第五章 資源分配ルールの再構成(二):教育費
―公正性基準分配ルールの補強の問題(2)―
はじめに
―教育費負担原則と大学授業料について―
まず、章の表題に示した教育費の問題、とくに大学の授業料負担の問題に対して、以下でどのような視点から取り組むかについてふれておこう。本書の基本的ねらいは現行の市場経済社会に欠けている、あるいは達成が不十分であると考えられる自然資源の分配方法、協働成果の分配方法、成果の慈恵的分配方法の諸問題を考察することにある(1)。これらの基本的分配ルールをめぐる争点に関して安定的合意が形成されたとき、はじめて、各人は市場経済システムの下での競争的な生産活動に安心して入っていくことができる。すなわち、そのような基礎的なルールが成立して初めて、その基盤の上で市場経済システムを通した各人による行動の選択は、個々人の私利を求めての自由な試行錯誤の過程、個別的な合理的判断に任せることができる。
では、本章で扱う教育費の負担原則の問題は社会の全体的システムの中でどこに位置するのか。それは市場経済の内部に位置するのか、それとも外部に位置するのか。まだ市場機構に入っていない、そこに入るための教育を受けている子どもたちを思い浮かべるならば、教育は市場機構に、またその上に立つ社会に入るための入り口の手前といった「外部」に存在すると見えるかもしれない。だが、成人して市場内部ですでに働きながら、追加的教育を受けて自分の能力を高める場合はどうか。それは「市場内部」ではないのか。内部か外部かの問題は、このように若干不明瞭なところがあるが、本章では若年の間の、就業前の教育を念頭に置くことにする。この場合は教育とは市場経済の外部、前提的位置にあるものと理解してよいであろう。
次に、このように市場経済の前提的位置としての外部に存在する教育は、私的に購入、提供されるべき財なのか、公的に提供されるべき財なのかが問題となる。現実を見れば、世界の国々では、また同じ国の中でも初等教育、中等教育、高等教育(大学以上)の間では、その費用負担に関して私費と公費がさまざまに組み合わされて教育が行われているのが実情である。一般に、社会成員全員に効用をもたらしうるが、各人に対する効用の程度を知ることが困難であり、またその利用状況を個別に確定することが困難な財は公的に提供されるべき財=公共財であると考えられている。教育は後に詳しく見るようにたとえば生涯所得に影響するという意味で個人的効用を増加させうる側面をもつが、同時にたとえば社会的協力の水準を全体的に上げるという意味で大きな共通の効用も生み出しうるという側面も持つ。その意味では教育は一見して、私的財か公共財かの区別がつきにくい財であるように見える。
この点についてもう少し考えてみよう。政府の諸活動は公共財の提供にある。防衛、経済調整、社会保障などの公共財が一国社会の構成員の効用を、それなしの時と比べて大きく増加させていることは誰の目にも明らかである。その政府活動の費用は、ごくわずかの一部の手数料を除けば、ほとんどすべてが税金によって賄われている。教育もこれと同様の、広範な社会的効用を生み出す側面を持つという側面を見れば、それは他の政府活動と同様に税金で賄われるのが適当であるように見える。しかし、教育活動は他の一般的な政府活動と異なり、他方で、そのサービスを受ける者の個人的所得を大きく増加させる場合があるようにも見え、また、その意味でその利用者、受益者を特定できるようにも見える。とはいえ、たとえば同様の教育を受けても卒業後の生涯賃金は個人によって大きく異なる場合も多く、それがその利用者に与える効用は必ずしも明確ではなく、このような教育の個人的効果がどれだけかを明示するのはかなり難しい。ただ、たとえばこれも後述するように、高卒と大卒の人々を一般的に比べたとき、そこには生涯賃金の大まかな差が認められるという研究結果もあり、大まかに見るならば、教育については他の公共財とは異なり、各利用者から一定の費用負担を求めてよい、求めるべしとの考えも成り立ちうるかもしれない。このように、常識的に見ると、教育費の明確な負担原則を決めることは必ずしも容易ではないように見える。
日本では教育に関して政府が「受益者負担」(後出)という言葉をしばしば使ってきたことも影響してか、教育の個人的効用という視点が国民の中で大きな比重をもっているように見える。この点はこれも後に見るように他のいくつかの先進工業国とはかなり異なった現象である。しかし、上に触れたように、教育とは社会全体に、そして現在の多くの国々では市場経済社会に入るための前提的な共同作業であり、それはその社会自体を成立・存続させるための、すなわち社会を維持・存続させるための基本的な作業でもあるという視点からこの問題を考えることもまた重要なことであろう。教育という公共財は市場経済社会に入るための、あるいはそれを維持するために必要な財という性格をもつ。このように考えることができるならば、教育財は、誰もの利益になりうるが、誰がそれを使ったかはわからない、という意味での他の公共財とはちがう目的をもっている。(その意味で、これを他の公共財と区別するために「前提的公共財」と呼ぶこともできよう。)それはある社会を成立させ、同時にそれに入るためのものなので、すでに存在しているある社会の内部で採用されている負担ルールを適用することはできない。「市場が機能する以前」に入手していなければならない財の入手根拠としては、「市場で取引される」一般的財に対する入手方法、すなわち市場内部における貢献度に応じた報酬の入手という方法はとり得ない。その意味で、たとえば市場経済社会における受益者負担というルールを適用することはできないものと考えることができよう。このように考えることができるとすれば、その費用負担はその受益者ではない者による以外になくなる、すなわち社会的無償財として社会成員全員の共通負担で提供される以外にないことになろう。
こうして、教育費の負担方法としては、とりあえずは、一方で受益者負担としての負担方法論が考えられ、他方で社会負担としての負担方法論が考えられるように見える。この両者の間の選択の問題として、現行市場経済社会における原理的な問題としての、教育財の費用負担者は誰かという問題が存在する。
この問題を解決するための一考察として、本稿では国立大学の授業料負担の問題を扱う。人類の祖先の遠い昔の時代には、子を育てるのは親であった。だが、現代社会では、たとえば多くの国での義務教育の無償制、あるいは欧米では高等教育も無償制をとる国も少なくないことに示されているように、教育のうちの大きな部分が個別の親の手をはなれ、社会的な共同事業、すなわち「学校教育」として運営されている。人類が孤立した原始的な動物的生活を送っていた時代と比べ、遙かに緊密な社会生活を、遙かに広大な空間的範囲の中で行っている時代において、果たして教育活動は、中でもまた学校教育はいかなる私的性質、あるいは社会的性質のものとして行われるのがよいのか。教育活動、すなわち教育財の生産と分配、言い換えれば子どもを教育しその能力を伸ばして大人にし、社会に入れるようにするための人間の行動は、今、どの程度の社会性の強さと内容を持って行われるべきなのか。この問題は現代の多くの国々に広く共通するかなりの普遍性を持った問題であるとともに、高等教育=大学教育の費用が「受益者」に対する重い学費負担という形を取って表れている今日の日本社会においては、とくに早急な答が迫られている重要な問題となっていると言えよう。
日本の大学の授業料は、第二次大戦の敗戦以降一九六〇年代まで、私学では高く国立では低いという状態が続いていた。しかし一九七〇年代には国立のそれも急上昇を始め、現在では私学のそれに追いつきそうなほどにまで接近した学部もある。この間、私学の学費値上げを抑えるため、政府からの私学に対する公的援助も開始されたが、近年その伸びは鈍化し、結局のところ、公私いずれもその授業料の高さが際だつ状態となっている。そして、それは社会の多方面でさまざまな問題を生み出す原因となったとも言われている。(たとえば少子化の原因の一つは高等教育の高額費にあるとの指摘もある。)大学の授業料に比べ、それ以前の小中高各学校段階では未だ、こどもたちの大半が学ぶ公立学校においては高額授業料はそれほどの問題とはなっていない。本稿では教育費負担のあり方を、まずは現在の日本社会の教育費問題が最も切迫した状況にある大学授業料、そして中でも近年その上がり方が激しかった国立大学授業料のあり方を焦点にすえて考察する(2) 。
第一節 費用負担の考え方―社会的公正性の問題として―
<教育費の負担者の問題>
今、多くの国々では、公共財の費用は基本的に社会が共通に負担するとされ主に税収から賄われる。教育費の一定部分も税収から賄われている。日本の教育費は、公立の小中高の学校ではその大部分がこの税収プールで賄われる。したがってこの部分の教育は社会的共同事業となっており、それぞれの家族の所得の多寡に関わらず、子供たちはその期間の教育を社会的に保証されている。だが、高卒後の教育、高等教育はそれとは大きく異なる。明治以降、幾多の変遷を経ながら、ここ四半世紀の間国公立大学では、授業料、入学金として高校までとは比較にならない多額の支払いを被育当事者が要求され、徴収されている。それはなぜなのか。そもそも大学の教育費は被育者個々人が負担すべきものなのか。
<社会的公正性の視点>
この問題を、「はじめに」でふれた教育の一特性、すなわち市場経済社会に入るための人間行動(教育という活動)という視点から考えてみよう。この視点は、社会の維持・存続のための作業の一つとして教育活動を捉え、そのようなものとしての教育は誰の費用として負担することが正しいのか、という社会的公正性の問題としてこの問題を考えるというものでもある。
そもそも市場経済社会における所得分配の基本的原則は「貢献度に応じた分配」という点にある。一方、教育は当人(=こども)の稼得能力がないままに受ける財・サービスである。そこで、その費用を本人以外の誰が負担すべきか、個人(=親)が負担すべきか、社会(=親全体)が負担すべきかという問題が生ずる。もしそこで教育費が市場以外の原則によって供給されるべきものであるとされるならば、それは現行社会を基本的に設計し、作成する上での一つの問題、すなわち社会成員全体が共同で行うべき活動として位置づけられる。そのためには、社会にとって学校教育とはそもそも何かという問題が解決されねばならない。大学の学費問題の基本は、この意味での学費の負担原則確立の問題であり、この原則選択の基準は社会構成員の合意にある。この種の社会の基本構造の選択、社会ルールの選択は、その上に立つ社会システム全体の安定性を左右する。それが強く、広い合意のもとに作られたルールであるならば、それは社会の構成員の間に社会的協力関係の維持に対する強い意欲を生む。そもそも人間は自分がその中で生きているその社会が共同の生産活動において効率的であるだけでなく、その分配方法において公正かつ慈恵的であると感ずるときに初めて、その協力関係=社会それ自体を維持し続けようという意欲を持つことができる。どれだけその社会が効率的であっても、その存立条件が、(市場経済社会においては競争条件が)不公正と感じられるならば、その社会は不安定なものとならざるをえない。たとえば、今問題としている教育費に関して言えば、たとえある学費負担方法を採ることによって社会の多数の人々が社会的協力への意欲を大きく失うこととなれば、それは社会の基礎的な安定性という、社会の持つ最重要な効用を掘り崩し、社会の靱帯を破壊するというもっとも重大なマイナス効果を社会に与えかねない。およそ社会の問題のすべては基本的には効率性、公正性、慈恵性の三つの要素をバランスよく発展させることにあると考えられるが(3)、学費の負担方法は、この社会的協力に入ってゆくために必要な生得資源を誰の負担で伸ばすべきかという資源分配の方法に関わる社会的公正性の問題の一つとして位置づけられる。
