4 大学の窓 大学、日本、世界〜

      大学での日々の出来事、ちょっとした感想など・・ *
     
2000・12・2  
  「あー空が青い!」 今朝8時半ごろ体育館横を登校していたとき女子の体育会サークルの人たちがウォーウオームアップをしていました。その時の一人のせりふです。今日は朝7時半ごろ外の気温は4度。冷えたけれど空は快晴。きれいな山口の晩秋の朝です。


2000・12・6
  朝9時、ふしの川の端から川原を見ると、葦などが茂っている流れの緩やかな場所に、渡り鳥が数羽水浴びをしている。今日も快晴のよい天気。親鳥のそばで、かわいい小さな子供たちが泳いでいる。水溜りは幅10メートル長さ20メートルほど、子供の鳥は水にもぐり、しばらく潜水してはなれたところからふいっと出て来る。彼らを見ているこの数分の時間。なんと表現したらいいか。・・・残念ながら、今の私たちには大学「改革」のもとで、疑問をもちながら忙しく行動することも少なくない毎日。そんなときにこのようなひと時は、まるで宝石のように瑞々しく感ずる。
2000・12・21
  午後4時。外も寒くない。以前何かの機関からの依頼で山口大学だったか経済学部だったかの長所を挙げよとの依頼があった。そのときは答える余裕がなかった。きょうその一つが分かった。経済学部A棟屋上の見晴らしのよさである。4階のエレベーター横の階段をさらに上ると屋上に出る。そこからは近くの、そして遠くの山々が一望に見渡せる。勉学に疲れたとき、ここに来ると、気分が一新される。(でも、雨の日はだめです。)みんなも一度上がってごらん!


2001・1・15 (ちょっと我が家の話・・)
  昨夜から降雪。我が家の犬は喜んで朝の散歩をしました。二匹が、降り積もる雪の中を跳ね回る、まさに歌のとおりです。陽が差しているのであるいは道路の雪も今日中に溶けるでしょうか。雪は美しい。犬は強い。我が家は山の近くにあるので、そちらを見上げると、ちょっとした山水画のようでした。
2001・1・20 
   珍しく冬の雨。今日明日とセンター試験です。朝の大学通りは車で埋まり、10分でつくところを40分。試験監督の集合時間に15分遅刻してしまいました。4科目の監督を終え、今夕方の6時。監督中は、アナウンスをゆっくり読んで時間が足りなくなったり、間違った時間にアナウンスをしてしまったり、でも、4人の協力で、何とか今日は無事終わりました。監督中、耳を澄ませてみると、校舎の外から小鳥の鳴き声が聞こえました。ほんのちょっとの時間でしたが、きれいな声でした。それと、いつもは目の前40センチの世界で、パソコンの画面と様々な書類を見て一日が終わってしまうのですが、今日は、大きな講義室で、100人の受験者たちのほうを「見るともなく見て」すごしました。これで何がよかったかといって、目が疲れなかったこと。いつも目を酷使しているのだなあと感じさせてくれた今日の試験でした。


2001・1・25
   雨の中、久々に全身雨具を着て自転車に乗る。中、高校生がよく着ている黄色い、よく目立つ雨合羽。今日はこれを着て行こうという元気な気持ちになったこと、体調がいいことが嬉しい。
学校近くに来て、傘をさして歩いている学生たちを見て思った。私には合羽を脱ぎ、置いておく部屋がある。学生たちの中には、行き場所がないものが多い。食堂に長くいるのも落ち着かない。人文、理、農、教育などは研究室があり、そこにたむろすることができるという。だが、経済学部にはそのような、学生たちの集まれる研究室はない。彼らはこの国では冷遇されているなあと思う。他にも、経済と法律、たぶん経営なども、の学部は、法律によって、学生に対する教官の比率が少なく決められている。ここでも彼らは冷遇されているようだ。何かおかしい。・・以前、米国のNorth Western Reserve Universityに行った時、各学生がロッカーを持ち、その前はくつろげるティールームになっていたのを思い出す。あれは大学院の建物だったと思うが、すくなくともあのようなものはすぐにでも作ったほうがよいのではないか。(経済学部にも小さいのがあるけれど・・。)米国の高校の廊下の個人ロッカーのようなものなら、すぐにでも設置できそうな気がするが。(ただ、学生の皆さん。本当に必要かどうかは、皆さんが要求しないと分かりません。ゼミ連や文化会等で話し合ってみたらどうですか?)

2001・1・26
   退官記念講義:一昨日と今日と、続いて退官する先生の最終講義があった。大林先生は民族、独立、統合の問題、増田先生はドイツ経営参加の思想的背景の問題を講義された。お二方とも、学生時代を振り返り、いかにして研究者の道に入ったかから話を始められた。聞いていると、やはり身につまされる気がしてくる。若いころ、この道を進み始めたころの、今よりも肉体的には若い自分の姿が懐かしく思い出される。選んだ問題を考えつづけること、そうして私たちの時間は過ぎてゆく。

2001・2・13
   久しぶりに雪が降った。でも登校時の一時のみ。すでに雨に変わった。春が近いことを告げている。先日、ロバート・レッドフォードとナタリー・ウッド主演の映画をテレビで見た。空想癖を持つアルバ(ナタリー)、しかし気性の激しさも併せ持つ。テネシー・ウィリアムズ原作。どこか、風とともに去りぬの主人公を思わせる。南部の女性を描くときの一つのタイプか。なぜかプサン港に帰れという歌の情景をも思い起こさせられた。女性の気持ちの強さ、弱さ、だがそれを彼女の全体像の中で描いている。


2001・2・20
   昨日から春が来たようです。今日も昨日に続いて日中は十数度の暖かさ。コピーをしながら、同僚の先生と、野良仕事にでも行きたいですね、という会話が出る。もうそろそろ渡り鳥も寒いところへ帰っていくころか。春がもうそこまで来ています。

2001・2・22
    今朝の犬との散歩のとき、近所の神社への細い坂道で今年初めてくもの巣にぶつかりました。冬の間動いていなかったくもも、春になって動き出したのでしょうか?

2001・2・25
    今日は前期試験。私費外国人留学生の日本語試験を監督しました。いくつか試験場の風景を川柳にまとめてみました。
・三十年 前の友に似る 受験生  ・解答中 雨止み陽がさす 春の午後  ・受験生 それぞれ違う 顔を持ち  
・熱入り 上着脱ぎ書く 受験生   ・長い脚 折って腰掛け 答書く     ・問い一が 済み背伸びして 次の問い  ・受験生 文字に生きるの 道選ぶ

2001・3.3
    今日はひな祭り。それに合わせるように、今日始めて近所の神社でうぐいすの鳴き声がしました。ふしの川の淵では小さなかも(?鳥の名前を知りません)たちが水に潜って遊んでいます。以前は本当に小さかったのに、もう人間で言えば小学生くらいになっています。去年見た菜の花は、また今年も群生してくれるでしょうか?

2001・3・8
    上空に氷点下35度の冷たい空気が移動し・・と昨日からニュースで言っていたとおり、今朝から雪が降り出しました。7時30分にはまだ見えていた西の山々も今はすっかり雪のカーテンで見えなくなっています。今日の予想温度は上が7度、下が1度。今日は県立高校受験の日。我が家からも一人受験しています。今私の研究室は20度。どうして高校は暖房が入らないのか。我が家の受験生はコートを着ていきましたが、外気7度、部屋の温度は?度の、多分寒い教室で受験する子供たちは、やっぱりかわいそうです。

2001・3・21
    ここ二日ほどとても暖かくなりました。セルフのガススタンドから防府へ続く道の右手には菜の花が満開の場所がありました。そして、ふしの川の橋から見下ろしたところにも、いよいよ菜の花が咲き始めました。桜の開花まであと1週間ほどです。
2001・3・28
    和光大の樋口先生から桜の写真をいただきました。ごらんください。(ちょっと写真掲載にてこずり中、成功すれば巻末に・・・掲載できないか?)

