。終了後、少しのみ過ぎた1年生の回復を店の前でたむろして、話しながら待つ。450分もいたようだ。最後は女子が一人だけで帰ることのないように1年生に伝えて解散。

開始前、みなの集合を待っているとき、3年山本君に今年は演習1を取らないとしかと聞かれた。これまでは32回の開講にして来たが…。しかし、基礎ゼミでは皆非常に良い発表をしてくれた。希望者には、できるだけ、続けて教えてみたい。彼らの成長を続けてみてみたい。考えてみよう。

 

20051114日 ゼミ連ソフトボールマッチ

 

12日はゼミ連主催のソフトボールマッチ。3年ゼミと基礎ゼミが参加。私は3年ゼミで参加。前日は雨だったが天気は回復。前日遅くまでアルバイトをしていた学生や、前日寝ていないという学生も。しかし、それでも皆元気。5回戦って、32敗。基礎ゼミも32敗とのこと。私たちの1敗は不戦敗。時間を間違え集合時間に間に合わず。二敗のあと調子はだんだん上向く。5回できるとスポーツをしたという気になる、一回が30分の試合でも。そして何より天気がすばらしくよかった。途中で待ち時間にはみんなサッカーで遊んでいた。池田君、深江君はバレーに加わっていた。よい一日だった。よく日曜日は疲労がどっと出たが。今日は英語の授業に、石川君から大会のあと9時間バイトをして体調を崩したと連絡あり。私もまだ節々が少し痛いようだ。今日は最終授業を終えると外はもう暗い。地軸の傾きが影響している。北欧はもっとずっと夜が長くなっているのだろう。

 

 2006/4/29 2年ゼミ生・懇親会

 

金曜日の夜8時―11時。だんだん茶屋にて。光井・上田君の予約。日本人学生8人、私、仁荷大学からの留学生、チョンインさん、ヒョンジンさん、そしてソン君(尹ゼミ)が参加。新年会、卒論発表会のあと、3回目の2年ゼミの懇親会となった。卒論の時はあまり多くなかったので、実質2回目が多い。三人を大学から案内し、湯田駅まで、そして駅で岸川さんと合流後会場まで歩いた。途中、家々の軒下にある花、小便よけの神社のマークの説明などをしながらゆっくり歩く。維持ちょうどに始まって3時間。楽しいひとときがにぎやかに過ぎた。みなよくうち解けて、和やかに飲み、話していた。とにかく楽しそうであった。日本酒の熱燗がちょっとしたブームになり、10本ほども並んでいたのは驚いた。

お酒は心を開く助け、交流を助けるときがある。この日は大いにそのような日となった。

 

2006/8/4 前期末試験終了記念懇親会

 

金曜夜79時、だんだん茶屋にて。2年生(岸川、小松、チョンイン、ヒョンジン、山根、実光)6名、4年生(深江、渡辺、石川、鷲見、安田、福山、赤木)7名。同室後ろでは橋本ゼミがやはり懇親会。歓声ではあちらが勝っていた。実は事前にカラオケをしてから行こうと呼びかけたが希望者はなかった。聞くと4年生など、アルバイトなどで忙しい時間帯とのこと。ビール、チューハイでからあげ、ピザ、ポテト、チヂミ、揚げ出し豆腐、チャーハンなどを楽しむ。4年生で就職が内定しかつ単位も取っている者は、時間がある。就職後のための勉強をしていたり、アルバイトをしたり、夜は長時間ゲームセンターに行ったり。とにかく時間が余って困るという者も。気がつくと4年生は全部男性、2年生は6人中4人が女性。チョンインさん、ヒョンジンさんも楽しそうに歓談している。私は酔うとともに、4年生に「たばこはやめた方がよい」とお説教をしたり、歌を歌ったり。橋本ゼミが少し早く終わった後はいろいろ歌を歌ってしまった。いつも思うが、この未成はもう少し食べるものの量が多いと良い。若者たちは最後の340分は食べ物がなく、ひたすら飲むことになる。ここ料理自体とてもおいしいのだが・・。(食べ物で余ったのは昨年末の相撲茶屋だった。)

終了後どうしようかと言うことになり、岸川・小松・山根・実光君らとカラオケをしに近くのわいわい村へ。店で野原君、宮永さんが合流。受付にやはり昨年度基礎ゼミの奥村さんがいた。店の従業員の写真には山本君も写っている。湯田の飲食店は山大生で持っている(?)。私はスタンド・バイ・ミー、スローバラード、僕が僕であるために、愛の賛歌を歌った。声を張り上げて歌った。気がつくと声がかれている。若い彼らは椎名林檎、EXILEなど、新しい歌をたくさん歌っている。彼らがよい歌を選んでいることもあるのだろうが、これらの歌詞はとてもよい。若さの中でその時代でどう生きていくのか、悩みがんばろうとする気持ちが表れている。自分の気持ちをそのまま表そうとする。その姿勢がよい。以前から、学生たちとカラオケに行くとこのことをよく感じた。12時にお先に失礼した。4時間を予約したので、彼らはまだ2時間歌っただろうか。夜に強く、朝に弱い、大学生の特権である。(野原君は明日朝8時からバイトといっていた。大丈夫だったか?)

 

2006/11/10 急に思い立って鍋をする

 

昨日2年ゼミのあと、ゼミ生の一人が「鍋をしたい」の声があった。今日の夕食は一人の予定だったことと、この「鍋」のイメージが重なり、ゼミ生に急に呼びかけた。6人で鍋を囲み、歓談。4年山本、2年小松、山根、実光、研究生の夏、そして私。6時からアルクで買い出し。5000円ほどのうち山本君が千円差し入れてくれる。二回の会議準備室で料理開始。明日は会議室で職業会計人コース関係の集まりがあるとのことで、そちらのいすが大量に準備室に。それをいったん戻してスペースを作る。夏さんはアルコールなし、牛乳で。6時に小松さん、山本君が来たとき、ちょうど夏さんも読んであり、日本語の学習の進展度は急遽鍋をしながら話すことに。買い物、料理に関して、アルバイト経験を生かした山本君の知識に驚く。(肉類の半額、野菜の外皮などについて。)7時頃山根、実光君が合流し、開始。たれは6人に二袋でちょうど適量だった。鍋は大きく、立ってのぞき込まないと中身が見えないほど。