若干の補足:教育の効果とその測定方法について
ここで、教育(以下、教育とは学校教育を意味する)の効果とその測定方法に関して若干の検討をしておこう。
一、教育の効果を測定することの難しさについて。
「はじめに」でふれたように、教育の効果は個人的なもの(たとえば生涯賃金の差)と、公的なもの(たとえば社会の全体的な生産性の上昇分の差)が予想されるが、そのような効果の個別額ならびに全体額を測定することは非常に難しい。
全体的な生産性の上昇の例とその測定困難の例としてはたとえば次のような場合があろう。
・一つは教育水準が全体的に底上げされることでその社会(たとえば日本社会)全体で、それまでは不可能だった技術水準の生産が可能となるという場合があろう。たとえばパソコンを使ったメールによる通信技術が一般化すれば、それは各企業内部での情報の共有化が一段と高いレベルで可能となり、生産過程が一段と効率化するであろう。また、不況下での財政赤字の効果についての理解が一般化すれば、ある社会の経済活動が停滞したとき、そこから抜け出すための議論を短縮でき、景気回復が以前と比べてより短期間で済むこともありえよう。いずれも社会全体の生産性が高まる例である。しかしそのいずれの場合でも、その国民の何割がどれだけの教育を受けたがゆえにそれがどの程度可能となったのかを測定することは不可能であろうから、仮にそこでの生産性上昇効果が国民何兆円であると算定できたとしても、それを全体としての受益者、すなわち国民全体から誰の教育費にどれだけ支払っておくべきであったかを測定することは不可能なのである。
・一つは教育がもたらす外部経済的な効果である。一例として、近年、現在到達している公私の高額の授業料が家庭の支出の大きな割合を占めるようになり、その負担感が出生数に影響しているのではないかとの見方が存在する。このような負の効果は教育費の算定の際に取り入れるべき要素であろうが、しかしこの負の効果を教育費に反映させるという視点それ自体がまだ存在していない。
・一つは個人の受けた教育が職場、企業の生産性向上に役立つ例である。たてえば物理学で高額の高等教育を受けた人が物理学とは直接関係がない所得の低い職に就いたとしよう。そのときその人が受け取る給与はかなり低いものとなるかもしれない。しかしその人が物理学教育を受ける過程で受けた対人関係を通した教育の成果として、その職場生活の中で周りの多くの人々の人間関係を円滑にすることができ、その結果、その職場と企業全体の効用を大きく増やすといった場合もありえよう。この場合、教育の生産性に与える効果はまさに大きなものとなる。このことが教育を受ける時点でわかっていれば、そこから利益を受ける企業が前もってその学費の一部を負担することが正しいこととなろうが、しかしそのような将来の効果を予測することは不可能なので、効果に見合った価格を設定することは、そしてまた将来の効果に見合ったそれぞれの受益者が前もってその費用を分担し合うことも不可能なのである。
個人的な教育効果の測定が困難な例は次のように説明できるであろう。
・たとえば各人間の生涯賃金に差があるとしよう。たとえば大卒者と高卒者の二グループを比べれば無視できない生涯賃金の差が存在しているように見えるかもしれない。だがその差のどれだけが学校教育からのものであり、どれだけが家庭教育からのものか、また生まれつきの資質によるものかを正しく測定することは困難であろう。
なお、仮にこれが把握できると仮定してみた場合でも、学費を払う自点において、こうした将来の効果を正しく予測することはできないであろう。たとえば、私たちは教育という財の価格が、それがもたらす生涯賃金の増加分より小さければこれを購入するという原則に従って行動していると仮定してみよう。私たちは日本の私立大学で教育を受ける場合は、ほぼ学校の運営に必要な費用のうち、一、二割の公的な助成を除いた教育費のほとんどすべてを学費として「買い手」側が支払っている。しかし、この場合には実はその将来の効果が不明なため、費用=価格がどれだけ正確なものかは分からないまま私たちは支払いを行っているという基本的な問題がある。私たちは一般に商品の購入に当たってはそれがもたらす効用と失う効用、すなわちその財を消費することから手に入れる効用と貨幣を手放すことから失う効用とを比較し、その差額が最大となるようにその財の購入量を決める。しかし教育という財、活動については、それがもたらす効用量を予測することは非常に困難であるので、購入者がその正当な価格をつけることは非常に難しい。需要曲線が描きにくいとも言える。需要曲線が不確定なのだから教育の「価格」付けはそもそも非常に不正確なものとならざるをえない。
このように、教育活動に対してはその効果に見合った適正な私的負担=受益部分への対価を支払うべしとかんがえる場合でも、実際にその受益の大きさを測定することは不可能なのである。教育は、その効用を容易に予測しやすい日々の消費財とは異なって、長期的に多面的な効用が生ずる特殊な財であり、その効用の、個人的な部分も社会的な部分も正確な測定は困難なのである。
二、「公費負担が低所得層に与える負の効果」について
学費の社会的負担、公費による教育は一面で社会的靱帯を形成、強化するというプラスの効果を持つと期待される。すなわち公費によって教育を受けたものは、社会が協力して自分を支えてくれたと感じ、社会に出てからその社会を積極的に支えていこうという意欲を持つであろうという期待である(4)。しかし、公費による教育は逆の効果も持ちうるのではないかとの疑問もある。それは、大学に進学しない子弟を持つ家庭の場合についてである。一般に、低所得層の子弟は経済的事情から大学への進学率が相対的に低いと考えることができよう。彼らはその低い所得に応じて一般に累進率の低い部分での税を負担しているが、それでもその一部は国公立大学の(2004年度以降は国立大学独立行政法人の)学生を支える部分に回っている。この場合、学費の公的負担は低所得層から高所得層への所得移転ということになる。そこからは、このような事態が低所得層の不公平感をかき立て、社会的協力に対する彼らの意欲をそぐ効果を持ちうるのではないかという危惧が生じうる(5)。
だが、実はこの考え方は短絡的である。もしこの考え方が正しければ、税から支出され、高所得階層の利用頻度が相対的に高いすべての公的支出項目はこのような危惧、不満の対象となりうる。どのような公的支出項目を調べれても、その受益頻度においては高低の所得階層別の違いが現れるであろうと予測される。しかし第一に、そのような調査を徹底させることは公共財の性質上、実際には非常に困難なことである。また、第二に、この所得階層別の受益率を考慮するという考え方、両階層間の受益と負担は一致させねばならないとするならば、こんどは低所得階層が多く利益を享受するであろう公的支出、たとえば生活保護を受給する世帯に回る税収部分を高所得階層はほとんど払わなくてよいことになってしまう。それは所得再分配制度の崩壊を意味し、そしてそれは社会そのものの富裕層と貧困層への両極化を、ひいては社会そのものの崩壊をもたらすであろう。そのもとでは福祉の諸制度はほとんど民間保険の原理と同じものに変質してしまい、生涯弱者であり続ける人に対する救いはなくなってしまうであろう。このような再分配制度の廃絶と社会の崩壊という事態は人々が一般に許容し得ないことであろう。したがって、学費問題を所得階層別受益率から検討することは困難かつ無意味であり、原理的にも不適切であろう。こう考えるならば、公費の教育が社会的靱帯の形成という効果を持つかどうかについては、肯定、否定、両面からの効果が予測されるのであるが、それを持って負担原則を考察することは避けるべきであろう。
このように、大学の授業料負担を巡っては、教育費=学費の効果の総体はいくらか、そのうちのどれだけが私的に受け取る効用でありどれだけが公的に社会全体が受け取る効用なのかを把握すること、またそれを金額で表すことは非常に困難であるといった難しい問題が伴うことに留意しつつ、以下、学費負担の原則について考察を進めていこう。
第二節 高等教育の学費負担原則の考え方
―国際人権規約に至る欧米の思想の検討―
まず、公的負担を基本的に支持する欧米の考え方から見よう。この立場を最も明確に述べている代表例の一つは、一九六六年に国連総会で採択され、一九七九年に日本においても批准され、同年からその効力を発生した国際人権規約中の「経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約(社会権規約)」のうちの次の部分である。「第一三条 一 この規約の締約国は、教育についてのすべての者の権利を認める。締約国は、教育が人格の完成及び人格の尊厳についての意識の十分な発達を志向し並びに人権及び基本的自由の尊重を強化すべきことに同意する。さらに、締約国は、教育が、すべての者に対し、自由な社会に効果的に参加すること、諸国民の間及び人種的、種族的または宗教的集団の間の理解、寛容及び友好を促進すること並びに平和の維持のための国際連合の活動を助長することを可能にすべきことに同意する。 二 この規約の締約国は、1の権利の完全な実現を達成するため、次のことを認める。(a)初等教育は、義務的なものとし、すべての者に対して無償のものとすること、(b)種々の形態の中等教育…は、すべての適当な方法により、特に、無償教育の漸進的な導入により、一般的に利用可能であり、かつ、すべての者に対して機会が与えられるものとすること、(c)高等教育は、すべての適当な方法により、特に、無償教育の漸進的な導入により、能力に応じ、すべての者に対して均等に機会が与えられるものとすること(6)。」
そして、大学、また高等教育一般に対する公的負担に反対する考え方を述べた日本政府の代表的見解もまた、この規約に関わって表明されてきた。それは同規約の署名の際に日本国政府が行った宣言である。それは次のように述べている。「…3 日本国は、経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約第一三条二(b)及び(c)の規定の適用に当たり、これらの規定に言う『特に、無償教育の漸進的な導入により』に拘束されない権利を留保する(7)。」
日本政府のこの立場はそれ以降二〇年余りを経た現在も変わっていない。しかし、教育をめぐる状況は先に述べたようにこの間に大きく変わり続けている。教育費、なかんづく高等教育費は、現代日本社会においてどのように負担されるべきものなのか。上の国連、日本政府いずれかの立場が現在の日本社会において、妥当な、正しいものであるのか。この問題を解くためには、先にふれたように、教育とはそもそも何か、高等教育とは何か、それは人間の社会にとって、そして現代社会にとってどのような意味、効果、影響を持つのかという基本的、原理的問題が明らかにされねばならない。
一つの手がかりは、上の人権規約に示された教育の目的に関する理解にある。ここに示された、日本政府を含む各国政府が同意した教育の目的とは、「人格の完成」、「人格の尊厳についての意識の発達」、「人権及び基本的自由の尊重」、「すべての者」が「自由な社会に効果的に参加すること」、「諸国民の間及び人種的、種族的または宗教的集団の間の理解、寛容及び友好を促進する」こと、「平和の維持のための国際連合の活動を助長する」ことである。各国は教育はこれらを目指すものであるべきことに同意している。