2001・4.5
    いよいよ桜満開の季節。例年よりは少し早かっただろうか?でも去年もこのぐらいだったような気がする。3月の月末から昨日まで里帰りで讃岐と信州を訪ねた。うどんとそばを堪能した。驚いたのは山口のほうが香川よりも桜が早いこと。信州はやはりまだまったく咲いていない。朝は零度まで温度が下がった。名古屋から木曽路に沿って山を登っていく特急はかなり揺れます。気をつけないと酔ってしまう。(やはり平地を走る新幹線は安定しているのですね。)でも、上った後の信州時は見渡す限り高い山々。帰りはまさに下界に帰ってくるような気がしました。(これまではずっと車で行っていたのですが、そのときもやはりそう感じました。)さて、新学期。木々の芽が出て草木の花が咲く新生の季節。研究、教育、そして大学改革と課題は待っている。今年はゆっくり山口の花見を楽しめるかな?維新公園、ふしの川河川敷、一の坂川、瑠璃光寺。


2001・4.12
    新学期初めての講義が終わった。教えるほうも新入生のような気分です。生い茂った拙宅の庭には、姫りんご、チューリップ、水仙、連翹、桑、ムスカリ(だったと思います)、いろいろな花が咲いています。春です。さあ、気持ちを新たに日本と世界の経済を考えよう。

2001・4・16
     今朝の散歩のとき、鳴き始めた初心者のうぐいすの声が聞こえました。普段はまず目にすることができなかったのに、今回はその姿を見ることができました。春がここでも歌っています。
2001・5・8 
     講義開始から早ひと月。経済政策総論のミニまとめレポートはほとんどの人がしっかりと書いてくれています。嬉しいです。質問も毎回2,30人が書いてくれます。嬉しいです。久しぶりに「
嬉しい悲鳴」を実感しています。
     昨日、沖縄は梅雨入りとのニュースを聞きました。そしてここ数日の曇り空。いよいよ梅雨か、・・いやまだ早すぎる。五月の空よ、また晴れの日々を与えてください。

2001・6・1 
    講義の準備と
学会発表で3週間があっという間に過ぎる。明治大学の素敵な建物リバティータワーで学会。共通論題のIT戦略はまだ十分分からないものけれど重要そうなものをあえてテーマにしたのでそれなりの質問、反論もあった。これについて当面の私たちの対処すべき方向も一応出てきたようである。私も久しぶりに報告機会を得た。以前は20名ぐらいだったと思ったので35部レジュメを作っていくと、終われば50名前後の出席者。社会の不安定、社会の基本的方向というテーマはやはり多くの人の関心事になっているのだろうか。永安氏のエッチオーニ・共同体論、権丈氏の少子高齢化おそるるにたらず論も面白く、あるいは説得力があった。久しぶりに会えた河野夫妻、樋口夫妻との会話も楽しかった。公私共に非常に実り多き学会となりました。(ただ、帰りの新幹線での座る姿勢が悪く、腰痛になってしまったのは失敗!)
    さて、梅雨も近し。近所の田んぼにはもう田植えが終わり、小さな緑の、大きなミジンコのようなものもすいすい泳いでいます。図鑑で豊年えびと分かりました。一匹だけ掬ってきて、一晩コップで鑑賞。翌朝また田んぼに放流。昨夜はいつもより遅くなって犬を散歩に連れて行くと、なんと、近くのコンクリートで固めたよう水路の上を、2匹、あ、もう一匹、・・あ、もう一匹と蛍が飛んでいました。あの小さな光を見ると嬉しいのはなぜなのか・・。闇の中でかわいらしくちか、ちかと柔らかに飛んでいます。
    嬉しいできごとはもう一つ。日本代表
サッカーチームが一昨日カナダに快勝。小野、西沢、森嶋と気持ちのよいゴールを久しぶりに見ました。中山のあのがんばるのが普通というプレーも気持ちがいいですね!さて、今日はカメルーン戦。(今は、負けてもいいから攻めて欲しいと思います。そのほうが見ていて楽しいので。次のブラジル戦も。)

2001・6・12
    コンフェデレーション杯は終了。ブラジルには引き分け、フランスには1−0で敗れる。フランス戦は攻めをもっとがんばって、でしたが、でもよい闘いでした。次の国際試合は7月。楽しみです。

2001・6・25 
    28日からサッカーのキリンカップが始まります。対戦相手はパラグイアイとユーゴ。わくわくしてきました。小野はオランダで活躍しそうだし。スポーツはいい話題が続きます。昨日の日曜日久しぶりに(ちょっと腰を痛めていたので)、自転車で
維新公園まで行きました。赤ちゃんの白鳥が母親白鳥について水に浮かんでいるのがかわいかったです。おしどり(?)の一羽が一羽のあひるをくちばしでつついていじめていたのはちょっと・・。頭の後ろから背中にかけて地肌が見えるほどでした。もうかなりいじめられているようです。どうしてなのか?
   
さて、日本の政治は?経済は?一番心配なのはやっぱり今の景気です。なんと言っても、自殺や過労死があんなに増えた日本社会はおかしいです。一番の薬は不況からの脱出でしょうね。でも、小泉内閣の骨太の方針そして経済・財政運営の基本方針で本当に大丈夫か懸念する声もあります。秋には市民向けの公開講座があり、景気の動向行方を数名の講師に話してもらうのですが、この分だと、まだ秋になっても景気の動きははっきりしたものにはなっていないのでは?いや不良債権の処理を進める結果すでにかなりの倒産が起きている可能性もあります。

2001/7/14

Martin Wolf of The Finacial Times and Paul Krugman at The New York Times coincide with each other in warning Koizumi's structural reform of lacking macro point of view. Takenaka is aware of this weak point, Krugman says, but he (Takenaka) hopes for a better (impossible?) future
. Hope, not confidence, is what leads them, he (Krugman) understands.

2001・7・20
   今日は海の日で休み。天気予報では、これから一週間、晴天が続く! 今この国が大きく変わる可能性がある。政府は「構造改革」を進めようとしている。これに賛成する議員が過半数となればこれは実行される。 だがこの改革がどのような結果をもたらすのか、まだわからない。政府側からの説明もあったのかもしれないが、十分にはわからない。今、参議員選挙という大切なときである。この点が私にはよく分からないまま、「小泉人気」で、一つの方向が、「国民の慎重な判断として」決まってしまいそうな危険性があることは、感じられる。
注意すべきである。 今、私たちがすべきことは、どのような日本社会を、また世界の社会を作っていくのが良いか、よく考えることだ。

2001・7・23
   暦の上では
大暑。(昨日だったかもしれない。)今日も昼過ぎには、私の研究室は36度。扇風機の風は2の強さにしているのだが、生暖かい。ほとんど体温と同じ温度になるとそう感じるのだ。先日、シャワーの温度を変えてみた。33度だと涼しいが、30度だと冷たく感じた。微妙な境目の温度があるものだ。
   最近、クーラーを皆が使うせいか、大学の電力の容量がすぐ超えられてしまい、クーラー使用中止の警報放送がなる。今日の大講義室の試験も、背中を汗でびしょびしょにぬらして、学生が試験を受けていた。

2001・11・19

 久しぶりにここに書く。この4ヶ月ほど、時間がなかった。

先日モンゴルの草原をテレビで見た。ゲルと呼ばれる家で家族が、仲間が暮らしている姿。子供たちは遊びと仕事を区別せず、楽しく育っていく。自分が面倒を見る羊を、馬を決めてもらう。文字通り生れるところから面倒を見る、育てる。12,3歳の少年が鞍もつけず、馬に乗り、走る。なんと言う光景だろう。冬は氷点下50度の厳しい世界になるという。だが、うらやましく感ずる何かがそこにある。彼らの中に、草原に、彼らの笑顔にある。

 

2001・12・1

 上の文を読んでみた。誰かの文のリズムに似ていると思った。そうか、と気がついた。小泉メールマガジンに載っている首相の文の書き方だ。

 

 2002/01/25 「仕事はどこにでもある、今の若者は甘えている」と言えるか?