いろいろいろいろ、話す。私が若い頃「ひも」だったとの話も。(^_^;)この言葉を夏さんにどう説明するかで日本人学生が少し頑張る。他、大学(山大、経済など)の話、バイトの話、「髪を切る」(イチゴ白書)の歌(これは歌う、酔うとやはり歌が出てきて・・・。)終わり頃、山下先生が冷蔵庫を開けに来て、山本君と掛け合い。   

職会については、山本君から厳しい意見。材料費ということで多額を集め、しかし卒業時に合格できている人は少数。就職活動もできずに卒業。大学の「道楽」というような声も学生の間にはあるという・・・。

夏さん、急に日本語学習の成果が出るわけではないだろうが、小松さんとうまく学習関係ができているようだ。安心。

10時、終了。片付けをして解散。雨が降っている。夏さんは学校から10分とのこと。傘なしだが風邪は大丈夫だったか?私も研究室の傘は家においてきたので、レインコートを羽織って自転車で帰宅。ズボンがかなり濡れる。歩く手前で、そういえば、と心配になり、一度引き返す。ガスの元栓。大丈夫、ちゃんと締めてあった。学生たち、そこはしっかりしている。

・・・と、こうして書いているのは翌朝。家から大学までまた自転車で来た。昨日は睡眠時間が短かったがかなりすっきりと起きることができた。いつも顔を合わせている人たちと、たまに一緒に食事をし、歓談することは、人間に力を与えるのだろうか。動物としての人間によいことなのかもしれない。途中松屋で暖かい朝食を取ってきたことも今の元気を生んでいるのだろう。またこのような機会を持ちましょう。

 

2006/12/21 ゼミ忘年会

 

ワイワイ村で開催。2年の松田さん、光井さんが幹事。小松さんも予約に奮闘してもらう。この予約がかなり大変なのですね。人数が変動するので、また、今回は加えて、店の都合で、当初の開始時刻がどんどん代わり。小松さんご苦労様でした。

2年、4半々ぐらいづつ、計10数名。鍋がでーんと三つあり、他に刺身、揚げ物など幾皿も。だが食欲旺盛、男性だけの4年生のテーブルはすぐに食べるものが尽きた。枝豆だけ追加したが、まだ足りなさそうな様子。Mさん、お酒が足に来て、終了時歩行困難な状態。カラオケで3時間ほど休んでから、(2年の他の皆は歌って時間を過ごす)帰宅したとのこと。私も帰宅後、寝ていても少し心配が続く・・・「大丈夫かな?」。翌朝8時半頃、電話で元気な声を聞いて一安心。「もうお酒は飲みません」と、反省の言葉。(^_^;)

忘年会、○○会、・・・飲み会とは何だろう。結局、社会で活動をともにしていると、いろいろ、話したくなることがある、それを、食事をしながらする場、ということでしょう。ゼミも1年、2年、3年と、結局は3年間をともにすることになる。するとやはり、話したくなるのだろうね。ただ、学生でお金があまりない、また、(それもあって)アルバイトも多く、時間調整が難しい、など、これを開くには障害もあり、それゆえ工夫とエネルギーが要ります。

その直前2時間、カラオケをした。ひさびさ。2年生3名と研究生1名と私。研究生の夏さん、中国語の歌、メロディーがきれいな歌を数曲歌ってくれました。若い2年生たちは、さすがカラオケ自発的参加者だけあり、歌がうまい。キーの調節も慣れている。比べて私はキーが合わず、つまり練習不足で、声が出ない。そして、部屋の狭さに比べて音量が大きく、最後は耳も身体も疲れ気味。それでも歌った歌はたくさんでした。Alfie, Leaving on a jet plane, Raindrops keep falling on my head, 心の旅、スローバラード、僕が僕であるために、・・・。途中からは若いみんなに圧倒されっぱなしの、終わったら、もう半年カラオケいいです、というくらい堪能した2時間でした。

 

2007・12・16 ゼミ忘年会 3年生 村さ来

(評価室の仕事が多忙で、表題のみ。)

 

2007・12・21 ゼミ忘年会 4年生 D205

(評価室の仕事が多忙で、表題のみ。)

 

 

2006213日 卒論発表会

 

4時から6時まで。インフルエンザなどで直前に3名欠席の連絡あり。今回の発表者は4名。藤井・大戸・高守・佐伯君。パン屋の経営、成功する産業、医療保険、そしてビジネス書。どれもよいできだった。産業論では、観光産業は第3次産業ではないとの指摘あり。これは本当か?驚きだ。佐伯君はパワーポイントを上手に使って報告。漫画を取り入れて、難しい話がわかりやすい。3年の渡辺君、聞いていて自分の卒論が恥ずかしくなったとのこと。ショックを感ずることは悪いことではない。ただ、感じすぎないように。自分のテーマを、恥ずかしくないものに続けていくこともまたよいのだから。

そのあと懇親会。22名参加。ほぼ半数。バイトで直前に1名欠席。相撲茶屋までバスで送迎。よい料理。健康的料理。これはよいところを見つけた。時折、明日の病院での検査が頭をよぎる。1時間ほど食べたあと、あちらこちらで車座になって話している。宴会場でカラオケあり。最初に山本君が歌い、次に佐伯君が北海盆歌、そして山本君と3人が歌い、次に私。最後の30分はしっかり二曲歌ってしまった。Stand By Meと僕が僕であるために。ちゃんこは食べがいあり。楽しそうだ。あの若者たちが食べ残すとは。結局一人2700円ほどで収まった。おつりの6千円余は二次会へいく人に渡す。若いので夜が元気な人が多い。

 

2008516日 基礎ゼミ懇親会・花火レク

 

この前に、フレセミでドッジボール、ゼミで一回ソフトの練習をした。

 

ゼミ生何人かの発案からすぐ実施となった。大学そばの八剣伝。7時―9時過ぎまで。19名中17名参加。三つのテーブルに分かれて開始。私のテーブルのみなは飲める人たちだそうだ。部活、クラブなどで経験の多いものあり。乾杯の時まずジョッキを一気に飲み干すもの一人。私の成長記録4枚を持参し見せる。人間の成長と成熟、そして老化への道がわかる。若い時の外見、なかなか良いとの声あり。名前を覚えるため簡単な似顔を書く。三土くんは隣の山本君が描いてくれる。全員を描いた。と言っても顔の輪郭と髪型だけ。瀧末君、非常に酔う。頭が大きく揺れ、みな心配する。水をたくさん飲むよう言う。彼、飲む。1時間ほどか横になった後、ほぼ回復した様子。早い。良かった。山本君もかなり酔う。柔道をやっていた、日本酒が好きなもの、剣道をやっていたもの、サッカークラブを最近やめたもの、いろいろ歓談する。私はジョッキ2杯と日本酒5合ほど。かなり酔う。そして話した。しかし楽しかった。食べ物がなくなったころ5千円カンパし追加。終了後ふしの川の河川敷で花火。ダイレックスで買う。迷惑にならぬよう注意して実施。川際まで寄る。打ち上げ花火はなし。360本、一人20本あたり。線香花火もたくさんする。なぜか、森山直太郎のさくらを歌う。歌詞がすぐ途切れ、しょっちゅう助けてもらう。さて、終わった。花火の抜け殻を集める。月がきれいだ。帰り道の注意をする。女性の帰路、ゼミ生たちで配慮する。私は自転車で少しフラッとして橋を渡る。「先生が一番心配だ」との声、後ろからあり。・・・が、もちろん、無事帰宅。