私は、ここに示された諸目的は、「人格の完成と他人格の尊重」という言葉に集約できると考える。そもそもこの人権規約は一九四五年に成立・発効した国際連合、国際連合憲章と、その目的達成のために一九四八年に宣言された世界人権宣言とをその基盤としている。国連は二〇世紀前半における二つもの世界大戦に対する反省として、国家間の平和維持という目的のために設立された。この大戦から各国が学んだことは、人間は基本的に平等であるという人間の属性、性格であり、これを国内でも国家間でも、または人種間でも無視することが相互の残虐な争いの根源となったことであり、また将来もなりうるであろうことである。この人間間の平等という事実を理解し、自らの完成と他者との共存を目指すこと、また、その理解の実現のために様々な紛争予防、紛争解決のための機構を作っておくことが国連の目的であった。そして世界人権宣言は、まだ文字通り目標を示そうとする宣言であったため、その具体化のための規約づくりが一九五四年より開始され、一九六六年に世界人権規約が成立したのである。
人権に関する宣言としては、すでに一七七六年のアメリカ合衆国の独立宣言、1789年のフランス人権宣言があるが、両者ともにその基本的ねらいは、統治の主体がそれまでのような絶対的圧制者の手ではなく、国民にあることを宣言する点にあった。そしてまたそれゆえに国民が自らの判断で圧制をなくし、新しい政府を作ることの正当性を宣言する点にあった。一五一六年、トーマス・モアによって『ユートピア』の中に示された「全員が働き学ぶ」社会の構想、そしてまた一七世紀にコメニウスによって述べられた、教育が貴族のみに独占されるものであってはならないという思想は、そもそもこうした人民主権国家の姿を描こうとしたものであった(8)。
これ以降、人類史における人権、human rightについての問題は、人民主権の国家の内部における「平等な人々」の間でのその具体的内容をどのように作っていくかに移った。人間は自らの生き方、自らの権利を自ら作り、選択することができる。もはやそれを絶対的な上位者から押しつけられることはない。だが、ではどのような権利を自らが、相互間で作ったらよいのか?これが次の問題となった。自由権についてはフランス人権宣言の第四条が言うとおり、それは最低限、「同様の諸権利の享受を社会の他の成員に保護する」ことができる限りで、という「限界」を持つ。そこには前もって、人間集団の中の上位者が決めているような与件的枠組みはない。人間はお互いが納得すれば、それが平等に誰にも与えられるという条件の限りで、どのような権利を作ることもできる。つまり、どのように生きることもできる。では、健康、教育、勤労などに関わる権利(現在社会権と呼ばれているもの)はどのようなものとして作るべきか。これが次の問題となった。
その一つとしての、本章のテーマである教育を受ける権利について見てみよう。一七七九年に米国でトーマス・ジェファーソンが起草した「知識の一般的普及に関する法案」は、人民の政府を維持するために人民自身が知識によって武装することの重要性を示している。それは権利という言葉を直接前面に出してはいないが、その内容においてそれはまさに市民社会において構築されるべき新しい権利、いわば人民を育てる権利、人民が主権者として育つ権利を提起したものと理解してよいであろう。この点に関して真野宮雄氏は、アメリカ独立期には「近代公教育思想の特色が典型的に認められる」と評価している(9)。氏によれば、国民が知識を身に着けることを積極的に求めた例として、フランス革命期とアメリカ独立期があげられる。ジョージ・ワシントンは国会の最初の年次演説の中で、「知識は、あらゆる国において一般社会の幸福に最も確実な基礎である」と述べた。ジェファーソンは「あらゆる政治機構は、国民とともによる以外には安全な保障がなく、しかも知識のない国民とともにでは決して安全ではあり得ない(10)」、「これまでの経験では、最善の政治形態の下でさえ、権力を委ねられたものは、日が経つにつれて次第に手心を加えて、その政治形態を暴政治へと変えてしまう…。そこで、これを予防する最も効果的な手段は、民衆一般の知性をできるだけ実際的に啓蒙することである」と述べた(11)。このように主権者としての人民を育てることが、その後創造されていった市民社会における教育制度の大きな目的であったと言えよう。
しかし、その後は百数十年を経て遭遇した第二次世界大戦の悲惨な経験を通して、人類は各国間における、そして各国内の人間集団間におけるそれまでの自由観、平等観がいまだ不十分なものであること、自由権と人間間の平等な権利の保証がいまだ不十分なもの、狭すぎるものであることを知った。人類は相互の自由権的人権が、自民族、自人種、自国内部でのみならず、広く相互の民族間、人種間、国家間で保証し合うもの、認め合うものとならなければ、再び世界大戦が起こりうる危険性を持つことを学んだ。この点への反省から、国連憲章では、その活動の主要な目的として「国際の平和及び安全を維持すること」をあげ、そのために「すべての者のために人権及び基本的自由を尊重する」ことの重要性を指摘した(第一章、第一条、第一、三項)。そして、人権に関する具体的説明として、世界人権宣言が、「すべての人民とすべての国とが達成すべき共通の基準として」公布された。それは第一条で明確に、「すべての人間は、生まれながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である」と宣言した。この基本的考えのもと、続いて政治的権利と経済・社会的権利が述べられた。そして、教育を受ける権利については第二六条で、「一 すべて人は、教育を受ける権利を有する。教育は、少なくとも初等の及び基礎的の段階においては、無償でなければならない。…高等教育は、能力に応じ、すべての者に等しく開放されていなければならない。二 教育は、人格の完全な発展並びに人権及び基本的自由の尊重の強化を目的としなければならない」と述べている。
この宣言を受けて、一九六六年の人権規約ではさらに具体的に経済・社会・文化的権利と市民的権利・政治的権利が規定されることとなった。人権宣言の上記の第26条、教育を受ける権利は前者に含まれ、その第一三条において、初等教育の無償制と並んで、先のように、中等、高等教育の無償制の漸進的導入が目指されるべきことが述べられた。そして、これらの諸権利は、その前文において、「人類社会のすべての構成員の固有の尊厳及び平等のかつ奪い得ない権利を認めることが世界における自由、正義及び平和の基礎をなす」ものであり、「恐怖及び欠乏からの自由…の理想は、すべての者がその市民的及び政治的権利とともに経済的、社会的及び文化的権利を享有することのできる条件が作り出される場合に始めて達成される」がゆえに必要であることが述べられている(12)。
このような道筋を見ると、人権規約における高等教育の無償制の必要性は、それが「恐怖及び欠乏からの自由」を達成するために必要だからであり、さらにそれは、それが人類社会の構成員の基本的な平等性を理解するために、そしてそのような社会を作り出す力を身につけるために必要だからであると理解される。すなわちそれは、いわば人類社会の健全な構成員を育てるためという目的・必要性に根ざしていると言えよう。高等教育は初等、中等教育とは異なり、能力に応じた機会が与えられればよいとされてはいる。が、それはやはり初等、中等教育と同様に、あくまでも人類社会の健全な一員を育成するためという目的を持つのであり、その限りでそれは社会の共同事業であるのである。この共同事業性ゆえにこそ、高等教育も含め、教育は本来は無償となるべきものであり、現実としてもその方向を目指して漸進的に無償化を目指すべきものであるとされていると考えてよいであろう。
こうした考え方をその重要な背景として欧州各国の大学の授業料は日本と大きく異なり、戦後長期にわたってフランス、ドイツ、ノルウェー、スウェーデン、オーストラリアが無償、イギリスは本人が実質的に無償、カナダ、オランダは日本に比べてかなりの低額となっていた(13)。イギリスではすべて私立であり、運営費の九〇%を大学運営補助金委員会の補助金で賄っており、学生の出身地の地方教育当局が授業料相当額を奨学金として大学に支払う(14)。ドイツではすべて州立、授業料は無償、学生事業費、学生団体費、学生疾病保険費が必要なだけであった。フランスでは大学がすべて国立で授業料は無償、登録料と若干の実験費が必要なだけであった。
歴史的には欧州におけるこの授業料無償の考え方は遠く12世紀にさかのぼる。一一世紀の北イタリアの諸都市では、公証人養成のために学生は結社を形成し、この学生団が教員を採用し、教員はその謝金で生計を立てていた。だが、一一世紀のフランスのノートルダム修道院では教会参事会員の家で学校を開き、一一七九年のラテラノ公会議で「先生は教会の収入で生計を立てているのだから、生徒から謝金ー授業料ーを要求してはならない」と決定された。「この決定が、授業料なしの教育という原則を宣言した」とされる。だが、教会を欠いたアメリカでは、カレッジを支援する諸宗派の力は弱く、そのため「授業料は、…学長を信頼して子弟の訓育を委ねたアメリカ市民からの、訓育の業務に対する代価の支払いであった(15)。」だが、もちろん、先のアメリカ独立期の、主権者の育成という教育の役割が強調されたという社会的背景ゆえに、このような授業料徴収を原則とした米国においても、高等教育が単なる個人的な利益追求の行為と見なされるものではなく、その社会的な意義ゆえに連邦政府からの援助、あるいは様々な寄付金による援助といった社会的支援に支えられる方向に進んだことが留意されるべきである。
だが、こうした欧米における公的負担の思想は、近年若干の受益者負担の方向が加味されようとしているかに見える。たとえばフランスでは、一九八三年のポスト・バカロレア人口は一三九万人で、該当年齢人口の三分の一を占めていたが、政府はこれを今世紀末までに200万人に増やす方針を示した。しかし、その財源が問題となった。高等教育人口の九割を擁する公立セクターに対しては授業料徴収には強力な反対論があり、これを私学増設で吸収したらどうかとの考えが示された(16)。一方、イギリスでは一九六三年にはロビンズ卿を長とする高等教育の見直しのための委員会が、学生の大幅増加の提言を含む報告書を出していた。一九八九年一月に当時のベーカー教育科学大臣は次のように講演した。「今から二五年後には一人あたりの所得は今のアメリカ並になる。そのような社会はよりよい教育、より高い教育を基礎としなければならぬ。そのためには今一五%の高等教育進学率を倍増の30%にはする必要がある。このような高等教育の大衆化を図るには、伝統的な方法によるだけではだめである。今までのように国家が資金を出し国家が組織する高等教育のシステムでは、高等教育機関は私的財源を集める仕組みもなく、公共負担=課税=国家予算のたいした増加もなしに、学生を増やさなければならなくなる。それよりも、市場原理に導かれ多くの資金源に頼って、高等教育の分化、多様化が図られねばならぬ(17)。」その後、イギリス、ドイツでは近年若干の授業料を学生から集める方向に歩みつつあるが、それでもその金額は日本の国立大学に比べると三分の一ほどの低水準にとどまっている。現状では大学の学費負担の問題は、欧米、特にヨーロッパでは、社会全体の負担としての伝統が今だに強固であると言ってよい。
第三節 日本における学費負担原則の考え方
一 憲法と教育基本法の原則
一九四六年五月三日施行の戦後日本国憲法は第25条の第一項で「すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する」と定めている。「法律の定めるところ」の具体化のために、「日本国憲法の精神に則り、教育の目的を明示して、新しい日本の教育の基本を確立するため」に、一九四七年に教育基本法が施行された。そこでは教育の目的は「人格の完成」と「平和的な国家及び社会の形成者」を育成することにあるとされ(第一条:教育の目的)、そのために、「すべて国民は、等しく、その能力に応ずる教育を受ける機会を与えられなければならない」とされた(第三条:教育の機会均等の第一項)。そして、第二項では、「国及び地方公共団体は、能力があるにもかかわらず、経済的理由によって修学困難な者に対して、奨学の方法を講じなければならない」とされている。