 

 「仕事はどこにでもある。やろうと思えばある。学生たちよ、暗くなることはない。」と言う発言がありうるかもしれない。

 だが、現実には、今、このとき、この日本では、これは一般論にとどまり、あまり意味がない言い方かのようだ。

 昨日の(2002・1・24)テレビ朝日のニュースステーションで、フリーターの特集をしていた。10代から30代のフリーターは今150から344万人いると推計されているそうだ。他の仕事につきたいから(音楽家など)、今はアルバイトの方がよいという人と、何をしたらよいかわからないから、アルバイトをしながら考えている、という人がいた。30代の前半という人もいた。不安はあるらしい。親も。彼らは40代になればもうフリーターの職はない、と、森本氏は言っていた。そして社会として困るのは、このままではそうした人たちが失業者に加わることだ、と。

 彼らの中には正社員になりたい人もいる。ある、フリーターを主に使っている会社では、就職の世話もしているという。だが、就職率は3%未満だそうだ。そこで紹介された何人かの例では、就職のための面接時間を守らない、ちゃんと目を見て離せない、少し話を続けると砕けすぎた言葉がすぐ出てくる、など、基本的なことが身についていない、と評価されていた。皆がそうではないだろうが。

 だが、正社員は今どんどん減りつつある。学生の就職率も大学卒で、この時点で地方で6割、都会で8割くらいだろう。高校生も6割ぐらいとニュースで聞いた。こういうときに、どう将来の見通しを立てたらよいのか。迷う彼らはフリーターになるしか道はない。このような社会、有効求人倍率が0.6とか0.7の社会状態がフリーター化を後押ししているといえるのではないか。

 だが、安定した仕事にはつきたい、とすると、どうしたらよいか。残された道は、自分で見つける、仕事を作り出すことになる。作れるか?どうやったらよいか?

 こんな難しいことを子どもを終わったばかりの若い人たちに任せることは、大人でも手におえない難しい課題を彼らに押し付けることではないか?昔なら、ともかくも大企業や中小企業、工場、商店に就職して、そこで育ててくれた。それを今の大人は放棄している、といえないだろうか?ならば、彼らに対して何かをしてあげる責任がある。世代的責任といえようか。自分たちがそれを受けてきておきながら、自分の後世代にはしてあげないというのはいけないことだろう。

 

「小泉さんで大丈夫?」という声もあるが、支持率は高い。それは、彼らが「しばらくは苦しいけど、あとはよくなる。」と信じているからであろう。(妻との会話より。)

→問題はそこである。どのようによくなるのか?国会審議でもこの点が焦点であった。小泉首相は明確に答えているとは思えなかった。つまり、わからない、ということか?

「東京電力、役員給与を1割カット」という報道があった。これもゴーンさん流の回復策。企業の収益率は確かに回復する。コスト削減によって。だが国全体の購買力は落ちる。するとどうなるか?それが全体の回復に、どのようにつながるか?ケインズの言う「過少雇用均衡」の状態で落ち着いてしまうことはないか?1930年代はそれが起きていたのではないか、だからこそ、ケインズはルーズベルトに政府の赤字支出による需要創出を提言したのではなかったか?それとも、今は事情が異なるのか?どのように?

 

2002・2・14(バレンタインデー) 

小泉首相が田中外務大臣を更迭した。何度国会答弁を聞いても理由がはっきりしない。国会がストップするのを避けるため、といっているとしか聞こえない。ある問題の解明よりも予算通過を優先させた、ということか。だがその問題、つまり外務省への一議員の過剰な口出し、支配、は小さな問題か?

誰が見ても悪くはない田中氏を更迭したのは首相の誤りではないか?支持率が半減したというのにも共感する。

 

 先日東京へ息子の下宿探しに行った。はじめて鉄道の路線や地域ごとの下宿代の違いなどに注意した。東京の地図もしげしげと見た。わかったことのひとつは、東京はせいぜい40キロ×40キロ程度の広さしかないということだ。主なところ、山手線内と多摩地域ぐらいまでは、これで囲める。ということは一日で歩いて横断できる距離だ。ここに1千万人住んでいるのだ。これが都会だ。狭いところに、何回にも階を重ねて住むのだ。土地が、住む床がバウムクーヘンのように何層にも重なってなって、そこに人が上に、下にと住んでいるのが都会だ。やはり異常だ。分割して日本の他の地域に移動させたらよい。もっと人の心も視野ものびのびする。人間が嫌っても、天変地異はたまに来る。分割して住んでいれば、地震が来ても、亡くなる人は少しで済む

 

2002・2・19

昨晩「スーパーテレビ」という番組を見た。新宿歌舞伎町がテーマだった。そこで働く二人の若者を追っていた。一人は光岡君、25歳、キャバレーで働く。一人はあんなさん、19歳だったか。風俗店で働く。歌舞伎町は昨年の44人?の焼死事件以来、客は減ったらしい。だが、それでも「アジア1、2の」歓楽街。東京中から、アジアから、中国から(番組でも中国出身の、風俗かキャバレーで働く若い女性が出てきた)、酒と異性(多くは女性)目当てに、日々、いや、夜な夜な人々が集まってくる。

売春(買春)に近いことがそこで行われているのだが、子どものころからの道徳ではお金で体を売るのは悪いと学んできた。(昔の農村のように、食っていけなくなって、いわゆる苦界に身を売り、家族を養う、と言った場合は仕方ないことなのだろうと、許容範囲も付け加えながら。)だが、今の歌舞伎町では、それほどの切羽詰って、つまり、金がなくなってどうしても、と言う人はどうも少ないような気がする、あの番組を見ていると。あんなさんも他の仕事は充分できそうだし、3割は主婦が働いていると言う風俗店でのある主婦も、夫には内緒だとは言え、あまり罪悪感、guilt feelingはもっていないように見える。(「夫の収入が減って。でも、子どもには欲しいものは買ってやりたいじゃない。」)ましてや、ここ何年かで、欧州の多くの国では売春が公の職業と認められ、税金も徴収されることになったと聞いている。これもサービス業の一種と、堂々と行うものになってきたのだろうか?その方向に進むのがよいことなのだろうか?

あんなさんは、まじめに恋をすることが怖いと言う。両親に捨てられ、施設で育った。また本当に好きになった人に捨てられることは怖すぎることらしい。

光岡君はいわゆる有名大学を出て就職したが、一つの会社で今は安い賃金で、将来は高くなるだろうが、ずっと働いていくことに耐えられなかったという。すぐに成果が出る歌舞伎町で働きたくなったと言う。新宿駅周辺で、これはと思う若い女性に声をかけつづけ、ホステスを集めている彼。たしかにお金は、金を落としてくれる男性をひきつける女性を集める「能力によって」すぐもらえるという、「働きが報酬に直結する」仕事なのだが・・。ある店を任されたときは月100万円の収入だったそうだ。その後、降格され30万円のボーイからやり直している。だが・・。本当にやりがいがある仕事なのだろうか。たとえそうでなくても、歌舞伎町では、(あんなさんの月収100〜150万円も含めて、)「手っ取り早く」稼ぐことはできるのだが、でも、本当に彼らの力を発揮できている、本当に満足できる「仕事」とは思えないような気がする。・・どうなのだろう?

 

2002・4・2

3月末は休暇をとって子どもの引越しをした。そのとき4箇所で知人を訪問した。

第一は信州は千曲川のほとりの知人夫婦。ご主人は金にはならないが不登校の子どもの世話をしつつ、塾で教えて家族を養っている。それをずっと続けている。彼らの子どもはすくすく育っている、たぶん。

第二は東京都、西東京市の大学の後輩。高校教師をしている。子どもの下宿の近くに住んでいるので挨拶に行った。教育に奮闘し、時折は疲れることもあるががんばっている。しかし同僚に在職死も何人か出ているとのこと。去年だったか、手におえないほどの生徒がまとまって三人、ある中学から送られてきた。その対応で大変だったらしい。私も去年、神奈川の中学教師をしている後輩から同様の話を聞いた。中、高はいま非常に大変である。苦しんでいる。東京都では新たに主幹制度というものもできるらしい。命令系統の強化によって学校を改善しようというねらいらしいが、的外れではないか・・・。

第三は世田谷の友人夫妻。奥さんはガーデニングが好きで、とうとういまはある遊園地の園芸部門で働いているという。仕事の合間に駆けつけてくれたが、何と生き生きしている表情であったか。土に携わる、木や花を育てることがどれほど人間に心地よいものかを身をもって示しているようだ。

第四は京都の知人夫婦。彼らは中学生で非行に走った子を受け入れる施設で働いている。不幸な子が多い。しかし彼らを寮で引き受け、ずっと共同生活をしつつ何年か教えていくのは並大抵のことではない。二人とも本当に大変だったろうと思う。文字通り精神をすり減らす仕事だ。まだこれからも10年ほどその仕事が続く。彼らと話していて、私たちがいま知りたいこと、知る必要があることの一つは、私たちはどんな社会を作りたいのか、それを知ることだ、と言う結論に達した。いまの社会はおかしいところがある。おかしい。だが、向かうべき社会のすがたを知ることができなければ、自信を持ってそれに立ち向かうことができない。「それでなぜおかしいのだ?では、他にどういう社会があるのだ?」と、今の社会に満足している人から聞き返されたとき、こたえる言葉が必要なのだ。(具体的には、アメリカのような社会、とか、スウェーデンのような社会、とか、イギリスのような社会、とか、ドイツのような、スペインのような、コスタリカのような、タイのような、・・・などの中から、どのような社会を目指すのか、に答える必要があるのだ。)