次への元気が出る懇親会になったと思う。これは100点、まではいかぬが、…90点の出来。

 

2008613日 2年ゼミ懇親会

 

65日にゼミのレクでバドミントン。経験者が山本君、倉田さん。(羽田野君も?)私は張り切ってしまったが、慣れない人は暑さと疲れで大変だったようだ。

さて、13日は懇親会。おしゃれ茶屋にて。会費3500円。私は久しぶりのお店。料理はおいしく、私は生ビール中ジョッキを4杯。3時間半の歓談。皆のいろいろな話を聞けて、私も少し加わりながら、楽しく歓談できた。沖縄にバンプ・オブ・チキンを見に行く人も二人。寮で妻と知り合った話も。最後に枝豆を追加で頼んだが、もう皆結構お腹がいっぱいの様子。余りは頂いて帰った。山本君、心地よさそうにしばらく眠る。

 

200812115 基礎ゼミ特別ゼミ+懇親会

 

基礎ゼミ生と研究室で特別ゼミ。2週前とあわせ、これでほぼ全員。食事をしながらゼミ活動の反省と展望を話す。中心は個々人のそれ。ゼミのこと、友達作りのこと、いろいろな考えが出る。私も、恋愛について経験を交え話す。酔いもあり、昔の応援団のときの真似事も。あとになると酒量が少し行き過ぎていたが、しかし、進級していく彼らに少しは参考になることを話すことができたと思う。

 

2008・12・17

 

4年ゼミ生の忘年会。山本君も参加。馬原君は就活で残念ながら欠席。おいしい料理とお酒を楽しみながら歓談。今年の反省・思い出と来年への希望を一言ずつ言ってもらう。一言ずつ、よいことが聞けました。山本君は2年先輩として、また、職場でしっかりアルバイトをしている経験、また他の人生経験も生かして、4年生に参考になる話をいろいろしてくれた。皆楽しそうに聞く。よかったです。(今日飲みすぎないで楽しめた。ミルクティーも良かったようです。)

 

2009・2・10 卒論発表会後、1,2,4年生合同懇親会

 

発表者が7名だったので今年は午後のみで発表会終了。皆、あまり疲れも大きくなく終えられたと思う。わかりやすさの点で若干の違いはあっただろうが、平均して、発表の内容、方法、また一段と改善されていると思う。質問と回答も、追加の勉強になったと思われる。次回はもっと多くが参加できるような日程にしよう。終了後、記念写真。

7時半から懇親会、つぼ八で。店長さんを山本君は知っているようだ。4人ずつ6つのボックスで。各学年からボックスに入り、卒論の話などいろいろ学年間の交流ができたのではないか?私は偶然小松さんと一緒のボックス。他、水城君と陶山君。須山君はこれも偶然、昨日話したばかり。4年間を通じてよく一緒に飲んだ。活発な話ができていたようだ。おいしい料理、お酒。ほろ酔い状態で各ボックスを少しずつ回った。無理に参加しないようにとの連絡を受けてきた人たちなので、また、一気飲みなどもなかったので、酔い過ぎた人もいなかったようだ。私が一番酔っていたかも?カメラがないと皆に心配をかけ、結局胸ポケットから出てくるほどの酔い加減。結局、こういう席では、談論風発と言おうか、いろいろなことを、思いつくままに話していても楽しい。不思議なことだ。昨年も私は歌っていたようだ。今年も期待している人もいたようだが、ボックス別のこともあってか、全員向けの歌はなし。一つのボックスで、「漕げよマイケル」を少しだけ歌った。またの機会に、たくさん歌いましょう。終わり際に4年生からの寄せ書きをいただく。ありがとう。皆無事で帰ったかな?店の外に出て、簡単な一言を言ったが、多分、無事に家に帰ってください、と言ったと思う。

今日は212日。春の感じがする。温度が高い。4月下旬の陽気だと言う。朝、もやがかかっていたが、その中を自転車で近所を走り回ったとき、白と赤の梅の花がもう咲いているところが2,3箇所あった。これから本格的な春になっていく。

 

2009・8・6 試験終了・良い夏休みを、パーティー

 

22名、39名と私で開催。試験が速めに終わった人、バイトを動かせない人などがいて、今回はこの人数で実施。

主菜は鍋。鳥、豚、ウィンナー、豆腐、そして白菜、きのこ、そしてうどんなど。ビールとチューハイ、ジュース、お茶。お菓子も。一人1000円でした。

準備に2時間、パーティー1時間半、後片付け20分ほど。私は久しぶりにギターを用意。五藤君はエレキがメイン。アコースティックギターはちょっと弾きにくそう。ビールの銘柄宛クイズを女性たちに問題を作ってもらって実施。6銘柄中、56位は当り。(おいしいと思われる順で。)234位は一つづつ過小評価。1位は4位のはずのビールでした。次は日本酒をやってみるのも良いかも・・・強すぎるかも。1970年代前後のポップのテープを流した。ビートルズやビリー・ジョエルや、そのほかいろいろいろ。材料、調理したものを余らせないようにと期待し、最後は何とか、(ちょっときつかったですが)、ほぼ食べ切りました。飲み物は数缶余り。

買い物をしてもらったり、作ったり、片付けたり。自分たちでやるのは体を動かすのが楽しいですね。でも、その分、メニューや飲み物ののバラエティーなどは難しい。この、梅雨明けのサウナのような日だったのですが、鍋!したから。

帰りは歩いて帰るつもりが、効きビールが少し効きすぎた様で、アルクまで歩き、そこから家族の車に乗せてもらって帰宅。翌日の今日、体調よし。オープンキャンパスのミニ講義も大丈夫でしょう。

同学年、違った学年の人たちがいろいろ話したり、知り合ったりする機会になればと思います。(無理はしない形で。)