二 人権規約の留保の経緯に示された考え方
上記の憲法と教育基本法では教育の機会均等の具体的内容・方法は、まだ「奨学」にあったが、その後、国連を舞台とした世界的な教育の機会均等への前進の考え方は、上にみたように、初等教育の無償化に加えて、漸進的な高等教育の無償化へと進んでいく。奨学よりは無償制の方が機会均等化の点でより強力な措置であることは明白である。この、一九六六年の国際人権規約成立の時点で、我が国もこの流れに合流する可能性が生じた。しかし、日本政府は、先の人権規約の締結国数十カ国の中でのわずかな例外国として、高等教育の無償化については留保することを選んだ。(ほかに同項目の留保をしているのはわずかにルワンダとマダガスカルだけである。)
日本国はこうして、人権規約において人格の完成と他者の尊重という二大目的を持つ教育を普及、実行するための手段として述べられた同規約第2項に対して、高等教育の無償教育の漸進的導入は行わないという立場を表明した。なぜか。形式的に言えば、その理由は論理的には二つありうる。一つは、その必要性は認めつつも、それに優る何らかの理由でそれを実行できない場合、もう一つは、それ自体の必要性を認めない場合である。政府の当時の説明は、次に見るようにこのいずれの立場に立つのか、若干の曖昧さを残すものであったが、どちらかと言えば前者の立場であったように見える。以下、この理由について、当時(一九七九年)の国会での審議経過を衆参外務委員会議事録に依りながら詳しく見てみよう(18)。(以下、傍線は引用者付加。)
衆議院外務委員会
山田外務省条約局外務参事官
:(留保事項に関しては)「解除する方向での検討はいたしておりません。」「漸進性としても現在の時点においてはその方向に進むことを約束できない」。(衆議院同議事録第4号3頁。以下、同号についてはページ数のみ記す。)
園田外務大臣
:「留保した事項は、…将来…解除する方向に努力をし、また、そういう責任がある」。(3)
山田参事官
:「将来それを広げる場合には、当然国会にお諮りする」。(3)
賀陽外務省国際連合局長
:「A規約(経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約:引用者)…漸進性を認めておる…、B規約(市民的及び政治的権利に関する国際規約)…人間本来の権利ということで、…漸進性のごときものは認めていない」。「開発途上国の場合には、…A規約の場合の手当がその特殊性から十分になしえないということがございますので、…猶予を与えるという考え方がある」。(3)「A規約…国家が個人に対して積極的に与えるべき保護という意味の社会権を内容としておる」。「B規約…公権力の行使から個人を守るという保護権の古来伝統の権利…自由権」を扱っている。(5)
園田外務大臣
:「政治の根幹であり日本国憲法の中心であるこの条約(は)…国内関係省庁との調整のために遅れた…。この条約はA、Bとも世界人権宣言の内容を敷衍、条約化したものであり、わが国の日本憲法のよって立つ基本でございます。」(第七号、一)
賀陽局長
:「この項目に関する限りは、留保を行っておりますのはルワンダだけでございます。」(第八号、三二)
七田文部省学術国際局ユネスコ国際部企画連絡課長
:「私立学校の占めます割合の大きいわが国におきまして、私学進学者との均衡等から漸進的にせよ無償化の方針をとることは適当でないということで留保をした」。「わが国では、…私学助成、育英奨学、授業料減免措置など…に努力」していきたい。(三二)
斉藤文部省管理局私学振興課長
:「現在、私立学校振興助成法に基づき…、努力を行っている」。(三二)
内藤文部大臣
:「八割が私立大学」。「国はどれだけの面倒を見たかというと、…まだ人件費の半分以下」。「それをお約束して見込みがあればいいですけれども、今のところ見込みがないんだからしばらくこれを猶予していただきたい」。(三四)
篠沢文部省学術国際局長
:(外国では)「特に後期中等教育に対する進学率が低い。従って、無償化に伴う財政負担が少ない。さらに、…私立学校に行くものの比率が非常に低い。」(三四)
内藤文部大臣
:「今の現状を見て、そこまでいくのは日本の財政事情を考えて無理」ではないか。(35)「よその国がやっているのだから私もやりたい」。「けれども、…日本の場合にどのくらいの負担ができるのか。」(三五)
三角政府委員
:(私立学校の授業料の無償化は)「私学の制度の根本に関わって参る」。「慎重な検討が必要であろう」。(三六)
参議院外務委員会
内藤文部大臣
:「私立学校を含めて無償化を図ることは、私学制度の根本に関わること」。(参議院第一一号、一九頁)
諸沢政府委員
:「今五千ほどあります高等学校のうち、千二百ぐらいは私立…。」中学校の子供は1979年から86年までで百万くらい増える。「千校以上の高等学校がいるんじゃないかと」。「これは財政的に非常に大きな負担…。」私立学校の性格論と、また「国あるいは地方団体の財政の投資はどのくらいのところでこれは抑えるべきか、…現時点ではわれわれはなかなか判断がつかない。そこで…高等学校の実態の推移等を見ながら、ある時点が来たならば、おそらくこれからどう考えるべきかというその見通しが多少なりとも立てられるんじゃないかと考え」る。「それまでの間は…判断を保留するという意味で留保をしている」。(一九)
「教育というもの…効果は誰に帰属するか…社会に還元され社会の進歩発達にも貢献する…けれども、個人自身の利益にもなるわけで…すから、現在の情勢を考えましたときに、ある程度の自分の負担というのは…やむを得ない」。(二〇)
菱村文部省初等中等教育局高等学校教育課長
:「もちろん、この規定は留保いたしましても、その機会の確保という観点から、たとえば私学の助成でございますとか、育英奨学ないしは授業料の減免等、…一層、…力を尽くしてまいりたい」。(二四)
賀陽局長
:「日本のように私学の比率の高い国におきましては均衡上公立校におきましても無償教育の導入、…授業料を全然取らないという施策はこれは限界がある」、また「進学率がますます高まっております現在におきましては、…財政的にも…これを達成することはできないという判断がありました」。(二四)
以上を整理すると、まず、園田外務大臣と内藤文部大臣の発言にあるように、留保は本来ならばしたくないものであるが、やむを得ない事情により、当面は留保をせざるを得ない、そしてできるだけそれは解除の方向で努力すべきものとされている。ここでの政府の説明にある留保のためのやむを得ない事情とは二点ある。一つは私学との均衡の問題、もう一つは財政的余裕の問題である。このほかに、諸沢委員の発言には、この二つの理由に関わらず、受益者負担分に対しては授業料として徴収すべきであるとの考えが示されているが、それにもまた「現在の情勢を考えたとき」との条件が付いている。現在の情勢とはやはり上の二つの問題と考えざるを得ないので、ここでの審議過程ではまだ受益者負担主義は、日本政府の考えとしては独立した、重要な論拠としては示されていなかったと見てよいであろう。
さらに、菱村委員の説明にあるように、たとえ無償化は留保しても、私学助成をはじめとする機会均等の拡大は一層進めるよう努力するとの方針が表明されている。だが、この点も近年の私学助成の抑制、国立大学授業料の大幅な伸びを見る限り、とても現実に努力されているとは言えない。それどころか、有利子奨学金の比重増大など、奨学のための様々な措置さえ後退しているように見える部分もある。これは政府の公約違反と言えるであろう。このような後退自体、重大な問題であるが、同時に、そもそもなぜそのような姿勢の後退が生じたのかも大きな問題となる(第四節参照)。
ところで、無償化を妨げる私学との均衡という論点は、実は財政問題の判断の後に現れる第二次的、副次的な論点であることに注意すべきであろう。人権規約の考え方は公私を問わず高等教育一般の無償化を論じているのだから、財政上、私学を含めた授業料の無償化が全体として可能ならば、私学との均衡という論点を議論する必要はなくなる。そこで、第一の問題は、高等教育が社会の全体構造の中で、社会に対してどれだけの重要性をもつものであるのか。他の財政支出の目的と比べてその重要性はどのように評価されるのかという点である。たとえば仮に、貨幣換算した場合の費用と便益の比較の結果、高等教育がもたらす社会的メリットが他の財政支出項目と比べて非常に大きいとなれば、それを無償とすることの十分な理由となろう。または仮に、先に述べたように、教育一般が、社会成員が市場経済社会に入るための重要な準備段階であるとすれば、それは市場経済という社会システムを維持するための社会全体の共同責任であるから、その重要性に応じて、他の財政支出項目に優先して社会的共通費によって賄われるべしという結論になる場合もあろう。
三 明治以降の教育財政政策に示された教育観
次に、上に示された財政上の問題、私学との均衡の問題などについての考え方が、日本の近代の教育財政政策の展開過程の中でどのように生じ、形成されてきたのかを見てみよう。
日本の近代史における学費負担の考え方は金子元久氏によってその概略が検討、整理されている(19)。金子氏は大学授業料に関するこの期間に現れてきた様々の理念を、育英主義と受益者負担主義に大別している場合もあるが、やや具体的には、それらの理念は、戦前からの受益者負担主義、育英主義、格差是正論(私学との均衡論)、財政余裕論そして戦後に登場した教育機会均等論、新自由主義的公正論の六つにまとめ直すことができよう(20)。なお、ここで戦後の機会均等論とは、先に見た人権規約の流れに沿ったものである。以下、これらの議論をみていこう。
まず、一九八七年の政府が公布した「学制」においては、授業料は受益者が負担すべきことが原則とされていた。しかし、これはいわばかなりの程度のゆるやかな受益者負担主義であり、その後の官費生制度の発展を見ても、個人、社会の受ける利益に関する考え方次第でその実際的な負担者の範囲、内容が大きく変化しうるものであったといってよいであろう。そして実際には、狭義の受益者負担主義を抑える形で長期にわたり育英主義がとられ、政府及び国家の人材要求を満たすため、一定の学力があるものを確保するための方策として学費が低く抑えられた。これは戦前の官費制、給・貸費制度、低授業料政策、また戦後一九六〇年代の高度成長のためのマンパワー養成のための低授業料維持の政策にも見られた。
一九一八年には大学令によって帝国大学以外の公私立大学、単科大学が法制化された。これによって、大学令以前には四帝国大学、一万人の学生数であったものが、一九三三年には国立一八,公立二,私立二五の大学と,学生数七万人に増加した(「思想史」七七)。それと同時に、私学発展のために国立の授業料を引き上げるべしとの意見が私学側より強まった。一九一七年には、当時の慶應義塾塾長の鎌田栄吉氏は同年発足した臨時教育会議において「官立の大学が安く月謝を取っている間はとうてい私立大学は発展することができない…官立大学が低い月謝を取る、而してその大部分を租税から供給するということは頗る不当なことである、これは根本的に改めるより日本の官私両大学の発展をする途はない」と述べた(下線、引用者)。鎌田氏は一九二二年に文部大臣に就任し、この年に二〇年代の段階的授業料引き上げの第一回が行われた(同)。それに続いて一九二〇年代には国立と私立が手を取り合って授業料を上げる事態が生じた。これらはいわば私立大学育成のための国立大学の授業料引き上げの過程であった。