 

2002・4・6

昨日は委員会の引継ぎがあり、そのあと懇親会。そこででた話。親が年をとり、弱くなったり痴呆が出たり。そのときどうするか、どうできるか?一月に数十万円を負担できる人はそれなりの施設に入れることができる。ない人は、まず特養ホームを探す。これだと月数万円の負担で入れる。だがこれは長い待ち。老人保健施設だと月に12,3万円かかる。これでも入れるとよい。金がない人は、こういった特養とかそれに近い施設をとにかく探しまくること。つまり体力が必要である。金も体力もどちらもない人はどうするか?家で老親をみるしかない。亀井静香氏は子が親を見るのは日本人の美徳、と言ったという。ならば特養も不要である。彼の考えはおかしい。もっと特養を作るのが答だろう。

独法化、大額の経営危機などの話題に関係して、松下村塾大学を作ろうか、との話も出た。

 

2002・4・16

学校のトイレで鏡を見た。中年の自分が映っている。

4階の廊下の窓から雨を見る。なにかほっとする。

子どものころを思い出させる雨。

長靴をはいて学校に通ったころだったか、そのころは雨が身近に感じた。

地面に近かった、小さかった、からか?

 

雨に煙った向こうに山の影だけが見える。

すぐそこのメタセコイヤはきれいな緑を見せている。

絵を描くことが好きだった。

自分は子供のころ絵を描くのが好きだった。

雨の音を聞いている。

疲れが少しとれた。

 

(じっと、数分でも、雨や、雨音を感じる、耳を澄ますって、このごろあまりなかった。)

 

2002・4・22

進歩は競争からのみ生れるのか?そうだという声が大きいこのごろだ。根本的な間違いは、何のための競争かを忘れがちなことではないか。それは強いものが生き残るためなのか?それとも人間全体が仲間として生き残るためなのか?

 

昨日テレビで尾崎豊の特集があった。(NHK衛星第二。)終わりのほうだけしか見ることができなかったが。彼はよい詩を作れる、よい曲にできる、そしてすばらしくそれを歌える。(どうして彼の歌はあんなにはっきりと聞き取れるんだろう?)司会者が、愛と真実と正義を求めた尾崎豊、と紹介していた。尾崎はそれを素直に歌詞の中に入れている。

大人たちへの反感、批判。だがそれは大人たちへのラブ・コールでもあると思う。「そんな大人になりたくない」は、「もっと何か違った大人でいてくれよ」との願いの表れ。それが何かはわからない。けれど、今のそれではいやだ、と彼ははっきり言う。それは子どもたちからの大人への問いかけ。鋭い問いかけ。「正しいものは何なのか、それがこの胸にわかるまで」と、「僕が僕であるために」で歌った、その正しいものとは何か。尾崎はいまだに私たちに問いかけている。この問いに答えることができるまで、私たちの胸に住む尾崎は死なない。

 

2002・4・30

昨日は一昨年のゼミ生と懇親会。中嶋田、椿原、後藤田、田中の4名に私。後ろの2名は就職も決まり、これで全員卒業。中嶋田、田中の二人が働くこととなった市役所の仕事時間の話が出る。収納課、高齢障害課、いずれも残業が多いらしい。以前柳本君からも同じ事を聞いた。

公務員といえどもサービス残業が多い。田中君は、入ったばかりなので仕事のペースが遅いので当然と考えているようだが、それでもやはり残業手当は支払うべきではないか?

情報芸術センターの話も出た。市民に一番わからないのは、支出、税負担に見合った効果があるものかどうかだ。この点をこれから3ヶ月、新市長のもとでわかるようにしてもらいたい。

椿原君は経理課だが、やはり残業続きだったとのこと。若いうちは大丈夫だろうが。(今朝学校へ来ると、N先生が倒れられたと聞いた。あんなに元気そうだった方が。) 

ビール100円の効果で2500円と安く上がる。皆で金龍へ寄る。残念ながら3年の山口君には会えず。もっと遅く出勤か?自分の世界を持つことの大切さを聞いた。4人ともそれを話していたような気がする。サンクチュアリという漫画にも話題が飛んだ。この点に関連したとてもよいものらしい。臨席の高校生ぐらいの男性二人連れが、アルバイトの時給の安さを話していた。これでは親に頼るばかりだ、といったことを話していたような気がする。ともかく、元気な皆に卒業後会えるのは嬉しい。

もう一つ嬉しいといえば、サッカーの日本代表がスロバキアに勝った。そして、なんと行っても今の季節の緑の美しさ。B.ラッセル氏の言ったこと、天気のよい日にそれを味わうことのできることの喜び、やはりこれはとても大きな喜びの一つだ。

 

2002・5・4

4連休の二日目。あいにくの雨模様、しとしとと降っている。昨晩フランスのサッカー選手、ジダンのインタビュー番組があった。13歳から15歳まで国立のサッカー学校(?)で学んだ。そこでは「人を尊敬することを教わった」。つまりチームワークだ。仲間の力があってこそ自分も華々しいことができる。29歳、もう一回ワールドカップで見ることができるかもしれない。コメンテイターとして出ていた木村拓哉氏は発言のときに「自分の考え、感じ方、を自分の言葉で話す」ことをしていたように思う。こうでなくてはいけない。

 

2002・5・14

 

 人間は、(なぜか)変化するものが好きである。画一、マンネリ、は嫌い。だから、私ものっぺらぼうのビルの壁、ファーストフードも嫌い。

 

 英雄が出るときはろくな世の中ではない。(妻の読書感想より。)さもあらん。普通の人が自信を失っているときなのだから。

 

 物事に迷ったときは、なぜ、なんのために、を考えること。(○)

 

 競争社会と協力社会。やはり協力社会で生きていくのがよい。また、そうできるのでは、と思う。

 

 先日4月9日号かの『ダ・カーポ』という雑誌を読んだ。中曽根康弘氏のインタビューが載っていた。彼の母は開明的な人だったようだ。ちょっとハイカラといった感じの。それはともかく、中曽根氏は、社会全体のあり方を、国のあり方を考えねばいけない、という。このごろの政治家はそれができないという。それは正しいような気がする。

 

2002・7・15

 

妻の祖母死去。98歳。とても聡明な人だった。

 

大学院卒業生と話す。「修士は終えたが、今から何をしたらよいのか。自分はどんな仕事をしたらやりがいがあるのか。それをまだ知らない。それがわかって、人生の意味が見えてくる。自分は何をしたいのか。」

学生の多くも、おそらくまだそれがわかっていない人が多いだろうと思う。

 

2002・7・19

 

偉大なり、マンネリ。かつて寅さんシリーズは偉大なマンネリズムと呼ばれた。多くの人が寅さんを愛した。(私の弟は寅さんにちょっとだけ似ている。)

早く変わっていく世界を見ていると、逆にもっと落ち着いて欲しいと思うことがある。変わらないものって何だろう、・・・どこへいってしまったのだろう?

 

2002・8・19

 

8月6日は母の七回忌。寅さんと同日の逝去だった。

呼んだり見たりするものには二種類ある、勇気を与えてくれるものと、知識を与えてくれるものと。

先者は先に死ぬ、だから後者に引き継いでいかねばならない。このことは井上雅彦のバガボンドにある武蔵と胤栄の、また胤栄と柳生のさらに師である武芸者とのかかわりを見るとよくわかる。

 

2002・10・25

 

久しく書かなかったようだが、それでも2ヶ月が経っただけだった。

今気になるできごと。世界ではバリ島、モスクワと続く劇場でのテロ。そしてアメリカでは狙撃型のテロ。バリ島ではテロリストは何に怒ったのか?退廃した西洋文明化?チェチェン・モスクワでは土地を巡る争いだ。プーチンは正しいことをしているのか?ワシントン近辺の狙撃事件は、犯人はイスラム原理主義(過激派)の影響を受けたのか?そうならば外からと同時にアメリカ社会は、内からのテロ攻撃も生まれ始めたことになる。

日本社会では不良債権の加速化政策をめぐって多くの出来事が起こっている。その必要性、影響、効果、対策。多面的な考察が、解明が必要なことだが、国会ではそれをしっかり解明してくれるだろうか?(昨日は議員刺殺事件もおきた。)ロールズのいう格差原理も、こうした製作効果を検討するときの一つの判断指標となりうるだろうか?