 

2010・8・10 2008年基礎ゼミ生有志と懇親会

 

わたみん、にて。以前パチンコ店だったところか。中野、福田、藤村、荒島。そして岡本、山中、山本、私。

若い皆さんと楽しく話す。途中で席を交代してまた話す。現在進行形の恋愛の話、相談。それにこたえる意見、それに感心する意見。3年の半ば。もうすぐ進路の話が多くなるだろう。研究者もいいよ。いいですよね。どうやったらなれるですか。そんなこともいろいろ話す。

皆さんがこれから幸せな人生を送っていけるように。また、こんな風に友達同士でいつも話ができるように。

 

2011・2・11

 

卒論発表会

 

2011・3・24 卒業式を終えて

 

おとといが卒業式。卒業記念パーティー。今回のパーティーは学生会費1000円で参加者多数。後援会の援助が多く、学生たちは助かった。当日先輩たち最後に花なき山を歌って終了。後援会の方々は控えめで好感が持てた。最後の苦言(先輩たちが立っているのに自分たちだけ椅子を持ってきて座っている、たばこを吸っている、それでは社会ではやっていけない)良し。あの学生たちもわかってくれただろう。昨年までは会費は高く、老人の主張は多く、と感じた。今年は良かった。学生たちはゼミ単位でテーブルに集まり、そこで話し、他の友人たちとも歓談し。すがすがしいものだった。

この学年も3年が過ぎた。巣立ち。どんな社会人になっていくだろう。(撮り続けた写真をいつかウェッブにアップしなければと思いながら、まだしていない…。)

 

2011・6・21 基礎ゼミ懇親会

 

昨日は懇親会。一番鶏、3000円。二人は参加できず。次回できたらよい。

料理、飲み物、ちょうどよい分量。飛松君、坂田君の秋吉への自転車高の話を聞く。民家のトイレを借用したこと、タイヤがパンクしたこと、急坂を早いスピードで下ったこと。村田君を奥田君と間違えてずっと呼ぶ。坂田君のお兄さんの話を聞く。大学が決まって、お酒をたくさん用意し、自分がどこまで飲めるか試した。先輩に強要されても自分の限度はここまでと断れるように。この経験は教育の一環として必要だ。本当は20歳まで飲めないが、実際は飲む。ならば18歳まで引き下げ、高校卒業時に上の試飲をしておく。今回二人が一気をし、ちょっと心配したが、それ以降はなく大丈夫だった。安田君はあまり酔わない体質。かなり飲んだがほろ酔い程度のようだ。菅光君は少しでかなり酔う体質。自分の体質、体調を考えて、楽しく飲むことがベスト。全体として、かなり楽しい懇親の場になったのでは。二次会の人は数人安田君宅で。朝1コマのある人は遅れないように、と希望。

解散後アルクへ行き、買い物に付き合う。その後湯田温泉まで歩き、タクシー。夜少しきつかった。歩いたことか、遅くなったことか。次は注意。

さて、まだまだ梅雨の最中。体調不良の人も多い。これから暑くなるだろう。

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2011・8・5 基礎ゼミ、2年ゼミ合同ゼミ・懇親会

 

5日は合同ゼミ。原発の賛否を問うディベート。7割が反対に座る。結局、議論の到達点として残った問題は、再度の原発事故の危険を冒しても現在の生活水準を保つための経済活動を求めるべきか、となると考える。(逆にいえば、今の生活水準を求めるために、再度の原発事故の危険を冒すべきか、である。)この比較のためにはこの事故のリスクの大きさと、また、原発を止めたときに実現する生活水準を正確に知ることが必要である。後者には代替エネルギーの可能性を知ることも必要になる。これら三つを正確に知ることが課題である。そのことがはっきりしたことが今回の成果であった。そういってよいのではないか。

6時半―9時、一番鶏でお疲れ会、懇親会。行ったそうそう、「一番鶏へ一番乗り」とダジャレを言う。溝口君ら、苦笑い。1年生今回2名参加。私は2年生とは初めての懇親会。前回松山君が大変だったと聞いたので、みんなのペースには気をつけようとした。今回は皆元気に終了したようだ。しかし、私と学生との年齢差は毎年一つずつ大きくなる。「年々歳々学生相似たり。年々歳々教師同じからず。」20数年前とは違うのだろうな、自分にとっての自分も、学生にとっての自分も。しかし、楽しく過ごせた。いろいろ話し、適度に酔い、料理もおいしく。学生たちが楽しそうに話をしている姿が良い。良い笑顔で。(さて、今日7日はオープンキャンパス。台風接近の影響で朝方は雨が少し降ったが、今は晴れた。中村さん、河野さん、松山君。今日は大役。がんばってください。)

 

2011・2・14 卒論発表会

 

 

大学会館で1時―7時前まで。40名ほどの参加。(就活、体調等で数名欠席。)その後懇親会、124年、各10名ほどずつ参加できた。一番鶏で。

○去年は印刷、出欠など3年生に手伝ってもらったが、今年は私が多忙で頼む間もなく、自分で全部やったので、やや大仕事。終わってホッとする。来年は計画的に学生たちに助けてもらおう。

○懇親会はまた楽しいひとときとなった。今年も発表会が良かったせいだろう。

4年生の数名と1年生の数名、また、後で後ろの列の2年と1年の数名と話せた。卒論発表会の時に浮かんだ感想、質問などを飛田さんや正田さんに話し始めたが、賑やかな中ではなかなか伝わりにくい。皆賑やかに歓談している様子。基礎ゼミの伊東さんが元気そうに働いていた。帰りに一言あいさつ。

ただ、松山君と徳重君、かなり酔いが回ったようだ。友人たちが介抱。明朝は二人とも元気に連絡がきて一安心。楽しいがお酒は自分も、回りも気をつけねば、気をつけてあげねば。まだ飲み始めの若い人たちと飲むときはとくに。

☆帰りのタクシーでは、当たり屋にぶつけられた経験を運転手さんが話してくれた。かなり熱が入っていた。その時の警察官の助言が、(右へ)曲がろうとするときは、曲がり始めにもう一度ブレーキを踏むこと。そうすると(相手がぶつけたくても)ぶつけられないですよ、とのことだったそうだ。