戦後は、所得上昇を背景として、大学進学率が爆発的に高まったが、政府はこれに対して私学の許認可基準を緩和することで、すなわち私学によってこれを吸収することで対処しようとした。私学運営費は私学の高い授業料で賄わせ、一方国立大学では高度成長のための人材育成のために授業料を低く抑えたので、両者の格差は拡大した。特に私学では進学者の増加とともに低所得層での学費負担問題が大きくなり、一九七〇年からは私学への実質的助成が開始され、七五年からはそれが法制化された。これ以降、一方で私学助成をしつつも、私学の授業料が上がると、日本で大学生の大半を受容している「私学の発展を抑えないために」国立との差を抑えるためとして、戦前と同様の授業料の交互値上げが行われてきた。
一方、財政余裕論は古くは一八八一―八四年の松方デフレの直後、一八八五年に行われた給費廃止、全額貸費への転換といった、全般的な財政緊縮の動きの一環としての教育財政支出縮小の動きにそれが見られた。戦後においても、近年の財政状況の悪化を背景として、大蔵省首脳は国立大学協会に対して「…このような逼迫した財政状況からすれば授業料の据え置きは難しい」と述べた(「思想史」八三)。だが、同じく国大協に対する文部省幹部の発言「授業料は財源としては六〇億円程度であり、大蔵省もそれほど考えていないようだが、問題は私学との関係である」(同、下線引用者)、「大臣の話では三木総理は国立大学の学費改定は社会的公正の見地からの措置というような考えでいる」(同)という発言もあった。この発言(一九七〇年)当時は確かに授業料収入はこのように小さなものであったが、その後の国立大学の授業料の急速な引き上げによって、二〇〇〇年代後半では、ほぼその額は四〇〇〇億円程度に増えている(概略五〇万円×国公立学生八〇万人として)。私立学生も入れると一兆五千億円となる(五〇万円×三〇〇万人として)。こうして、現在では授業料の無償化のための財政的負担は以前より大きなものとなっている。
新自由主義的な公正論は、ミルトン・フリードマンらの主張する、教育コストと授業料の差額が税金から賄われ、卒業者は高額所得を得ることから、そこには低所得者からの高所得者への逆進的な再配分が生じているとの批判をその内容とする。しかし、金子氏の推計によれば、そのような逆進的な再配分の証拠はない(21)。
こうしてみると、一九七〇年ごろまでの国立大学授業料のあり方、そしてその引き上げに対する重要な論拠となっていたのは、私学との均衡論と財政余裕論の二つであった。ただし、上のように私学との均衡論は実は私学の授業料の無償化の可能性も考慮した、大学学費の無償化という、教育の機会均等と財政の余裕=財政の優先順位の問題として議論すべきものとなる(第五節で詳しく議論する)。
第四節 一九七〇年代以降現在までの大学授業料の引き上げ過程とその根拠
教育とは何かという原則的問題に大きく関わる動きとして、以上のような歴史的経過に続き、次に特に最近年の政府と国民の間での教育の効用に対する理解の動向に注目しよう。そこでの焦点は一九七〇年代以降の国立大学授業料の急激な引き上げ過程の経緯にあり、とくに近年その引き上げ過程の重要な支えとなってきた財政制度審議会の考え方が重要となる。
国立教育研究所編の『日本近代百年史』は、一九七〇年代以降の大学授業料の引き上げに至るまでの戦後の教育財政の変化の特徴を次のように概括している。六〇年代の「義務教育以外の学校への進学率の増加は、その大部分を私学の増設や新設に負うものであ」った。「…ところがこの私学の間口増に対する国や地方の公費補助はきわめて微々たるもであり、寄付金や事業収入も伸び悩んだ。したがって新増設に要する経費はもっぱら借入金と学生納付金に依存する他なく、両者は急激に増大した。」「これに対し、私学は学生数の増加と学生納付金の引き上げによって収入の増加をはかってきたが、前者は進学者の社会階層を底辺部分に拡大することを意味したから、学費支払いが困難な家計の学生を対象とすることになった。これに学園紛争も加わって、六〇年代後半になると、学生納付金の引き上げ幅は急激に減少してゆく。」「ここにおいて、私費負担に全面的に依存する私学経営の行き詰まりは誰の目にも明らかとなり、…国公立との受益率[経費負担率]の極端な不均衡もあって、私学に対する公費補助が不可避の状勢となってきた。こうして遅ればせながらも、私学助成はこの間において最もめざましい勢いで増加した費目となった。」「特に七〇年代以降、それまでの理工系を主とした設備費に限定せず、教員給与費等、経常費にまで補助金の対象を拡大したことはまさに一時期を画するものといえよう。/今や、教育財政も義務教育中心、国公立中心から、その支出・負担構造を大きく変えようとしているかに見える(22)。」
一九六〇年代後半の大学紛争時、各政党は大学教育を巡る問題点を指摘した。自民党は一九六八年に政務調査会・文教制度調査会の見解として、教育を巡る基本的問題は、豊かな社会になったことが人間の欲望を拡大させ、それが一流企業、一流大学への志向を生み、学歴社会を形成したことにあるとし、問題は社会一般の風潮にあるとした。そこでは授業料などの具体的問題はふれられていない。当時、社会党と共産党は大学問題特別委員会の見解として、教育費の高騰が教育の機会均等と国民の経済生活を圧迫していることを指摘し、私学助成を拡大する方向を提起した(23)。こうして一九七四年には私学助成振興法が成立したが、それは当時、教育財政における高等教育の授業料負担の問題を公費負担を増加させる方向で解決する可能性を示したものであった。
しかし、一九七〇年代以降の教育財政政策は、徐々に国立大学の授業料引き上げを強化する方向に変わっていく。大学進学率の上昇は、五〇年代以降の経済成長による所得上昇を背景としており、それは五〇年代の終わりから60年代にかけて爆発的に増加した。政府はここにおいて、経済成長のために必要とされる人材のうち、理工系については国公立で、文系については私学での養成に比重を置くという政策を採った。
この過程で、それまでの憲法と教育基本法の示す方向性とはやや異なった、いわば教育を経済的投資のための手段と見るという教育観が強まっていった。そしてそれは、その後の日本の教育財政政策にも大きな影響を与えていったようである。一九六〇年の国民所得倍増計画を受け、一九六三年には経済審議会が『経済発展における人的能力開発の課題と対策』の中で、「経済に関連する各方面で主導的な役割を果たし、経済発展をリードする」人的能力としての「ハイタレント・マンパワー」の重要性を強調した。「狭く考えて人口の三%程度、これに準ハイタレントの層も入れて5ないし六%程度」がそれに当たるとされた(24)。「戦後の教育改革は、教育の機会均等と国民一般の教育水準の向上については画期的な改善が見られたが、反面において画一化のきらいがあり、多様な人間の能力や適性を観察、発見し、これを系統的に伸張するという面においては問題が少なくない。」すでに半世紀近く前に、このような「戦後教育の欠点=画一化」論が示され始めていた。画一化のきらいという曖昧な表現によって戦後の教育全般にあたかも重要な問題があったかのように表現することは正確な、責任の持てる現状理解とはいえないであろうが、しかし、そのような表現に立って、それに対するに経済的能力の育成という側面を主たる改善方向として提示するという役割をこの答申は果たした。黒崎勲氏はこのような経済的投資としての教育という見方は、その後の教育政策に決定的な影響を与えたとする(25)。
一九六〇年代という時期は、欧米においても教育に対する経済面からの期待が高まったときであった。一九五七年のスプートニク・ショックは、欧米においても理工系のハイタレント・マンパワー養成への気運を高めた。だが、こうした経済的視点重視の教育政策が子供たちの成長にとって否定的な影響をもたらしたのではないかと言うことが危惧される日本では一九七〇年代以降、学校、子供社会における様々な深刻な問題現象が生じている。また、世界的にも子どもたちをめぐる同様の問題現象、病理現象が生じていることからも、こうした教育観の強まりがもつ危険性については十分に留意されるべきであろう。井深氏によれば、七〇年代半ば以降、子ども社会の病理が激化したとされる。六〇年代以来の、高度成長のための人材供給のためのマンパワー育成政策は、いわば第一の能力主義教育をもたらした。それは、能力の多様化政策にも関わらず、普通高校を中心とする受験体制、すなわち一元的能力主義による学校序列化を作り出した。そして、70年代半ば以降の上からの入試制度改革に伴う全大学の偏差値による序列化は、偏差値が支配する学校、一元的能力主義による学校の序列化を極限にまで推し進めたとされる(26)。こうした政策の推進はまさに、戦後教育が当初目指そうとした、市民社会の一員にふさわしい人格の形成、他者を尊重する人間としての能力の育成を軽視するという重大な結果を招いていったのではないかと疑わざるを得ない。これらの諸問題の大きな部分がまさに戦後日本の、特に一九六〇年代以降の教育政策の変化から生じているという可能性が注目されなければならない。そうだとすれば、それは決して近年の文部大臣の提唱する「心の教育」、「道徳教育の強化」のような対症療法的施策によって解決できるものではないであろう。病気に対して「気の持ちようだ」と言っても役に立たない。心を病んだ子どもたちに対して「病むのをやめよう」と呼びかけてもなんら解決にはならない。そのような病む心を生み出した原因こそが取り除かれなければならないと言えよう。
教育における経済的目的を重視する考え方は、こうして六〇年代から七〇年代はじめにかけて日本社会の基本的方向として政策の中に位置づけられていった。文部省は『日本の成長と教育』(一九六三年)で、「教育の拡充をはかるための経費は、生産の上昇を引き起こすための投資と見ることができる」と述べた(27)。この教育=経済的投資論は、社会的なレベルのそれからそのまま個人的レベルの教育観として国民の間に浸透し、拡大再生産された。言ってみれば、それは「教育とは、社会的に見れば、社会全体の成長のための投資である。その経済的成果は市場における個々人の能力に応じて分配される。そのような能力を養うものとしての教育費が、個人によって負担されるべきである」という考え方である。もちろん、このように極端にすべてを受益者負担とすべきであると述べるわけではないが、教育活動における社会的な共同事業としての性格、それが目指す基本的な目的、すなわち社会を維持し、平和的に協力するための能力を養うことが教育の第一の、また基本的な目的であるという見方を、この経済的投資論と、その個人レベルへの拡張論は浸食せざるをえない。