 

ところでゼミ2年生の言った言葉を覚えている。「大学紛争時はいやでも学生たちは社会の問題を考えさせられた。今はそういう出来事がないので、大人たちは積極的にそういったこと(社会のできごと)を考えさせて欲しい。」正しいような気がする。だが、年令が近い大人たち、いわば「先輩」といった人々から受ける影響が最も強いので、そういった人々をまず養成することも大切と思う。

 

2002・11・9

 

昨日のSさんの言:「イギリスでこう言われた。パーティーなどで隣り合ったら、とにかくその人に何かしゃべれ。何でもいい。天気でも、何でも。」

そうか、こうして、訓練して、イギリス人は話し上手になるのか。

 

2002・11・15

 

東アジア研究科のシンポで来日した4名を市内案内する。ダッカ大のラーマンさん、マラヤ大のナイールさん、ソウル大のファンさん、もう一人○○研究所のファンさん。これにカーン君とムスタ君。瑠璃光寺と常栄寺(雪舟亭)、そしてユメタウンへ。瑠璃光寺も楽しかった。雪舟亭もよかった。あの庭はきれいだ。だがファンさんが行ったように、昭和天皇が祭ってあるのはなぜだろう?仏教の寺に神道の天皇が。ユメタウンはナイールさんの希望。日本の靴がとてもはきやすいと、早速2足買っていた。皆さんも買い物、ウィンドウショッピングを楽しんでいた。松井さんとの待ち合わせに25分遅刻。ペナルティカードを出されました。・・・また雪舟亭にいきたい。いいですね。

 

2003・2・7

 

イラク戦争が迫っている。イラク・アメリカの戦争が。イラクは湾岸戦争終結時、大量破壊兵器を廃棄すると約束した。だがそれを守っていない、だからフセイン政権を倒し、守る政権を作らせるのだ、とアメリカは言う。しかし、イスラエルも入植地からの撤退という国連決議を守っていない。だがこちらについては黙っている。不公平だ。アメリカ人が嫌うアンフェアな行動をアメリカの政権自体がとっている。フセインの行動に差し迫った危険がなければ、「忍耐強い封じ込めで十分だ」(三菱総合研究所の・・島さん)。アンフェアに行動する限り、アメリカに対するテロは終わりそうもない気がする。

 しかし、イラクの人々に、また誤爆による被害がたくさん出るのではないか?

 

2003・3・18

16日、Candle Vigil for Peaceに参加。17日、カーン君と西崎さんと再び。

17日、けさ10時、ブッシュ大統領のイラクに対する最後通告があった。フセインは二日以内に出て行け、さもなくば戦争だ、これが彼のメッセージだった(たぶん)。

だが、戦争は今必要ない。査察はあと数ヶ月で終わるとブリクス氏は言った。なぜ待てないのか。軍隊を集結させ、また、戦争をするにはこれ以上待つと気候が暑くなるから待てないというとすれば、・・・それは集結させた彼らの誤りだろう。あるいは、その圧力が査察を少しでも進めさせたとすれば、他国もその駐留費を持つべきだろう。だが、それも査察をまず進めるためだ。それが国際的な、また、世界の世論調査に見る国際世論の圧倒的な希望だ。国連に集まった各国の人々は戦争を最後の手段と決めた。防衛戦争か、または国連が認めたときのみと。国連が認めたときとは、国連の責任ある機関、安全保障理事会が認めたときのはずだ。それが一度認めた決議1441が述べるserious consequencesにすでに暴力の使用が許可されていると米英は述べる。だが、immediateな、全面的な強力が行われていないかどうかを判断するには、やはり理事会の討議がいるはずだ。一国のみがそれを判断できるとすれば、今回のような、特定国が好き勝手に戦争をはじめることができることになる。新しい決議はやはり必要だ。

だがブッシュ、ブレアはそれを拒んだ。多数を取れないと思ったからとしか思えない。多数を取れそうだと思っていたときはあんなに自身満々だったのに。何十年も国連決議を守らずパレスチナを占領しつづけているイスラエルにはアメリカは何も言わない。攻撃などとんでもない。アメリカには危険性がある。それが今回は顕在化した。ソ連が崩壊し、もはや牽制できる力は今はない。将来は中国、インド、あるいはEU、またアジアの連合体などが対抗力として生まれるかもしれない。だが今はだめだ。いつのまにか、アメリカこそが世界の不安定要因になっている!「正義」と「善意」を押し付ける国に。正義にも、善意にもいろいろな形がある。特定の解釈のそれを押し付けることは誤りだ。異なった正義の間では、それを押し付けあわないことがまず最大の正義だ。その上で平和的な交流する。その過程ででどのような解釈の変化が起ころうと、それは受け入れられる。

もう一つアメリカに付きまとう危険性は、その行動は正義からでも善意からでもない、私益のための行動ではないかという疑惑だ。イスラエルの場合。イラン建国後のフセイン援助の場合。それによってフセインがイランを攻撃したときは米国はイラクを支援したという。フセインが強大になりクウェートを攻撃すると、今度はクウェートにつく。イラン攻撃はよいが、クウェート攻撃はいけない。クウェートは王制だ。民主制ではないことはフセイン体制に劣らない。だが、クウェートも、サウジアラビアも、王制の国でもよいらしい。アメリカに協力的ならよいらしい。こんなことを考えてしまう。いったいアメリカの言う自由と正義とはどのような内容を指すのか?アメリカに似た体制の自由と正義の国、そしてアメリカに協力的なそれをさすのか?市場経済の国?これだけではだめらしい。イラクも市場経済の国だ。王制でもよいらしい。あとは何か?アメリカの経済的利益を損なわない国?またはアメリカの強大国的な友好国、イスラエルの安全を損なわない国?アラブ諸国をまとめ、イスラエルに敵対しそうな国は排除するのが基本的目的なのか?だから、イラクは攻撃するが北朝鮮とは対話をするのか?

とはいえ、アメリカという国、と一くくりにはできない。次のロビン・クック氏の演説にもあるように、アル・ゴアが選ばれていたら、今回のイラク侵攻はなかったかもしれない。アメリカの中でも異なった勢力、考え方がある。今のアメリカは危険を増している。(2001・9・11の準備は、しかし、これまでの歴代政権が共通してとってきた中東政策への反感から起こったのであろう。)

 

 ↓ クック氏の演説:国際的な多数派の意見を代表していると思う。

Cook gets Commons ovation: http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/politics/2858957.stm

Robin Cook has won an unprecedented standing ovation in the House of Commons after telling MPs why he resigned from the government over the looming war with Iraq.

Mr Cook said he could not back a march towards a war that did not have international and domestic support.

In a Commons statement that followed his resignation as leader of the House earlier on Monday, he went on to warn that international alliances of all kinds were under threat now that the diplomatic route had been abandoned.

Mr Cook, who had been a Labour front-bencher for 17 years, added that despite his resignation he wanted Tony Blair to continue as leader of the Labour Party and as prime minister.

But he said that he would vote against the government's stance on Tuesday.

"Neither the international community nor the British public are persuaded that there is an urgent and compelling reason for this action in Iraq," he said.

The resignation is seen as a blow to Mr Blair coming just hours before he is due to ask MPs to authorise the use of "all means necessary" to disarm Iraq.

'No weapons'

Mr Cook said that Iraq's military strength was less than half what it had been at the time of the last Gulf War.

It was illogical to argue, therefore, that Iraq presented a threat and moreover that that threat justified war.

Furthermore, he said, Iraq probably had no weapons of mass destruction in the "commonly understood" sense of being a credible threat that could be delivered on "a city target."

He drew a comparison over the impatience shown with Iraq over its failure to comply with the will of the UN and the situation in Palestine.

"It is over 30 years since resolution 242 called on Israel to withdraw from the occupied territories," he reflected.

The former foreign secretary went on to express alarm that the US administration seemed more interested in regime change that in Iraq's disarmament.

"What has come to trouble me most over past weeks is the suspicion that if the hanging chads in Florida had gone the other way and Al Gore had been elected we would not now be about to commit British troops," he said.

The BBC's political editor, Andrew Marr, called Mr Cook's performance "without doubt one of the most effective brilliant resignation speeches in modern British politics".