○さて、発表会。あらためてメモを振り返り、いくつか感想を記そう。

・河本君の発表を聞いて。口頭発表の原稿。読みやすい。オバマ大統領などがなぜ演説で人をつかむのか。なぜよい演説、会話、話は人をつかめるのか。(この辺は福村君のリーダーシップ論と少し関係しそうだ。)そもそも話、会話、口で物語ることは、話す内容を自分で分かっていないと続かない。できない。だが文章はわかっていなくても書ける。文字は書ける。自分自身が分かった気になる。分かった気にさせる。話し言葉はごまかしがきかない。話し言葉で書くことは実は非常に良いことかもしれない。

・陶山君の発表を聞いて。消費税への賛否に関して、浮かんだ感想。実は国民は税でなく自分で使いたいものなのか。自分で使うと直接自分の満足につながる、それを増やせる。自分の欲しいものを自分で買うのだから。だから、「遠くの人(政治家)に使ってもらう」よりは自分で使う方が、自分の満足に直結する。だから、税は少なく、可処分所得は多く、の方が良いと感じる。こういう判断はよくあるだろう。だがそれでも私たちはある部分で税を払うことに納得もしている。それが回りまわって自分のためになることを知っているからだ。この二つの感じ方はその国の国民の税の使い方に関する経験で違うだろう。税への支持が日本では比較的低いとすればそれはこの経験の違いから、つまり、税収が自分のために使われているという実感の弱さからくる部分が大きいだろう。 

・何人かに関係する感想

法人税について。税を考えるとき、そもそも法人とは何か、そして企業の儲けとは何かという疑問が浮かぶ。企業は人の集合体として、リヴァイアサン(人間個体が無数に集まってできる巨大な人間体)の小さなもののように動いている、行動している。だからそれ実質人だ。だがその人たちは入れ替わる。国家もそうだ。日本国歌というものは存在するが、その構成員は絶えず少しずつ入れ替わっている。構成員は入れ替わるが、企業は、国家は続いているように見える。だから大きな人としての法「人」。だが、人が入れ替わると、それ名前同じでも実体は違っていくかもしれない。短期間では人は入れ替わらなくても、その人たちの考えが変われば同様だろう。この辺正田さん岡本君の卒論、ワークライフバランスを、ジェンダーの公平性を、国民が、そしてとくに企業が実現していくことと関わってくるだろう。

今、利益に課税されている。消費税は利益でなく取引そのものに課税される。消費税がない時は、利益が上がらない企業、損をした企業は税を払わなくて済んだ。今は払う。大きな違いが生まれている。その意味で企業にとって消費税は人頭税のようなものだ。生きているから払うというものだ。 税とは、利益を得るから払うものか。生きていれば貧しくても払わねばいけないものか。どちらか、あるいは両方か。

利益から払うことについて考えよう。金持ちの利益は大きいと言えそうだ。財産がたくさんあり、国防や警察で守ってもらう額が大きいからだ。貧乏人は守ってもらう利益が小さいことにある。これが正しいと、富者は多く、貧者は少なく税を払うことが正しいことになる。だがそれでも富者が多く払うときの払い方は二つ考えられる。一定比率の税率か、累進税率か、だ。累進税率の根拠となりうるものとして、限界効用逓減がありそうだ。高所得者の失う10万円は低所得者の失う同額のお金よりも「痛みが小さい」から、高所得者からはたくさん集めても良いのだ、という考え方だ。この議論の焦点はこの時の痛みの内実だ。つまりは限界効用説の当否だ。さてどうだろうか。

・飛田さんの発表を聞いて。たぶん私たちは同じ商品ならCSRの質が高い企業のそれを選ぶだろう、環境への配慮が大きいとか、食品の安全への配慮がしっかりしているとか。それは社会全体に、つまり自分もそこに含まれる社会に、さらに大きな利益を与えてくれるからだ。同じようなスーパーなら、そういう店から買う方を選ぶことが多くなるだろう。その違いは積もり積もればかなりの違いになる。 / 企業は人間の集団。だから法令だけでなく倫理も大切にすべきだとの考えについて。確かに企業にとって利益、利潤は重い。赤字だとその店は間もなくつぶれる。だが黒字でも、法律は守っているがそれ以上はしようとしない企業はしようとする企業と比べればその点での魅力は小さくなる。もしその店が法律にしたがっていても多くの人がその法律はどうかなと危惧を抱くような法律である場合、そこではむしろそれを控える店の方が魅力は大きいだろう。企業も実体は人間である。人間は法律さえ守ればよいわけではないというのが国民の、消費者の立場にいる一人一人の感じ方だろう。ハッピーでないのにハッピーなCMは作れません、という言葉を遺して自殺した著名なコピーライターがいた。彼の事件はこんなことと少しつながっているかもしれない。

・正田さんの発表を聞いて。男女、労使、どちらが人間の相互尊重を実現しやすいだろうかという疑問が浮かんだ。きっと男女だろう。それは生身の二人の人間として直接話し合える。(もしも相互に話ができない人間は言葉を持たない動物に戻ったと同じで、暴力で相手を従わせようとするか、他の人々から離れようとするか、どちらかだろう。人間はその状態を抜け出して来たはずだ。だが時に、どれくらいだろう、千人に一人ぐらい?暴力をふるってしまう人がいる。毎日、新聞に暴行事件が載る。それを抑えられない、抑えるように育てられなかった人が実際にいる。(自分を抑えられない弱さは自分にも多少はある。先日も交差点で、黄色から赤に変わったのに前の車について無理に渡ってしまった。こんな自分の近視眼的行動を抑えるのは教育の力だろう。お互いに抑制しあっていかねばそれは暴発してしまう。

ワークライフバランスの実現について。個人労働だと自分で働き方を決められる。だが複数になると、集団になると、さあ、これが難しくなる。人間集団は本当に大きくなってきている。いわゆる大企業では何万人もが一つの意思決定のもとに働く。それは一つの目標、「利潤の最大化」という行動基準で行動する。社員はそうして実現した収入から自分の賃金をできるだけ多くもらって、それを使ってその後自分のしたいことをする自由を最大化しようとしてそこでの協力を行っている。彼らの活動は手段と目的に分離される。目的地までは、道端の草花を蹴散らしながら、できるだけ早く着こうとする。その後に待っている楽しい自分の生活を、おいしい食べ物を、面白いエンターテインメントを、楽しいスポーツをしたり見たりすることを想像しながら。(何か、いわゆる酒池肉林の王侯貴族の生活が浮かんできた。)だがそこには生活の分離がある。気持ちの分離がある。早く終わらせたい時間と、できるだけ長引かせたい時間と。こうした分離は、本来分離すべきでないものに対して起こっているのか。それとも正しいことなのか。

・岡本君 これは岡本君の労働とジェンダーを聞いて浮かんだことにつながる。人間はできれば働かないで、楽しみたいものなのか?確かに労働時間は短くしたい。そしてそうしてきた。ではゼロになったらどう感じるか?・・・いや、そもそもそうはならないだろう。そんな夢のようなオートメーションは、まさに夢であり、不可能だろう。だが「4時間労働」ならどうか。そんな日がいつか来るかもしれない。その可能性はありそうだ。朝8時から12時まで働く、あとはフリー。自由時間。そうなったら私たちの幸せはどれほど増えるだろうか?本当に増えるだろうか?