こうして「受益者負担の実際額は、…個人経済的には有利な投資と見なしうる限度内で適当な金額とすべきであろう」(中央教育審議会、一九七一年)(28)、義務教育「以外の教育、特に高等教育については、学生またはその家庭にフルコストを負担させることを原則とすべきである」、「なぜなら…高等教育は現段階では決して必要財とは言えないし、これを享受しているのは相対的にいって富裕な階層だからである」(日本経済調査協議会、一九七二年)との見方が日本社会の全面にでることとなった(29)。これと反対に、義務教育は「社会的便益が大きい」のだから、「公費負担による無償」制が当然であるとされる。(同、一一三頁)だが、そもそもこの「社会的便益」とは何か、初等、中等、高等教育の各段階において、それは異なるものであるのか。ここでもまた、この最も重要かつ根本的な問題についての考察がないままに、経済的利益のみを強調、重視するという偏った判断が示されているといわざるを得ない。とはいえ、実は、上の中教審答申は、次のように「受益」について検討することの本質的な重要性をある程度認識してはいた。「財政援助を教育費のどの程度の割合について行うかによって、教育を受けるものの授業料その他の負担額は大きな影響を受ける。そこで高等教育における受益者負担額をどの程度とするのが適当か」。「教育費は、社会的には一種の投資であるとみることができるので、その投資の経済的効果のうち当事者個人に帰属するものと社会全体に還元されるものとが区別できれば、それを考慮して受益者負担の割合を決めるのが合理的だという考え方もある。しかし実際には、そのような区別を立てることが困難なばかりでなく、教育投資の効果は経済的な利益だけでないことも明らかであって、経済効果だけから受益者負担額を決めることは適当でない。」(下線、引用者)ところが、この困難な論点には目をつぶり、論理的検討はここで脇に置かれ、ともかくも学生の、あるいは個別の家庭の負担額=授業料は設定せねばならないとして、「受益者負担額の実際額は、教育政策の立場から、その経費の調達が大部分の国民にとって著しく困難でな」い範囲で決めるべし、として先の結論に至っている(30)。こに見られるように、そこには何ら「受益者負担額の実際額」を導出するための方法を示すことはできなかったし、経済的効果とその他の効果の間の区別、測定をすることもできなかった。それなのに「教育政策の立場から」という無意味な言葉の隠れ蓑にして「家庭があまり負担と感じない程度の授業料」を徴収すべしという結論が「決定」されていることがわかる。ここでは問題はなんら解決されることなく終わっている。受益者負担額の正当性を支持する論拠もそこには示されていない。
この中教審答申では、こうした「授業料などの受益者負担額が適当な金額となるよう配慮する」し、そして「受益者負担の実際額は、…個人経済的には有利な投資と見なしうる限度内で適当な金額とすべき」(同、四八頁)であるという根拠のない主張に立ち、具体的な目標として、一九八〇年度の「高等教育の受益者負担額の水準を、国民一人あたり個人消費支出に対して、国立では二〇%、私立では四〇%となるよう、四八年度(一九七三年度)から漸進的にその水準に近づける」ことが提言された(31)。その結果、国民一人あたり個人消費支出における学費(授業料と入学金)の割合は、七一年度で国立三.七%、私立三四%であったものが、八〇年度にはそれぞれ二一.一%、四四.二%と、ほぼ目標数値の通りとなった(32)。国立大学授業料の1970年代における急激な引き上げ過程は、こうして経済成長という社会的目標を重視する動きの中で、教育の経済的効果を強調する雰囲気の中で、不十分な論拠にたって進められたものであった。そこでは、教育の基本的目的としての社会の構成員となるための能力を育成するという任務と教育の経済的効果との関係に関する十分な議論もがないままに、後者の立場に立った政治が進められてしまった。
こうして、日本の社会において、戦後しばらくの間その導入が試みられた、民主的な社会の担い手の育成、主権者の育成のための教育は、一九六〇年代以降は、経済成長を第一とする社会風潮の下で経済的な利益を第一とする教育へと変質していった。それに伴って国立大学の授業料も1970年代に急上昇した。そして、中央教育審議会と並んで、またそれよりもむしろ強力に教育のもつ私的利益に貢献する効果を強調して授業料の受益者負担の方向を初めて強く打ち出したのは、一九六五年の財政制度審議会の答申であった。それは同年の戦後始めての赤字国債の発行を背景として、財政緊縮のための歳出節減のための一方法として受益者負担主義の導入を提言した。六六年度後半から始まった第二次高度成長期はしばらくの間歳出節減の姿勢を緩和させたが、七一年のドルショック、七二年の石油ショックに伴う高度成長の終焉は、教育支出をも財政的視点からの歳出の全般的な抑制の波の中に巻き込んでいった。
七三年の財政審の報告は次のように述べている。「(先進諸国と対比して、)…なお、就学前教育から高等教育、さらに社会教育・体育にいたるまでおよそ教育の全分野にわたり一層の拡充を求める声はきわめて強いものがある。」「こうした要請に対し一定の財政規模の中で対応していくためには、従来以上に制度の合理的運用に配慮していく必要があると思われる」。(一二月「農政問題、地方財政問題、社会保障、文教予算及び中小企業対策についての報告」より。)文部省幹部は、先のように、一九七〇年に国立大学協会との話し合いの中で、「授業料は財源としては六〇億円程度であり、…・、問題は私学との関係である」と述べていた(33)。財政審はこれに関し、七四年の建議で国立大学授業料と「私立大学における学生納付金との間に著しい格差」があると指摘した(一二月建議)。七〇年代中葉以降、財政審では財政収入それ自体を増やすためとして授業料値上げの必要性を強調するようになる。七五年には、まず、医療などにおける行き過ぎた受診を改善するための「適切な受益者負担の導入」が提言された(七月「安定成長下の財政運営に関する中間報告」より)。そして七七年には、広義の受益者負担概念からの節減合理化の議論が行われた。「財政支出については、これを受益するものとその費用を負担するものとの公平を確保することが必要な性格のものがある。この点で、特に(イ)受益するものが特定している制度、施策等については、他の類似の制度、施策等とのバランスにも配慮して、受益者負担の水準について見直すこと(ロ)所得水準等により、給付対象の範囲につき一定の限度を設けているものについては、その基準等に絶えず検討を加え、他とのバランスに留意しつつ、対象範囲の適正化を図ること」とし、制度等の合理化の検討事例としては義務教育教科書の無償給与制を、費用負担の公平の確保の検討事例としては、国立大学授業料を指摘している(「歳出の節減合理化に関する報告」より)。そこでは、「受益者負担格差」が私学側に不満を生じさせ、私学助成の要望を強めているので格差縮小が必要であると述べ、また、私学の学部間格差にふれながら、国立大学においても学部間で格差のある授業料を設定することを検討する必要があるとしている(一二月報告・建議)。七九年には、一般的に「相当な水準の所得階層まで、財政支出からの受益の方が、その家計の負担を上回っている」(一二月「公債に関する諸問題及び歳出の節減合理化に関する報告」より)として、受益者負担の適正化を求める姿勢を一層明らかにし、八〇年には、受益者負担の引き上げを租税負担引き上げに優先させよとのべ、典型例として国立大学授業料を取り上げている(一二月「昭和五六年度予算の編成に関する建議」より)。一方、政府財政赤字はその後一層悪化し、八〇年度には一般会計の国債依存度は三三%に達し、同年一二月には臨時行政調査会法が成立した(34)。財政審議会はこの調査会の活動を支援し、八一年一二月には、「財政の関与すべき分野についての報告」の中で、財政が関与している財を、純粋公共財とメリット財に区分して示した(前者:警察、消防、外交、防衛など。後者:医療、教育、産業助成など。そこでは後者は温情主義的動機から行われるものと理解されている)。同報告の中ではまた、私学助成について、すでに「相当の水準に達しており、…主要な経常費につき、国の基準の二分の一が実現されていること、また「私学の教職員の給与水準が最近相当高水準になっていると見られる等の問題」もあると指摘された。 一九八〇年代前半の臨時行政調査会の答申では、「国立大学…学生納付金の引き上げ」(第一次答申)、「国公立大学の授業料(は)…教育に要する経費や私立大学との均衡等を考慮」すべし(第3次答申)、「国公立の大学等…私学との均衡等を考慮し、順次授業料等学生納付金の適正化を図る」(第5次答申)(35)との考えが示された。これらの答申部分の起草者の公文俊平氏は、解説論文の中で、「国立、私立を問わず、大学運営の経費は、…直接教育に関わる経費…は授業料で賄われてしかるべきだ」、「大衆化した高等教育の費用を税金で賄えと要求するのは、理屈に合わない」と述べた(36)。この主張をするためには、ではなぜ、大衆化すると税金で賄ってはいけないのか。逆に言えば、エリート養成のためならば税金で賄ってよいのか。そうだとするならばそれはエリートの養成は公的なメリットが大きいが、大衆のための高等教育は公的メリットが小さいということなのか、と言う疑問に答えておかなければならないが、この点についての公文氏の論及はないままである。こうして、財政制度審議会も、臨時行政調査会も、大学教育に関しては、その目的と効果について明確な認識を示すことができず、またそれゆえに授業料負担の原則を示すことができないままであった。それにもかかわらず、すなわち教育の目的・効果という費用負担原則の根拠を示すことができないまま、ある具体的な負担方法、すなわち学生・家庭がより多くそれを負担すべきだとの主張を行っていくのである。こうした不十分な考えの上に、一九八三年七月には臨時行政改革推進審議会が発足した。そのもとでこうした提言の具体化が一層押し進められ、それは大蔵省の教育財政への方針にも反映されていく。たとえば九四年版の大蔵省による財政の解説では、「私学助成については行革審で総額の抑制、内容の効率化・重点化等の提言がなされて」いることを考慮せねばならないと説明されている(37)。
そもそも臨調の二大理念は、活力ある福祉社会と国際貢献の二つにあった。前者はすなわち政府が大きくなりすぎたのでそれを見直す、いわゆる民活の方向での社会の改善であり、高度成長以後の新しい社会像形成への一つの方向を示すものであった。だが、それはまた、高度成長期と同様、日本社会の、中でも企業の成長力維持を最優先課題とするものであった。経済成長第一の政策は高度成長期に目に見える社会問題を公害・環境問題の形で生み、それは目に見えるがゆえに対応策も採られた。だが、成長と効率第一の社会体制は、同時に、教育の場面では経済的能力を基準とした人間の序列化という、目に見えない社会病理の基盤を形成しつつあった。それは特に子供社会の変容として、いじめ、登校拒否、校内暴力などの形で広く国民の間に感知されつつあった。
これに対し、一九八四年8月には臨時教育審議会が設置され、戦後教育の諸問題が審議された。臨教審も、その基本的課題の一つは、こうした戦後社会の学歴主義に従属した画一的教育(その内実は受験教育)と一元的序列化にあることを認識していたかに見えた。しかし、臨教審に呼ばれ講演を行ったこともある太田たかし氏は、臨教審答申は結局のところ、教育荒廃をもたらした経済効率優先主義の社会全体の質を問うことなく、その延長線上で「改革」を行おうとしていると批判するに至った(38)。競争主義的な教育は、すなわち競争のみが前面にでた教育は、確かに教育そのものの中身を無味乾燥なものとする。「人間という動物は、」そもそも「外から来た刺激に対して、早くかつ正確に反応するのは不得意な動物」であり、それができるのは「むしろ下等な動物に多い」。「人間の学力の在り場所は問いと答えとの間にある」。「正答の出来高だけに目を向けがちな、今の選抜原理に支配された教育実践は、人を育てる立場からは改められなくてはならな」い(39)。確かに、学ぶ過程の感動なしに、テストで答えるためだけに勉強をしていては、「できる」子にとっても「できない」子にとっても、学校は無味乾燥な場所となってしまうであろう。競争がまったく無用なのではないが、それが教育の中でいわば他の重要な目的を押しのけてまで「主導権」を握ったときに問題が生ずるのであり、それが実際に現実化したのが高度成長期以降の日本の教育政策と教育実態の中身であったといえよう。