He said MPs applauding one another was "simply not done" and there were "pretty sick faces" among the ministers on the front bench.

"Its effect will be to rally the dissenters, the people who are going to vote against war tomorrow."

Rebellion looms

The government has blamed the decision to abandon further attempts to win additional UN backing for war on a combination of French "intransigence" and Saddam Hussein's refusal to disarm.

Deputy Prime Minister John Prescott said: "There are only two options left - either Saddam goes into exile or he is disarmed by force."

Number 10 will now fear that opposition to war among backbench Labour MPs will crystallise around Mr Cook - the most senior figure to quit the government over Iraq.

The former foreign secretary was flanked by other ex-cabinet members Frank Dobson and Chris Smith as he delivered his personal statement.

Amid growing disquiet among his backbenchers, Mr Blair is due to address the Parliamentary Labour Party before leading Tuesday's Iraq debate.

A vote will then follow on the government's stance.

Short's questions

There had been speculation that International Development Secretary Clare Short, who already threatened to resign, might follow Mr Cook onto the back benches on Monday.

But she refused to comment as she left Monday's Cabinet meeting and there have since been mixed messages about her future.

Ahead of Tuesday's Commons debate, rebel MPs warn they will table an amendment stating there is no moral justification for war without a new resolution.

More Labour MPs than the 122 who voted against the government last time are expected to rebel this time.

Ex-Labour whip Graham Allen and a group of MPs, including Mr Smith, have drawn up the amendment.

It will say that the case for war has yet to be established "especially given the absence of specific UN authorisation" while simultaneously giving their support to British troops.

 

2003・3・27 アメリカ派と国連派

 

 アメリカ派 「当面日本にとっての関心事は北朝鮮問題であるが、それだけが問題なのではない。今後日本が直面するすべての政治、軍事、経済の危機の際、日本にとって死活的に重要なのは日米同盟である。資源の乏しい島国日本にとって、七つの海を支配するアングロ・アメリカン世界との協調の重要性は明治開国以来一貫して変わらない。それを見失ったための破滅的な時期はあった。しかしその後半世紀を経て、日本政府は初めて、国家安全保障の長期的大戦略を堂々と打ち出したのである。それを敢えてした小泉発言を有り難く思う。」(元在サウジアラビア大使 岡崎久彦)

 小泉内閣からの2003・3・27付けのメールマガジンにこの文が載っている。これが内閣の立場とも一致するものといえよう。だが、問題は、この戦略を国民は欲しているか否かである。これは一言で言えば、強い者にくっついて自分の安全を守る、という立場である。アングロ・アメリカン世界が中華世界とか、イスラム世界とか変われば今度はその者とくっついて、という立場である。「強いものにつく」というこの立場もそれなりに自分の安全、利益を守る目的からは合理的である。だが、危険である。一つは行動基準が相手、強い者がどう思うかに依存するので、強い者の奴隷になる危険性がある。二つには強い者が二人以上いたとき、どちらかについたら、二人の間で戦いが起こったとき、実は自分がついたほうが弱く、その者とともに滅ぼされる可能性がある。

国連派 ならば、全員が同盟しよう、というのが国連の立場だ。一国が強くても、他国がすべて手を結べばそれよりも強くなる。ならばその強者をも含んで全員が相互に同盟しよう、これがもっとも、自分の利益を守るためにも効果的な戦略となるはずだ。今、この二つの戦略が世界の人々の支持を得ようと戦っている。私は岡崎氏と違い、国連派がより効果的だと思う。また、現実性もあると思う。世界第二位の日本がその方向を選べば、流れはさらにその方向に大きく進むと思う。

 

2003・4・30 生活を振り返る(映画,歌,・・・)

 

・映画評

 『たそがれ清兵衛』(山田洋二監督):1、そのころ(明治維新直前、岩手県のある藩)の様子が、現実感をもって描かれている。これはすごい。「うそっぽい」、「現実感のない」映画がある。しかしこれは違う。2、気はやさしくて(家族愛)、力持ち(剣の腕はすごい)。幼馴染の女性への愛情も深く、潔い。だが、最後は,明治の動乱で若くして(40歳ぐらいか?)死ぬ。個人と社会の衝突の問題も感じさせながら、映画は終わった。

 『学校』X?(家出した少年が屋久島の縄文部杉を見に行く話)(山田洋二監督):1、これも現実感がある。なぜ山田監督の映画はそうなのか?人を正確に観察している?だから登場人物も現実の人のように思わせることができる? 2、トラックの運転手(中年男性、女性)、屋久島の道連れの若い女性、泊めてくれた老人、普通よりちょっと多めにやさしい。学校にいけない少年もつい心を開いてしまう。そんなやさしさを持つ人たち。

 

・歌手評

 中島みゆき:1、発声が少し気になっても、そんなこと以上に彼女の歌詞、メロディー、それが強く伝わってくる。彼女の歌には伝わってくる、伝えてくる強いものがある。やはり、人間をよく観察しているのだろう、人を、また自分自身を。

 

・大学生活評

 4年間で何を考えるのか? 一つは「何をして生きていくか」、そしてもう一つは「どうしたらたくさん稼げるか」=稼げる職に就けるか。

生き方と仕事と。その答を見つけたい。だが,今,不況ゆえに一層?「仕事」が学生たちの考えることのほとんどになっている?

→ 誰もがたくさん稼ぎたい。だがそれのみが目標になるのはいやだ。たぶん人はそう感じる。数年で2,30億円も稼いで、そのあときれいな森を買って豪邸を作り、プールを作り、幸せな家族とそこで外界とあまり接触せずに生きていく。これは一見幸せそうだが、本当にそうだろうかと私たちは感じるのではないか。「幸せ度」(強さと長さ)を図る測定器があればどうだろう。オリンピックのように、「幸せ度世界記録」を競って生きたらどんな世界になるだろうか? だが,今そんな機械はない。私たちは,今はまだ,それを自分で感じて生き方を決めなければならない。

 

 生き方を考える? ともかく、まず「生きるか」考える→ここで、「生きる」と決める、とすると次に→「どう生きるか」決める。この三つの行動(二つの選択)をすること。ここから始める。

 

・大人の生活評

 大人になると忙しい。日本人の多くはそう感じているのではないか? 忙しい人が自分の生き方を時折,(できれば一週間に一回でも)振り返る時間をもてないとすれば,それは文字通り「忙」の生活(「心を失っている」)となるのではないか? そして実際に「これは自分の望む生活ではない」、多くの人がそう感じているのではないか? 

国民全体がそれを好まない社会ならば,その生活はよりゆるやかな流れとなろう(森本氏の言う「飲んで歌って恋をして」流の)。

だが国民がそうしない,またはしにくい社会ならば,(5時に帰ったらクビになる,といった社会)、どうしたらよいか? 首覚悟で帰るか? 自分流の自給自足的生活をするか? ・・・

 

2003・4・30 日本経済政策学会西日本部会 春季例会

 

 報告内容

・九大院福山・九共大内藤両氏:産廃処理費用と課税の関係。処理税と埋め立て税。適正処理への補助と監視の問題。

Q:費用の負担者は誰か? 責任論→受益者?

・熊本学園大伊ヶ崎氏:人口規模,人口成長率,教育水準と経済成長率の関連。

・九大院李氏:失業問題と地域内誘致企業の立地政策:企業誘致の立地如何によって都市の失業率に影響が生ずる。

 

 次回は日本経済のマクロ状況についての報告を聞きたい。今の不況について。デフレという新しい問題にどう立ち向かうか,ここに新しい理論的課題が存在する。(S氏)

 

2003・8・29 大阪池田小事件・判決

 

 昨日、宅間被告の一審判決が下った。死刑。彼は、結婚も仕事もうまくいかなかった。すると、彼は生きているのがいやになった。それほどの打撃だった。そして、それは世の中のせいだとして、復讐のために子供たちを殺した。

 彼は多くを望みすぎたのか?エリートにならないと生きている価値がないと思い込んだのか?そう思えるふしがある。彼は雑民のではなくエリートの子弟を殺したいと思った。これは現代の競争主義社会の犠牲ではないか?競争が主義の位置にまで上り詰め、その基準により生きるしかない、そのような社会。彼を見ているとそんな背景が見えてくる。

 とすれば、彼に続くものはまた多く出てくるのだろう。子供がおかしくなり(校内暴力、いじめ、校内殺人、校外殺人、異常な理由の殺人)、大人がおかしくなった(20代、宮崎勉、30代、オウム麻原、宅間守)。目に見えない何かが私たちを狂わせている?