・福村君の発表を聞いて。組織には確かにリーダーが必要だろう。それは自然に発生するものだろう。複数で行動するとき、ある人にリーダーになってもらった方みんなより幸せになれる。その時リーダーが生まれる。

・尾銭君の発表を聞いて。死刑が残虐であると国民が判断すれば死刑は廃止される。憲法の手続きはそうなっている。この時、残虐とは何か。死刑はすべて残虐か。それとも残虐でない死刑はあるのか。私たちはこの点をどう考えているのか?そもそも考えているのか? / 1%でも社会に責任があるとき死刑いけない、について。または、冤罪の危険があるとき(それは必ずあるだろう)死刑はいけない、について。これは大枠では正しいように感じる。

 

2014123 4年ゼミ新年会

 

(今これを書きながら上の記入を見ると、やはり文章というのはときの懐かしさの記憶をよみがえらせてくれる。記録することは良いことです。でもなかなかこの間できなかった。多忙だったのか。)

 

7時半から魚民で。10名+河村・塚田。昨年末のゼミで新年会とカラオケを私が希望したので、ここを取ってくれました。おもしろい部屋。子供も一緒にいながらカラオケもできる、家族向けの設備。時刻5分ほど前に到着。私が一人目。若い女店員さんは、済みません、まだ準備ができていなくて、と、多忙そう。また、鍋が二つ入るので、部屋がかなり暑くなります。ドアを開けるときカラオケ使わないように、外に聞こえるので、とも注意してくれる。

次に来た松山君にカラオケ機のセットをお願いした。マイク三つのうち二つは使えないようだ。後で故障しているとわかる。(これはお店としては直しておいてほしい。)一人欠席。会費4300円は飲み放題分が返るものではないとの説明。これにはみんながっかり。私も。

乾杯で開始。昨日の教授会後飲み会に続く。でもおいしいビール。開始後すぐ歌を始めた。上を向いて歩こう。学生時代。♪悲しみは雲の上に~、悲しみは星の陰に~♪採点もついていて皆80点とか、90点とかが出る。森山直太郎のさくらとRCサクセションのスローバラードで100点が出て自分でも驚いた。高橋さんや河野さんの方が絶対うまい、完成度が高いのに9596点なのは不思議。機械の採点基準が私たちの感じ方とは違うのでは??私が機会に好かれたのでは。Fair? Am I the Karaoke machine’s favorite? 河村先生も楽しくいろいろ歌っていた。美空ひばり、島倉千代子、天城越え、などなど。男子学生たちも徳重君、松村君、奥園君、酒井君、松山君、皆個性を出しつつ楽しく歌っている。吉田さんは滑舌が良く歌詞がはっきり聞き取れるのが良い。久保さんも上手に歌う。中村さんは心地良い酔い方の中で大きな振りで楽しく歌っている。女々しくて、と、ヘビーローテーションでは若者たちはとても元気に手を上げ、振って楽しんでいた。

歌はやはりよい。不思議なものだ。人間に幸せをくれる。また、前にもよく感じたことだが若者たちの好きな歌の歌詞は私たちの若いころと同じく、嬉しいこと、悲しい、切ないことなどをやはり歌っている。それが歌詞から伝わってくる。

楽しんでいる間にいつの間にか10時半ごろになった。玄関を出て一本締め。河村先生が、こうして見るとみんな成長したのだなとの感慨を述べた。私もいつも思う。4年生は12年生のときとはやはり違う。特に女子はその違いが大きいと感じる。そういうものなのだろう。このゼミでは数名が1年からずっと付き合いだった。4年間、3年間分の子供たち?

進路未確定の4名も良い進路が決まることを。

次は9日の卒論発表会だ。後輩たちも、報告者も、しっかり勉強しよう。

 

 

 


5:ゼミ生との対話から

卒論: 窪山君の、卒論を書いての感想(2002・1・17):「提出する今になって、もっと自分の意見を書けるようになりたかったと思います。こなす資料が多すぎて、それらを整理するのでほとんど終わってしまいました。」 → この感想はもっともでしょう。学部時代の卒業論文で、自分の意見を書けるようになるのは難しいです。関係する先駆者たち・論者たちが何を言っているのかを整理するだけでも大変なのです。これができて、残る問題点が何かを明らかにできれば、修士論文の水準に達しています。さらに、その問題点を解決できれば博士論文の段階に達しています。今、皆さんは、こうした学問の入り口の一階段を踏みあがることが課題なのです。でも、それは、それに続く高い展望台への道につながっているのであり、その一歩はとてもすばらしい一歩なのです。(塚田)
卒論2: 自分の興味のあるテーマをとことん調べてみる。それが大学での勉強の醍醐味だろう。図書館と先生はそれを助けるためにある、いる。大学はそういう側面を持つ。上ではそんな学部の卒論に求められる水準を書いた。すると、内容についてもっと具体的なイメージが湧いてきた。それは、いわゆる「5W1H」である。WhoWhen, WhereWhatWhy, How。これを徹底的に調べることである。みんなの場合は、それは多分「何が」、と、「なぜ」、が焦点になろう。いつ、どこで、どのように、は付随的、あるいはあまり難しくない問題だ。ただ「どのように」はどうも「なぜ」と重なる問題になるときもある。これは注意しなければいけないが。これを、自分がなぜその問題に興味を持ったか、に遡って考える。 ・・・たとえばごみ問題。「小学生のとき、ごみ拾いの活動をしたとき、ごみのことがいやに印象に残ったっけなあ・・。」「今でも環境を悪化させるものとして大きな問題のようだし・・。」「よし、一つこれを調べることをやってみるか!」これで、あなたは自分の調べたいことから何かを始めるでしょう。現場の状況観察から?住んでいる市役所で話を聞く、資料をもらうことから?環境とごみについての自分に合った本を見つけた!これを読もう、ということから?入り口はいろいろあるでしょう。そして、大切なのは、それはあなたが選んだ、あなたの問題。学生時代に全部わかるかわからないけど、自分はこれを知りたいだ。これこそ「知」の始まり、努力の始まりである。そして、一つのことをしっかりと研究した経験は、あなたがこれから生きていく生活の中で、問題を考え抜く方法を教えてくれるだろう。                                                                                     
授業: 大学教育の改善について 2002・1・17 後藤田君との対話から 現在の山口大学、経済学部の教育について・・・高校の悪いところを真似して、大学のよいところを殺しているのではないか?高校の悪いところとは、たくさんの科目を受験のために詰め込むところ。大学のよいところとは、専門的なテーマについて深く勉強できるところ。今の本学部はこの悪いところを実行し、よいところを実行していないのではないか?よくするためには、まず、わかりやすく教えることが第一歩。そのわかりやすさは、現実とのつながりを持たせることで、達成できるのではないか。産業論・・日本の産業の現状、どれがこれから伸びるか。証券論・・現実の証券の買い方。など。