このような問題点を持ってはいても、教育現場の問題点に答えるべく設置された臨教審であったがゆえに、教育財政に対しても、臨調、行革審の認識と臨教審のそれとの間には若干の相違点が生じた。一九八七年八月の臨教審最終答申(第四次答申)では、受益者負担の適正化等の視点から教育財政の見直しが必要であると述べつつも、そこでは義務教育費国庫負担のあり方、学校給食のあり方等が例示されるにとどまった(40)。そして家計の教育費負担の軽減の必要性が指摘され、それは教育の機会均等の確保という観点から重要であると指摘されている(41)。すでに第三次答申(八七年四月)において、「授業料をどのように考えるかについては種々の立場があるが、受益者負担の原則の他、高等教育の社会的効用、大学在学中の機会費用、父母の家計負担能力、さらには教育の機会均等、…などの総合的観点を排除することはできない」と、一九七一年の中教審答申の考えと同様、学費負担原則の検討のための総合的視点を提示している(42)。臨調、行革審は基本的には70年代に拡大した政府規模と財政赤字に対する切りつめ策の検討が課題であったが、臨教審はその点を一つの問題として検討課題に含みつつも、教育それ自体の視点から教育全般の問題に対処しようとするものであった。だが、残念ながら、その後の子供たちの問題現象の一層の悪化を見れば(43)、先に述べた「見えない病理現象」に対する十分な対策を打ち出しすことができたとは言えない。そして、臨教審ではその改善が求められた教育費の軽減の課題も、政府全体としては、先の臨調、行革の引き締め基調の中で実現せず、国立大学の授業料も依然として上昇し続けている(44)。また、84年9月には日本育英会法が改正され、受益者負担方針に沿ったもう一つの施策として、有利子貸与制度が併設された(45)。
金子氏は、「一九八〇年代に入っては、このような対価主義的な主張が授業料増額論のむしろ基調になる傾向が見られる。一九八三年の第二次臨時行政調査会の第三次答申は『国立大学の授業料については、教育に要する経費や私立大学との均衡等を考慮し』と述べ」、「『経費』が『均衡』よりも前に置かれている」、そして、「わが国においては高等教育の機会均等の理念が正面から政策目標とされたのは戦後になってであって、…機会均等の実現がすでに問題でなくなりつつあるという最近の認識は幻想にすぎないとすれば新しい理念は、機会均等を高等教育体系全体の中でどう保証するかという問題に密接に関わって提起されることになろう」と述べ(46)、高等教育における機会均等の問題が近年前進を見ていないことを指摘する。上で見たように、近年強調されてきた財政的視点からの教育費の受益者負担の議論は、決して教育の目的論と、そこからの系論としての負担原則論という基本的論点に正面から取り組み、それを覆したものではない。それは単に財政的余裕のなさという現実から、直ちに、他の支出の重要性との比較もせずに、その一部として教育への財政支出も切りつめよ、またその不足部分は家庭が支出すべし、という結論を自明のものとして提示したものにすぎない。70年代以降、三〇年近くにわたって進められてきた国立大学授業料の引き上げ傾向は、以上の過程を見るならば決して真に十分な「財政的」、あるいは社会的根拠に基づいているとは言えない。
こうした理由の下に高等教育に対する公的支出が抑制される一方で、家計負担だけが増大している(47)。一九八一年以降、「増税なき財政再建」の下で、高等教育に対する公的支出の伸びが止まった一方、家計の負担は伸び続け、八二年頃から家計のそれが政府のそれを上回り始めた。だが、これをもって「大学教育は、『社会のために』必要なものという価値判断から、『個人の好み』の問題に変質したことになる」(48)と判断するのは早急にすぎるであろう。それは結果としてそのような支出状況になったということだけであって、国民の考え方が根本的に変わったことを示しているとは言えないからである。
第五節 負担原則論の焦点 …高等教育の社会的意義
前節で我々は近年の受益者負担の増大の論拠としての財政的議論を見たが、それは第三節に示した高等教育の社会的意義を十分に論じた上での説得力ある議論ではなかった。教育費は誰によって負担されるべきか、また、そもそも「教育は誰のために、何のためにあるのか」(49)。ある財の費用を誰が負担すべきかという問題に対して、私たちは通常、その利益が誰に帰属するかによって答えようとする。「それによって利益を得るものがその負担も担うべきである。」これ自体は当然の考え方である。受益者負担主義というのも、字義通りに解釈すれば、そもそもこの考え方を言い表したものである。その点では、社会の負担論も、その「受益者」が社会全体であるときの受益者負担論の一種であるということもできる(50)。こうした、受益者の言葉に個人も社会もどちらも含む場合には、これを広義の受益者負担主義と呼んでよいだろう。とはいえ、通常、受益者負担論が主張されるのは、受益者が特定の個人に限定される場合が多いので、これを狭義の受益者負担論と呼ぶことにしよう。
近年の受益者負担論は教育の効果のうちで個人に帰属する部分を明確にし、その分は個人に負担させよと論ずるものである。しかし、前述のようにこの部分を切り離すことは不可能である。したがって、個人的効果と社会的効果の量を示すことは不可能である。そうだとすれば、少なくともそれは広い社会的効果、利益を生み出すという点から、他の公共財と同様に税で賄う、すなわち社会が負担すべしと考えることができる。
基本的には上の点が本章での結論となる。以下では教育、特に高等教育の社会的効果、利益の大きさについてより詳しく考えてみたい。まず、教育は政治制度や司法制度と同様に、生まれてくる新しい国民にその国の社会を機能させるための能力を与えるものである。その意味でそれは社会を始めさせ、維持させるものであり、それは間違いなく社会構成員全員の細大の利益となるものであるから(社会がなければ個人的努力は意味を持たない)、それは個々人が個人的努力によって教育から引き出す個人的利益を圧倒するほどの社会的利益をもたらすものと見なすことができる。つまり教育は人間が現行社会に入っていくための重要な前提財、社会的な基礎財であると考えることができる。社会的基礎財、前提財としての教育であるならば、それは当然、社会の共通資産、共通費から賄うべきものとなる。
さらに教育は一国内と国家間の平和の維持という最重要の財をもたらすための能力を育てる手段でもある。先の国連関連の宣言、規約等に示されている「平和の達成のための人格形成のための教育」はこの考え方に立っている。そこには平和を作り出すための基礎的財としての教育の重要性が謳われている。その重要な一部としての人格の完成と他者を尊重する態度を作り出すことは個人的利益とは見なされていない。それが目指すものは世界の、すなわちすべての社会的集団間の平和的強力であり、そのための資質の育成は社会的な共同事業である。それは社会の存続、発展のための最も重要な前提的作業である。教育がそもそもこのような社会の基礎を作るものであること自体は、先の人権規約の批准の際に日本政府、日本国民によっても承認されていると言ってよい。先の批准の際に留保されたのは、あくまでも中等、高等教育における漸進的無償化の考え方のみであったと考えられる。先の国会審議での園田、内藤両大臣の発言にあったように、日本国民はこの基本的な目標を堅持しつつ、事情が許すようになれば、大学教育を含むすべての教育の無償化に向かって前進すべきであるということは、国会でも合意されていると言ってよい。その後の国会の議論において、同規約の批准時の議論を巡って示された政府の見解が取り消されたことは未だかつてない。このような基本的見解はいまだに有効であるはずである。この目標それ自体を認めた上で、そのための手段としての教育の無償化を留保しているのは、上で見てきたように、唯一つ、財政的な制約の理由のみによるものであると言ってよい。
教育の効果には、確かに上のように、共通の利益・公共の、全員の利益となる部分と、個人的利益となる部分の二つが存在していると言えよう。前者は、市民社会成立期以降、その社会の担い手としての市民となるために必要な知識を社会の共同責任によって与えることがその社会の成立・維持をはじめて可能にするという理解に立っていた。さらにまた、市民社会の一定の進展の後に生じた二つの大戦への反省から、平和的世界の形成のための人格の育成を目指して再度その必要性が世界的規模で強調された。そこからは当然、それだけの重要な公共的利益を達成するためであるのだから、社会全体の負担に四手これを行うという考え方が生まれ、それは国際人権規約などの無償あるいは無償制の漸進的実現の規定として結実した。
後者、個人的利益論は近年、またとくに日本で強調されるようになった考え方であった。だが、この考え方はそもそも教育の公的な効果とは何かという問題を十分吟味した上でのそれではなく、むしろ、その背景には先のように、私学との均衡論と財政的余裕論という論拠しかなかった。ただ、日本でこの主張が一定程度受け入れられているように見える背景には、おそらく戦前、戦後を通じた強固な学歴社会の存在があったと言えよう。つまり、日本では高等教育、また教育一般の目的が、それ自体がもたらす人格の育成あるいは市民社会の担い手の育成と言うよりも、明治以降の社会秩序の位階制の中で、自らの子弟を官僚機構の中でどれだけ高い地位、高い収入の位置につけるかという目的のための手段としてより多く見なされてきたということである。国民が教育の目標を、社会作りのための子弟の育成と言うよりは、そこにある社会秩序の中で上昇するための資格の獲得に置いた理由は、おそらく、江戸から明治へという封建社会の解体期において、いくつかの欧米諸国の例のように下層庶民がその変革に主体的に加わったという経験を経なかったこと、そして明治以降昭和20年までの78年の間、国民は天皇制と地主制下の半封建的な社会の中で、相当程度制約された、いわば「半」市民社会の中で暮らすしかかなかったという状況によるところが大きかったであろう。
この官僚制をはじめとした既存社会の位階制の中で上昇するための手段という教育の目的構造は、戦後日本社会でもそのまま今度は会社秩序の位階制の中で、大中小の会社序列、また会社内での序列の中での昇進のための手段として再生産された。それに戦前どおりの官僚制機構における昇進手段としての学歴主義も継続していた。こうした状況下では教育は文字通り個人の高収入、高い地位を得るための手段と見える。この点が特に強調されて見える。このことがおそらく近年の日本での受益者負担の考え方を支え、受容しやすくさせる土壌であると言えよう。だが、このような大まかな日本的特徴が一つの背景にあるとしても、受益者負担の考え方を支えるための議論はいまだ不十分であることは上に述べたとおりである。そのためにはやはり先の根本的な問題、教育とは何か、それは誰にどのような効果をもたらすことをねらって行われるものかという問題を解決することが必要なのである(51)。
教育一般の、また高等教育=大学教育の目的、その社会的意義についてより詳しく考えるため、さらにいくつかの見解を検討してみよう。
経済政策の原理の見地から教育費の負担、機会均等の問題に対して言及している数少ない論者の一人として、熊谷尚夫氏は次のように述べた。彼は教育費の公費負担が望ましいとし、その理由を次のように述べる。「すべての人材に能力にふさわしい教育の機会を保証することは、単に分配上の見地から望ましいだけでなく、経済全体の生産性の上昇のためにも必要とされる」(52)(下線、引用者)。「分配上の見地から望ましい」とする理由を彼は、公費負担が、「すぐれた教育の機会を享受すること自体が富裕な家庭の子弟のみの特権とな」ることを防ぐから、すなわち「稼得能力の不均等がまた世代をつうじて固定化される」ことを防ぐからであると言う。つまり彼はここで教育費一般の無償化は教育の機会均等のために必要であるとし、その理由として、それは分配上の見地から望ましいことと、また、それは全体の生産性を上昇させる効果をもつこととを挙げている。そして分配上なぜそれが望ましいかについてはそれが稼得能力の不均等が固定化されることを防ぐからとする。ではなぜ固定化されてはいけないか。この点についての説明はないが、それは日本国憲法の教育の機会均等の規定の中ですでに広く認められている事柄であると考えてよいであろう。なお、彼は「両親のpaternalismをさらに国家のpaternalismによって補う必要があるかもしれない」と述べていることからして、彼自身の社会観として、貧者に対して国家は温情主義的に行動すべきであるという理解がその背後にあるのかもしれない。