 

2003・11・8

 

 山口市でも、近くで、子育てに疲れて小学6年生の双子の兄弟を殺してしまった母親が出た。

 先日、山口市の長野県人会に出席させていただいた。人生経験の豊富なかたがたが多く、懐かしい信州を大いに思い出させてもらった。年配の男性と、やはり上のような話題になった。今、日本人は皆、このような事件が生まれつづけていることを何とかしなければと思っている。その方は女性が家にいるようになれば解決するとの意見だった。いろいろな意見があるのが現状である。ともかくも原因をはっきりさせることがまず第一歩である。さて、原因はいったいどこにあるのだろうか。

 明日は衆院選の投票日だ。バングラディッシュからの留学生4人を、投票所の見学につれていくことになった。日本のこれから数年の進路を決める重要な日だ。終戦直後の、1946年の80%以上とは行かなくても、70%以上の投票率となるとよい。ここ数週間は、講義でも選挙に触れることが多かった。私たちは、今どこにいて、どこに向かおうとしているのか。これを考えつづけるためのよい機会ととらえたい。

 

2003・11・12

 

 投票率は60%。1996年の小選挙区制導入時に、それまでの70%前後からがくっと落ちて以来、ずっとこの調子だ。政治を安定させるというねらいで自民党はこの制度を導入したが、国民のあきらめ、無関心を育てることになってしまった。死票の少ない中選挙区制のほうが今の日本には向いている。このような無理をして「安定政治」を求めることは不要だった。かえって水増し議員を増やすことになってしまった。この悪影響の方が大きい。

 10月に40年来という乾燥が続き、今はやっとときおり雨が降るようになった。今日はよい天気だ。日本の秋だ。色とりどりの葉がキャンパスでも映えている。頭が冴える秋だ。

 

2003・11・23

 

 先日の新聞で、10月は世界で観測史上一番の暖かい月だったとのことだ。まだ温暖化は進んでいるということだろう。

 

 昨日は下関唐戸市場を見に行った。カモンワーフという場所もあり、ボードウオークと、それに沿った芝生がある。市場の中は一般客が買うことのできる魚料理、すしなどが活気あふれる喧騒の中で売られている。魚は主にふぐ。から揚げやふぐ汁がおいしそうだ。東京の築地市場はまたこの何倍もあるのだろうが、二階から見る全体の様子はなかなかのものだ。昨日は連休の(土、日、勤労感謝)中日、そして絶好のお天気ということもあって、人出は非常に多かった。市場内はぶつかり合って歩くほど。そして手に手に買った食べ物を持って、海沿いにでて芝生の上で食べる人たち。老若男女、楽しそうな情景だった。釣りをしている人もいた。海のそばではこのような楽しさがあるのだ。

 

 下関美術館では、フランスの絵画展が開かれていた。19世紀前後だったか。いくつか印象に残ったこと。何枚かの絵は、申し合わせたように、手前を暗く、全体も暗い部分を多くし、一部、遠景の方に明るい光を入れている。明と暗のコントラストによる風景画。これによって何を彼らは描こうとしていたのだろう。人生の明と暗?神と悪魔?だが、二階の展示に移ると、絵が明るくなってきたようだ。手前も明るく描かれるようになり、全体としても明るい、光をたくさん入れた色調になってくる。だが、明るい色を使うからいいというものでもない。まとまりのない絵のように見えるものもあった。それに比べると、全体に暗い色調でも、まとまっている、伝えたいことが分裂していない、主題がきちんとあると感じさせるものは、見ていて落ち着く、気持ちがいい。分裂しているものは落ち着かない。主題があること、それを伝える技術があること、二つ備えて始めて、見る人に何かよいものを感じさせることができるのだろう。ルノワール、モネ、ゴッホ、やはりそれがある。自分の中で、世界をある一つの視点からとらえ、それをしっかりと表現している、表現することができる。

 もう一つ。絵は時間をかけて描く。その時間が、画家が対象を理解する時間である。うらやましいと思った。彼らは世界を観察する。文字通り観察する。じっくりと観察する。普通の人たちは、あまりそれをしない。しようとしないか、時間がないかでしない。だが、私たち一人一人にはそれが必要だ、それを感じさせられた。それをする時間が必要だ。彼らはそれをしている。うらやましい。

 展示された絵を収めた本を買ったのだが、写真の色が現物とかなり違う。残念ながら写真は絵とは違うものだということがよくわかった。

 

 夜放映された9.11関連のプログラムについて。偶然に二年前のあの日、世界貿易センターのツインタワーの炎上、崩壊をビデオに収めた人たちを巡るものだ。2時間番組。はっきりわかったのは、彼らはあれ以降、人生に対して真剣に向き合って生きているということだ。それほどのショックが彼らをそうさせたのだろう。日本でいえば、広島、長崎の原爆級のショックだったのかもしれない。あれ以来、そのことを中心に、自分の、アメリカという国の、世界のことをずっと考えつづけなければいけない、考えつづけている、人たちなのだ。一つの場面に、9.11のその後、ということで、最近のイラク問題をめぐって、ブッシュ政権の政策に反対する50万人のデモも映し出された。しかし、ブッシュ政権はこのことに何の注意も払っていない、それが問題だとの発言もあった。また、チャイナタウンへ通じる道が2年間も封鎖され続けており、商売をする人たちが生きていけない状況も映されていた。

9.11についてブッシュも考えただろう。そして、これらの人々も真剣に考えている。

 

2003・12・22

 

 ある国が他の国を先制攻撃することは、どのような理由があっても許されない。これが現在の国連のルールだ。だが、その国が独裁国で、国民の多くが苦しめられており、民主的な行動が取れないときは、外からこの政権を攻撃してもよいだろうか?家庭になぞらえれば、隣の家の夫が暴力的でその家の家族が非常に苦しめられているとき、私はその家に行ってその夫を暴力で抑えてもよいだろうか?場合によってはその夫を殺しても?警察を呼びたくてもその時間がない場合。

 

 平和に至る道というものはない。平和とはそのやり方なのだ。(禅僧、ティック・ナットハン:ベトナム人) ・・・考えてみたい言葉かもしれない。

 

2004・1・21

 

 イラク 2、3日前に陸上自衛隊の先遣隊がクウェートに入り、そしてイラク・サマワに入った。ところで昨日国会が始まった。今朝のNHKニュースでも、イラク問題をめぐって、今国会は大きな意味を持つものになるだろうと言った。同感だ。もしかして、2月とも言われていた陸自派遣が、先遣隊にせよ、国会前に送られたことは、政府は一部であれ、派遣するということの既成事実化を狙っていたのだろうか?

 

 国立大学 今朝のNHKニュース:予算削減問題で財務省に抵抗していた文科省だが、妥協したことが報じられた。全予算を定率で毎年削減(「効率化」)していくこと(だったと思うが?)を狙った財務省に対し、最低限の人件費には手をつけず、教育研究費にこの効率化係数をかけていくことで折り合った文科省。代わりに先端科学研究には予算をつけるのでこれで競争して手に入れよとのこと。だが基礎研究、人文、社会、芸術、スポーツなどもすべてこの先端研究の分野の対象に入るのだろうか?また、そもそも、選別した研究費配分よりも、一律の配分の方が結果としてはよいと白川ノーベル賞受賞者も言っていた。このことを彼らはどう考えているのか?