田中君との会話から 2001・1・24 

教育について

 一方通行の授業はよくない。私も反省するところはある。私のテキストは少し難しい。学生がわかりやすいように工夫して教える必要がある。

 学生は、身近な問題から入るとわかりやすい。これからどう入るか?

 ゼミ選択について

 今2年生は1年後期にゼミを選ぶ。学生の情報は、授業概要のプリント、受けた講義(これで教官に関する多くの情報が入る)、先輩からの情報、がある。だが、今の選択期だと、講義からの情報はほとんど入らない。先輩からの情報も、サークルなどに入っている学生だけである。

 とはいえ、早めに少人数教育に入るというメリットはある。上のデメリットを減らしつつ、このメリットは生かすことができればよい。

 公務員試験

 山口市の市役所で集団討論形式の面接があった。ある自治体の禁煙対策に関する議論だった。前日にテーマは出ていた。ある受験者は(全員で8人くらい)かなり細かい禁煙賛成を示すデータを調べてきて、それを強調した。田中君はそういう意見も視野に入れながら、議論をどのように「進めていく」かに注意しながら発言をしたということだ。

 経済学科・山口大学の経済学部

 このごろ経済学科の選択者が増えていることについて。公務員志望が増えていることもあるのではないか。マクロ、ミクロをかなり勉強できる。また、本学部は経済と法律を両方とも勉強できるというメリットを持つ。このメリットは公務員試験を目指す人にはかなり直接的に役立つ。経済用語も法律用語も始めて取り組むときは難しそうに見えるが、授業でいろいろな言葉にすでに振れることができるから、近い気持ちで取り組める、また、すでに力もある程度つく。

 小泉内閣

 あと1年は持つだろうか。いや、夏まで契機が悪くなりつづけたら、また、大きな倒産などが続いたら国民の支持が続かないかもしれない。続くとしたら、あと1年、あるいは2年で経済、社会はこう変わるというはっきりした見取り図を、わかりやすく示すことだ。このわかりやすさ、が大切だ。2,3年、連続して3万人の自殺者、特に50代が増えている、というのは、痛みが、それも「耐え切れない痛み」がでているということだ。それがでているだけでも、小泉内閣は失政を行っている。とはいえ、それに代わるよい案、人がいなければ続かざるを得ない。

 今朝の国会中継でも論議があったが、不良な部分を切り捨てるのはよいかもしれない、だが、それに変って切り捨てられた人々が仕事を見つけられなければ、つまり新しい雇用が生れなければ、それは失敗である。患部は摘出したが、患者は死んだ、ということになってしまう。この点、菅議員のいう、ゴーンさんは首切りをして、コストを削減して利益を出して、会社を再生させるのが仕事。民間はそれでよい。しかし国は国民の首を切る事はできない。彼らの面倒を見ることこそ国の仕事である。この主張は頷ける。

(さて、来週には卒業可能かどうか見通しが出るだろう。でたら飲みましょう。)

 

 2005・4・9

 

 学部生の関心と院生の関心について

 

 今年修士に入ったY君と話した。彼は私と年はあまり変わらない。

 私の研究テーマは、学部生が通常、強い興味を持てるものではないようだ。社会はいろいろな次元から見ることができるが、私のそれはかなり抽象度の高いもののようだ。つまり、「社会の中のこの点」、を見るのではなく、「社会そのもの」を見るものなのだ。たとえば、郵政民営化が日本の今後の5年間の経済成長に与える影響、ではなく、規制緩和、民営化、小さな政府といった、いわば新自由主義的な政治の流れが、日本社会全体の効率・公正・慈恵のバランスをどう変えていくか、といったことを考えるものである。

このような問題に関心を持つためには、その前に、ある程度、「社会の全体像」についての理解が蓄積されることが必要である。生活体験でそれを身に付けるには10年、20年といった時間がかかるだろう。文献から疑似体験するにはすぐれた想像力、また読解力が要る。これらを、学部生の間に身につけることはかなり難しいだろう。

とはいえ、これまで私の研究視点、研究成果に強い関心と理解を示した学部生も少ないがいた。また、私が興味を持った研究を学部卒ですぐに取り組んだ院生もいた。ただ、彼らの数はかなり少ない。(近代人の心性を研究し、研究者の道を歩んでいるS君。医療費の差し迫った問題から取り組んだNさん。現代の日韓の社会状況への関心を踏まえて拙著を詳読してくれた留学生のK君。日中のそれから取り組んでいるB君。そして現実の仕事の現場でその問題の重要性を感じて取り組もうとしているY君。また、ヴェーバーの研究とも近い経営者論から検討を進めているS君。)

 

 承前 経法と経済学部

 

 先日、経法から修士に進んだA君と話した。私の経済政策総論を楽しんでくれたという。現実と結びついた抽象的思考、といった内容を感じてもらうことができたようだ。経法の学生は、ほとんどの科目で法律を学ぶことになるが、それだけで学習意欲を持ちつづけるのは優しいことではないとのこと。そもそも法律は、経済、政治など、日々切実な、試行錯誤が行われている行動に対して、それについての到達したルールを整理する役割をもつ学問であろう。よって、現実をあまり知らない学生が、ひととびに、その「整理」のみに没頭しても、それが何のためのものなのかがわかりにくいので、興味を持ちつづけることが困難になりやすいのだろう。ならば、本学部の経法の学生たちは、その利点を生かして、まず経済学、政治学などをたくさん学び、その次に法学を学ぶという順序付けをするほうがよいのではないか。たとえば、1、2年のときは経済学の分野から多く学び、34年で法律科目をたくさん取るといったように。(この点を履修の方法として勧めるのもよいかもしれない。)

