質問・感想 回答・検討・紹介 2009・10・30の講義
 
1(講義の進め方)
 
・旧版使用者用の、教育論文の予習範囲が見えない→5日に掲示。
・予習ノートの手書き時の文字の大きさは?→自由。
・要点をまとめるコツは→一例:まず全部読む、そのとき、重要箇所に傍線を引く。二度目に傍線を頼りに、要点をまとめる。
・毎回レポートを作ることで文章をまとめる力がついてきたように思う。
・大学に入って失っていた勉強という習慣を取り戻すことができた。
・予習は本を読みながら考えていくことですごく意味を理解できるし、面白い。
・期末試験の持ち込みは→原則、不可。(留学生は辞書のみ可。)
・できるだけ文字や言葉を省略しないで。
 
2(内容)
 
・(29日の格差問題の講演)自己責任論をどう考えるか?→4つの椅子に8人、のたとえは正しい。次は、シェアするか、椅子を増やすか。
 
・20世紀後半に「誰のため」が再び注目されたとある。では今はどうか?効率性重視の社会(は変わったのか)?→欧米、日本、政権交代の状況を見ると、変化の兆しがあるのでは。
・これからの日本はロールズの概念を主とした方がよいのか?→そこから学ぶ余地は大きいように思う。
・社会主義社会では階級がないので、フィスクの主張は当てはまらない?→
 
・無知のヴェールをかぶらせても全員一致になるとは思えない。→なるのでは?(かぶって推論をする。私益最大化を目指すと一つの答になる。・・・とロールズは考えた。)
・力の均衡、の力とは?→暴力、または言論の力。
・言論の力で力を均衡させることはできるのか?→前述。議会で、100%対0%、または強者側が若干の譲歩をする。問題によって、いずれか。
・現代の日本では誰が公正なルールを決めている?→国レベルの問題は国会、地方レベルは地方議会。(暴力的主張は認められない。処罰される。)
・最低ラインが保障されていれば全員一致がなくてもよい、というのには納得した。
・奴隷制はいつ始まった?(文末へ)
・なぜ奴隷制が公正なのか?公正の定義は正当に扱われていることではないのか?→たとえある制度に不満でも、それを変えられないときは悔しくてもそれを認めるしかない。その状態ではその制度が社会の中で通用しているという意味で公正。
・奴隷側から見ての公正(解放)に向けての手段は何でしょう?→逃亡。反乱。説得。なお、古代奴隷制では、戦争奴隷についてはお互いが納得していた?
・奴隷社会でも正当となるとは世の中の流れはすごい。そうならないような「言論の力」があって欲しい。
・分配には歴史的流れも関係している。歴史から学ぶことは多いなあと思う。
・現在私たちは(奴隷制ではないという意味で)平和に生活しているということをあらためて感じた。
・暴力でルールが決まる社会では治安が絶対悪いので怖い。→内戦状態の国々。治安が悪い国々。
・人は価値観が違うので(板書では、矢印の方向が違うので)完全に公正な社会は成立しないのでは?→公正とは機能しているルール・制度だから、多数者が理想ではなく、最善としてある案に賛成すればそれが実施される=公正となる。
 
・友愛の政治とは福祉の充実ということか?→それもある。
・介護士の賃金をどう上げるか?利用者負担か公的補助(税金)か?自分は公的補助が良いと思う。→
 
 【奴隷制の始まり】
 (Wikipedia 参照。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%B4%E9%9A%B7
 (注:編集中のものであり、責任者は不明。とりあえずの参考として。)
 
 欧米の奴隷制
・古代のヨーロッパ( ギリシア・ローマなど)
 金銭で売買。戦争に負けて捕虜になった事により奴隷に転落する者も。
・中世ヨーロッパ
 キリスト教徒による大規模な奴隷狩りで捕らえられたスラブ人(「奴隷(スレイブ)」の語源)を、ジェノバの商人たちの手で黒海貿易によりアジアへ輸出。
 農奴:職業・居住地の自由を持たない半奴隷的な農民。
 15世紀〜19世紀 黒人奴隷:アフリカ諸地域から輸出。南北アメリカ大陸で、プランテーション農業などに従事。南北戦争(リンカーン大統領、奴隷解放宣言)によって廃止。だが大半の黒人は1971年まで、「選挙権はあるが投票権がない」状態だった。
・アジアの奴隷制
 古代中国 殷 戦争奴隷 労働力・軍事力に。
 タイ 捕虜となって、または国内で多額の負債を負って、奴隷身分に。
 日本 
 弥生時代:『後漢書』の東夷伝、「倭国王・帥升が、生口(奴隷)160人を安帝へ献上・・・」(西暦107年)。魏志倭人伝、邪馬台国の女王・卑弥呼が婢を千人侍らせ、西暦239年以降、魏王へと生口を幾度か献上。
 古墳時代:飛鳥時代の大化の改新・律令制度 人口のおよそ5%弱、公奴婢(くぬひ)と私奴婢(しぬひ)。売買の対象。公地公民の律令制度の解体と、荘園の拡大にともない、事実上消滅。907年の延喜格で正式に廃止。
 平安時代後期:社会秩序の崩壊→人身売買が増加。貨幣経済の発展→人身を担保に融資→自由を失った人々が下人となった。所有され、売買の対象。『安寿と厨子王(山椒大夫)』
 14世紀以降、奴隷の所有は黙認。南北朝時代・内戦期、中央の統制が弱まって軍閥化した前期倭寇が、朝鮮や中国で奴隷狩り。
 江戸時代:奴隷身分は廃止。だが年貢を上納するための娘の身売りは認められた。「人買」(ひとかい)は、こうした遊女の売買を行う女衒を指す語として、この時代に一般化。また、前借金による児童や青少年の奴隷労働(年季奉公)、広汎。
 明治時代:明治維新による近代化の後も継続。1872年芸娼妓解放令。1870年外国人への児童の売却を禁止(太政官弁官布告)。島原・天草を中心とする地域から、日本女性の海外への「輸出」が大規模に発生(からゆきさん)。これは、太平洋戦争の勃発、日本人の海外への渡航制限まで継続。