 

 小・中・高 先日センター試験で岩国高校に監督に行った。バス移動中教育学部のO先生と話した。相変わらず、または、一層、技術・家庭の科目は冷遇されているそうだ。時間数が減らされているので、教育委員会では正規の教員をあまり採らず、他の教員が臨時免許で教えることが多いという。だがそれでは教えるレベルが低くなる。科目間の差別となっている。なんとかせねばいけない。また、同氏の私への質問に、経済活動は伸びつづけねばいけないと経済学者は考えているのか、というものがあった。それをめぐって2人でいろいろ考えた。(この、会話のやり取り、が楽しかった。いわゆるdialektikというのだろうか。弁証法的会話と言うか、やり取りの中で内容が高められていくような会話。)結局、労働を減らし、ゆとりを楽しむ、そういう生き方に変わることは日本人の選択次第だと言うことになった。つまり、それでも国は生きていける、そういう選択肢は可能ということだ。なぜ可能かというと、事実がそれを証明している。労働を減らせば経済的富は減る。つまり一人当たりGDPは減る。しかしそのような国はたくさんあり、どの国も破綻してはいない。たとえば日本は2001年にPPPで測って一人当たりGDPは26416ドルだった。同年にスペインは21393ドル。では日本よりも19%少ないスペインは破綻しているかと言えばそんなことはない。昨年訪問してこの目で見たスペイン社会は、かえって日本よりもゆったりと生活を楽しむ国だった。ただ、彼らはすでに過去の歴史の中で富を蓄えたからだ、という可能性もある。だが、他国を支配したことでそれができたスペインだが、日本は鎖国をしたがそのもとで日本文化はそれなりに発達した。それが日本の富だともいる。というわけで、この問題、可能性はどう考えるのがよいだろうか。

 

 2004・2・21

 

 18日だったと思うが、テレビで長野県警に対する訴訟事件を報道していた。長野市でパトカーが不審車を追跡したところ、その車が猛スピードで逃げ、数キロカーチェイスがあり、最後は逃走車が横道から出てきた軽自動車とぶつかり、軽自動車の二人の若い男女が死亡したというものだ。警察は自分たちに落ち度はなかったという。だが、常識で考えても、赤信号を6回も無視して逃げる車を追いつづけることがどんなに危険か、誰でもわかる。警察にも、数年前に作られたマニュアルでは危険があると察知したら追跡を止めることとあった。警察はこのマニュアルの効力はすでにないという。だが、このマニュアルの正しさは万人が認めるだろう。結果としてこのようなこととなることこそ、そこで言う、察知されるべき危険のはずだ。仮に警察の態度を正しいと認めるなら、これからまたいつでもこのような事件は繰り返されるのであり、そのたびに警察は、それで正しかったということになる。これは受け入れることはできない。

警察であれ、誰であれ、おかしいことを一つづつ正してこそ、世の中は住みやすくなる。訴訟を起こしたご両親を支持したい。

 

2004・5・17

 

映画で学ぶヨーロッパ社会。

 

山口国際交流映画祭2004(ヨーロッパ映画祭)があった。ドイツ、スペイン、イギリスの映画を通してヨーロッパ社会と、そこに住む人々に触れることができた。触れることができた気がする。

ドイツは「飛ぶ教室」。ベルリンを舞台に寄宿生の中高校の合唱団が登場する。孤児で船長に育てられた男子が転校して来る。同室になる仲間たち3人と生き生きしたときをすごす。寄宿生集団と通学生集団の対立、相手集団の女の子との恋。冬のベルリンの雪景色を舞台に少年群像が描かれる。もう一つ彼らの尊敬する音楽教師。子どもたちの心を思いやれる教師が、「飛ぶ教室」の上演だけは認めない。実は彼はこの学校出身で、親友が西ベルリンに逃げたとき、その巻き添えで退学になった。その親友は今では実は学校そばの荒れた土地にあるトレーラーに住んでいた。国境なき医師団の一人として活動しながら時折帰ってくる。しかし彼もまた昔の親友に会うことができない。彼を苦しめたという気持ちがそれを妨げている。この彼と子どもたちが友達になり、そこでこの脚本を見つけた。この脚本はこの男と先生とが昔作ったものだった。最後はこれを上演して終わるのだが、映画を通して感じられたのは、よい意味での「個人主義」だ。一人一人が生き生きしている。一人一人が悩み、喜び、仲間ともそれを分かち合う。

スペインは「めざめ」。Carnage(大虐殺)とあったような気がするが。闘牛士と牛、保育士と彼女の父母(特に母)、5歳の幼女と家族、犬、29歳の女優とスキンヘッドの男、剥製士とその母、身重の女性とその夫が登場し、その生活が描かれる。闘牛士の大怪我、幼女のてんかん症、母の自殺、夫の浮気など重いシーンも多いが、何かが残る。どちらかといえば心地よい何かが残っている。不思議だが残っている。

イギリスはGreenfingers。開放システムの刑務所で、5人の囚人たちがガーデニングを始める。一人が言った「これまでは命を奪うことをしてきたが、今は命を育てることをしている。今は自分は庭師だ」、この言葉が印象に残る。また、彼らを取り巻く寛容的環境、たとえば民間の庭園の手入れに行く、庭造り品評会(ハンプトンコート)への出場など。イギリス以外でそのようなことが試されるだろうか。ユーモラスな、希望と勇気が少し入っている社会を垣間見たような気になる。

 

世の中の一つ一つのものには、たくさんの違うものが詰まっている。

一人として同じ人間はいない。同じものを見ても、すべての人は違う感じ方をする。

一人一人の人間の中に、たくさんの個性が詰まっている。 (三色の映画の違いだけからもそれがわかる。青の飛ぶ教室、赤のめざめ、緑のグリーンフィンガーズ。そしてそこに住む人々の集団としての違いと、またその中での違い。)

それを表現しよう。

 

2004・6・1

 

今日は衣替えの日だと言う。心も衣替えが必要かもしれない。イラクではずっとテロ、攻撃、殺人の応酬が続いている。サウジでも、アフガンでも。人と人の殺し合いのニュースを私たちは見続け、聞き続けている。だが、それだけだ。しかし、どうしたらそれを終わらせることができるのか。考えをここに持っていこう。ため息をつくだけではだめだ。どうしたらよいか考えねば。イスラエルでも、イラクでも、ここに至った長い、複雑な経緯がある。それを考え出すと、簡単な解決は不可能なように思える、・・・一見。しかし、人は死につづけている。殺されつづけている、兵士も、市民も。何とかすぐに解決せねばならない。どうしたら解決できるか?どうしたら解決できるか?これまでの経緯も、このことを考える中で扱いたい、扱うべきだ。今何かができない言い訳にすべきではない。・・・どうしたらよいか?

 

2004・7・3

 

今日は七夕祭。外では学生たちの元気な声が聞こえている。昨日は少し湿度が高かったが、それと、大学祭の準備をしている学生たちの姿が、昔大学祭をしていたころの自分の姿を思い出させた。あれから30年程が経った。今の日本はあのころと比べてよくなったのか?(・・・もしかしたら悪くなっているかもしれない。)昨日数人で会食をしたとき、ある学部の知人が、教員の補充が、従来の学問体系の体系性を維持できないやり方で進められているという話をした。大学の生き残りのために何か新しいことをする必要がある、との考えはそれだけをとってみれば正しいかもしれない。だが、伝統的なこれまでの学問体系を崩してまでそれを行う必要があるのかが不明のまま、とにかくそちらに進んでいるような気がする。そのとき、その原動力は学問の発達ではなく、自分の生き残りである。そのように見えてしまう。これではおかしい。学問を基準にしなければ。

 

ある知人の妻(教員)は、その夫が病気になり、その介護のため1週間ほどの休暇を2回取ったことを上司からいろいろ言われ、仲間と思っていた人たちからも非難に近いことを言われ、精神的に参ってしまっている、という話も聞いた。親からの批判か、それを上司が気にすることがその背後にあったらしい。おかしい。家族の病気介護のための休暇を取ったことを批判する、そんなに休むなと言われる。そんなにも余裕のない社会になってしまったのか、日本は。潤いも何もない社会に。小泉首相、あなたの三年間の施政のもとで、社会の中の見えない崩壊が一層進んでしまったのではないのか。・・・だが、国民は自らにふさわしい政治家しか持つことができないと言われるのだから、それもやむをえないかもしれない。大臣たちも普通の人である。結局、国民一人一人が責任を持たねばならないことを自覚せねばならない。小泉内閣は、「政府に頼るな」と言った。「景気が悪くても、外国で人質になっても、自分で何とかしなさい。自力更生の精神だ。」このように言い放つ人たちが指導者になれる国なのだ、日本は。だから、今国民がすべきは、一人一人が自分の責任で国を作るという気概なのだ。そうすれば、首相が誰になろうとも、失望することはない。はじめから政治家に頼ることはないのだから。「お気楽小泉」などと揶揄される首相でも、気にしないで済む。

 

淡々と、粛々と、社会が壊れつつあるのだろうか。真剣に考えるべきだ。かつてトトロの映画が大ヒットしたころ、それは日本国民の本能的危機感がすでに拡大しつつあったからかもしれない。寅さん映画の長寿記録も、始めは単なる懐かしさから、そして徐々に、現状への失望が過去への強い郷愁に変わった、それが根にあったのではないか。