 

 2005・4・14

 

 経済学部の教育方法についての学生からの意見(塚田ゼミ生二人)

 

Aさん 経済学部の勉強が、ますます(高校の授業のようになっている。)大学はこんなはずではないのではないか。もっと自由にいろいろな科目をとりたい。(コース制の科目指定のことだろう。まるで高校のような指導の仕方になってきている。)自分の高校のときのほうがもっと自由があったような気がする

B君 [これに対しては、同じ高校出身者から→]「いや、経済学部のカリキュラムでよくなったところもある。」

Aさん 教職科目はできるだけ取らないようにと言われた。[?本当に?]取れると書いてあるので、そんな指導はおかしい。

 私はついAさんの意見に共感しがちである。しかし、学部の議論としては、今、「今の大学生はあまり勉強をしなくなった」、また、「関係科目を体系的、集中的に学ばせることが一番重要である(好きな科目を取らせるよりも)」という意見が多くの支持を得ている。体系性と好きに取ることと、どちらも重要なことではある。問題は両者のバランスだろう。現状はどちらに傾いているのだろうか?

 

 2005・4・28

 

 ゼミナールの内容について

 

Y君 自分のしたいことを見つけられそう、見つけたい。それができそうなゼミだと思ってここを選んだ。(これだけの発言では真意は伝わりにくいかもしれない。2年ゼミ(演習T)の最初の懇親会での言葉。「自分の学ぶ意欲」を伸ばしたい、その気持ちが伝わってきたので、印象に残ったと思う。ところで彼は自分の父、祖父を尊敬している)

 

 2007・12・21

 

 休講と出欠

 懇親会での学生たちからの訴え。「ある先生は休講5回。しかし欠席の欠格回数は4回。不当ではないか?」「プリントを配り、それでわかるはずと先生は思い、どんどん進んでいく。しかし実はよくわからない。」

 私の講義はわかりやすいとのこと。それはうれしいことだ。

 

 2008・3・4

 

 卒業していくY君のレポート末尾の感想から

 「一番変われたことは、興味を持った問題を調べる気持ちを持てたこと、レクではありますが自分の仕事を責任もってやり遂げること、自分の意見をみんなに伝える力がついたことだと思います。特に、自分の感情重視の意見を述べることは苦手だったので…(笑)。」

 

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ゼミでの議論から

 

200962 3年ゼミ。『反貧困』第3章「貧困は自己責任か」と、私の配ったプリント「漂流少女 ほっておけぬ」(朝日、5月17日)、「介護とは『寄り添う仕事』と思う」(朝日、5月19日)について。ゼミ生の意見を聞き、また、上の記事を読んで

 

・・・ゼミ生Aより「自分の価値」という言葉が出た。上記文献では、五重の排除という言葉があり、その最後が自分さえも排除する、もうどうなっても良い、というところまで落ち込んでしまう、というものだった。歌舞伎町を漂う少女たちの記事でも、「自分に興味ないから、悩み事はない。」という言葉があった。その彼女の言葉を、「自分のやっていることが恥ずかしく、怖くなりました。もうやめます」というものに変えさせたのは、彼女たちに接触し続けた橘さんとの会話だったのだろう。会話ができるようになるまで話しかけ続けたこと、「自分を傷つけるようなことをして欲しくない。」と語ったこと。その橘さんも、暴走族のころ、ある大人から始めて自分の話を聞いてもらえたことが新鮮に感じ、何かが変わる転機になった。それを今彼女は少女たちにしている。

介護の仕事を始めた宮本さんも似ている。自分の仕事を通じて、「介護とは、介護を受ける人に寄り添うだけではなく、自分の心にも寄り添う仕事のような気がする」と感じるようになった。「体が思うように動かせないと悲しそうな表情を見せる人を見て、」学生時代に「自分は人とうまく話すことができない」と感じていたころの自分を思い出す。そして、その人に「大丈夫ですよ」と声をかける自分のそばで、同時に「仕事が覚えられずにくよくよしている今の私にも、『大丈夫だよ』と声をかけたいと思う私が顔をのぞかせている」ことも感じている。他の人に働きかけることで、自分自身にも言葉をかける自分が生まれてきた。人間関係の不思議。そして何かよいこと。人の成長の一つがここにあるのだろう。宮本さんにはもう一つ良い言葉が合った。「自分の心の中に耳をすませながら・・・」。自分に耳を澄ますことは、他人に耳を澄ますことと似ているのかもしれない。どちらもお互いの力を高めるのではないか。

 

・・・現在と昔を比べて。例えば50年前。私の家は、田舎で、両隣の家と相互の「もらい風呂」に行った。「今日は家で風呂を立てたから、寄ってください」と言いに行く。あのころは水道が風呂場まで来ていることもまれで、湯を沸かすことは一仕事だった。今は、日本の人たちはかなり豊かになった。きれいな家に住む幸せそうな家族。これが「普通の」風景に見える時代になった。だが、そこには新しい危険性がある。かつて9割の人が貧しい境遇で、それをお互いに知っているとき、例えば「三丁目の夕陽」の時代。あれは都会が舞台だが、どこも同じようなものだった。上では風呂の貸し借りを述べたが、しょうゆ、米の貸し借りも普通だった。お互いに、月末になればそろそろそういうものが切れそうになる。お金もあまりない。でもあの家では今月はまだ余裕がありそうだからちょっと「借りに」行こう。来られた家も、お互い様と貸してあげる。貧しかったけれどあの時代が懐かしいのはそこにあるのだろう。そこ、つまり心の通じ合いと言ったものに。今、きれいな家に住む人が9割になって、例えば10軒の家が中流家庭で幸せそうに暮らしている。でも昔、垣根もなく、お互いを知り合っていた、いわば、ちょっとした大家族のように生活していた状況ではもはやなくなっている。それぞれの家からは、朝違った方向に働きに出、いつ帰ったかも知らないのが普通になった。1軒の家が破産して苦しんでいても、たぶん9軒の周りの家の人たちはそれを知らないと言う状況が普通になった。

豊かさを求めて私たちは旅をしてきた。とりあえずここ50年を振り返っても、どこかで少し間違った道に踏み込んでしまっているのかもしれない。どこかで?どこで?戻る道は?そんなことをときに考えることも必要なのかもしれない。遠くのヒマラヤの山々を眺めて自分たちの小ささを体感できた、した稲葉賀恵(よしえ)さんのように。(これはまた違った記事。朝日、5月17日。)