「経済全体の生産性が上昇するから」とのもう一つの理由づけについてはどうか。なぜそうなることが望ましいのか。誰にとってそれは望ましいのか。一般的に生産量の総量が増えることは減ることに比べて、多くの場合、望ましいと考えられる。ここで注意すべきは、熊谷氏がこの全体の生産性上昇分の分配方法について述べていないことである。かりにある政策によって社会全体の生産物が増えたとしても、たとえばその分配方法が以前より富者に有利に、貧者に不利になった場合は、その社会成員の意思としてはそのような変化を望まないかもしれない。よって、生産性の上昇への効果ということだけならばそれは、その社会成員の総体がその社会の満足の総計の増大を唯一の行動基準とする形式的な功利主義を採用しない限り、教育費無償化を支える十分な論拠とはなりえないであろう。ちなみに、功利主義一般に対しては、たとえばジョン・ロールズ等によって、それはそのままでは個人の基本的な、不可侵の権利・自由を侵害する危険性をもつことが指摘されている。経済全体の生産性が上昇することは、教育の公費負担にとって有利な条件ではあるが、そのままでは十分な条件とはならない。
政府側からの見解としては、大蔵省の小原栄夫氏は、平成6年版の財政の解説書の中で次のように述べた。教育は「ある個人の消費がこれらを直接消費しない人々にも便益を及ぼす」ものである。しかし、「近年の厳しい財政事情の中、」「私学助成については行革審で総額の抑制…等の提言がなされている」、また、「私立大学との格差の現状及び…国立学校特別会計における自己財源の必要性等を総合的に勘案して、」授業料を引き上げる(53)。ここには教育の持つ広範囲の便益が意識されてはいるが、その意義の十分な検討はなさいまま、単に行革審の提言、財政的視点、私学との均衡の視点のみがそれに優先されて、結果としての受益者負担の方向が選択されている。経済同友会は一九九四年に「大衆化時代の新しい大学像を求めて」と題する提言を発表した。そこでは教育を受ける利益は受けた者が享受するが、研究の利益は国民全体に及ぶとの考えを示し、教育に受益者負担の原則を導入することを求めている(54)(下線、引用者)。一方、一九九二年には国立大学協会では、すでに一九八五年一一月に第六常置委員会は、国立大学の授業料の受益者は国であるから、授業料は本来国が負担すべきであるとの見解を示していたが、。財政制度審議会が国立大学授業料に学部間格差を導入すべしと提言したことを契機として、さらに同委員会で授業料問題に正面から取り組むこととなった(55)。受益者は誰なのか。問題はやはりここに行き着く。
市民社会における経済学の始祖の一人であるアダム・スミスは、公教育が必要な理由として、それが時代の流行が必要としない基礎的な科学を存続させうること、武勇の精神を育て、国を守るために必要であること、また、極端な無知を防ぐことは、社会の安全に関わる重大問題について、人が気まぐれな判断を下すことを排除するがゆえに必要であることを述べている(56)。特に社会の安全に関わる判断の箇所では次のように述べている。「分業が進展するにつれて、労働によって生活する人々のはるか大部分、すなわち人民大衆の職業は、少数のごく単純な作業に…限定されるようになる。…それゆえ、彼は自然に、…およそ創造物としての人間がなりさがれるかぎりのばかになり、無知にもなる。」「国家はかれらの指導からすくなからぬ利益をひきだしているのである。彼らは指導されればされるほど、無知な諸国民の間ではしばしばもっともおそろしい無秩序をひきおこすところの、狂信や迷信にだまされることがそれだけ少なくなるのである。」「自由な国々、すなわち政府の安全性がその行動についてくだされるであろう人民の好意的な判断に依存するところがひじょうに大である国々では、人民がそれに関して性急な、または気まぐれな判断をくだす気にならないということが、確かに最高の重要事であるにちがいないのである。」この最後の理解は、二度の大戦の経験を思い起こさせる。スミスの主張から1世紀半の後も、われわれは人種や民族間の優等、劣等といった「狂信や迷信にだまされ」、「気まぐれな判断をくだした」ことに対して深刻に反省せねばならない結果となった。戦後の日本の大学教育において、偏った専門技術者でなく、人間社会のあり方についてバランスのとれた判断力を持った市民を育てることが今後重要であるとされ、教養教育を重視しようという姿勢を取り入れるに至ったのはこのような反省に立った上でのことであった。このような教育目的に関しては、スミスの時代においてはそれを「優れた市民を育てる教育」、第二次大戦後の世界においてはそれを「優れた主権者を育てる教育」(少数の、ではない、すべての国民を)と言い換えることができよう(57)。
さらにつぎに大田尭氏の見解を見よう。氏は、基本的に、教育とは種の持続のための営みであるとする。氏は拾遺和歌集(一三世紀)にすでに記されている言葉「ひとなる」、そしてかつての私たちの祖父母の時代の「ひとねる」との言葉を引きながら、人間の子が人間に育つためには、実の親だけでは足りない、それは人間社会の、周囲の人々全体による作業であった、それによってのみ可能であったと述べる。「…地域共同体、近隣、血縁の中での一人一人の子どもに即しての綿密な子育てと教育の秩序に守られて、種の持続が行なわれてきた」、「すべての子に人間としての資格が与えられなくてはならない、一人前の人間になってもらわなくてはならない、そういう教育の目的がしっかりすわっているのです」、「実の親は、数ある親の一種類にすぎない…実の親だけでは、人間の子に育ちきれない」、「弱い人間の子を人間にまで育てるねんごろな営みは、種の持続のための営みとして、我々が今日、教育と名づけるものの、もっとも根底にあるものとして、長く持続してきた」、「かけているのは、今の大人たちがばらばらで、大きな共同の課題に生き、子ども・青年が内面からの共感でそれにすすんで参加していける条件を提供することができないでいるということです」、「種の持続の営みとしての教育を問い続けたい(58)」。「子育て自体は、種の持続のための共同事業であり続けてきたと私は思います。親権自体も種から委託されているものと私は考えるのでして、それは自然の掟のようなものではあっても、私事ではないのです(59)。」このような見方は、日本におけるここ二、三〇年ほどの特徴に見られるような、子育てが「人類のかつて経験したことのない」「孤独な両親に委ねられている」状態に対する警鐘となっており、その何百、何千倍もの長い間、人間社会がその子孫たちを育て上げてきた基本的な方法を私たちに思い起こさせてくれるものであろう。
これと似た見解は矢野真和氏にも見られる。「教育は…未来への投資である。…未来に生きる見知らぬ他人の普通のこどものための投資は、大人世代から子ども世代への利子つきの贈り物である(60)。」氏はここからただちに「家計負担が必要ないと主張したいわけではない」と付記するが、同時に、「大切なのは、『未来』の『全体像』についての息の長い専門的議論と調査研究の蓄積である」と指摘する(61)。
広重力氏も「一国の未来への最大の投資としての人材育成に、短期的な財政均衡論がまかり通るとしたら、その国民に未来はあるのであろうか」という表現で、教育の基本的目的を再考することの必要性と、それなしの近視眼的な教育財政論の危険性を指摘している(62)。
これらの論者の危惧の延長上において、もしもこうした本来的な教育の意義に反する教育が行なわれたときはどうなるかについて、堀尾輝久氏は次のように述べる。「それを逆に一人ひとりの利益にだけつながるものと考えれば、それは容易に受益者負担論と結びつきます。」「教育や学問を受益者がお金をだして買うのだという発想になれば学問や文化を身につけた人がそれを自分の利益のために利用するのは当然だ、…ということにすぐなってきます(63)」。また、前出の井深氏もこの点を経済的コストの増大の視点にも論及しながら次のように表現する。「受益者負担主義は、子供・青年を父母に依存させ、教育を経済的成功の手段として、教育における競争秩序を是認する傾向を促進する。…今日の学校教育における病理の根本原因の一つは受益者負担主義にあるといっても過言ではない。その意味で、経済的効率性を追求する受益者負担主義は、あたかも教育公害をもたらし、その対症療法に要する経費が嵩む結果、返って経済的にも不効率になるといえるのではなかろうか。そのことは、一兆円産業といわれる教育サービス産業に流れる家計支出を、租税の水路を通じて公教育に振り向けたと仮定した場合に広がる可能性に目を向ければ容易に想像できよう(64)。」
以上の大田氏から井深氏までの主張で強調されているのは教育の公的性格であり、その社会的効果の重要性である。それは教育の中心的な性格として、ほとんど唯一といってよいほどの重要な性格として扱われている。たしかに、貨幣換算したときのその効果から見れば、こうした効果は数値としては明示されにくいものである。しかし、「人間の子どもを人間として社会全体が責任を持って育てるのが教育だ」とい主張は、先に示した市民社会の構成員を育てるという教育の基本的任務の、そのまた基礎的部分を述べたものといえよう。先に示した教育の基本的性格とは、教育とは「社会を開始させ、その平和的維持を可能とするための大人たちの基本的共通活動」であり、「人格の完成と他者への尊重を作り出す」ためのものと想定するものであった。そしてそれは単に初等教育のみならず、高等教育に至るまで一貫して重視されるべきことであると言えよう。教育の眼目は人間が人間となること、人間が人間社会の中で協力していける能力を養うことであると考えてよいであろう。必要なのはまさに、個人の稼得能力の伸張のみならず、むしろその前提としての他者への理解、尊重という態度を通じた、平等な市民社会にいける一個人としての人格の完成にあるといえよう。
以上の議論を振り返るとき、教育の目的は何か、という基底的な問いは、実はわれわれが教育に何を期待するか、どのようなものとして教育を作っていくか、という問いでもあったといえよう。その目的が、人間の子供たちが社会を形成し、平和的に協力していく能力を身につけることにあると考えてよいとすれば、それはまさに社会の形成・存続のためのもっとも前提となる共同活動であり、それゆえにその費用負担は社会全体の共通費から賄うべきであると言えよう。
小括
以上の各節の検討から、現代社会においては、教育とは一人一人の人間が社会を形成し、維持していくための能力を養うことを目的とする活動であり、それはすなわち市場経済社会に一人一人の人間が入っていくための前提であり、そこでは各人の人格の完成と他者への尊重の態度を養うことをその重要な目的とするものであり、それゆえにまたそれは社会の共同作業であるということになろう。そうである以上、そのための必要物、負担は社会の共同負担となるべきであり、税金で賄われるべきである、すなわち、高等教育・大学教育を含めた教育費の無償化が実現されるべきであると言えよう。
人格形成の一半としての各人の個人的能力の伸張によって、社会全体の生産性の上昇という、可能的には社会成員全員に利益となるという教育の性格と、また、他者の尊重という、社会的協力のためには最も重要な財であるものを生み出し得るという教育の性格を前提としながら、逆に、その費用負担方法を個人的なものとする方向を選ぶならば、それは逆に各人に対して、教育の成果・自己の能力の伸長の目的を個人の利益にのみ奉仕するものと理解させ、社会全体の意義・重要性を軽視させる危険性を生むであろう。これとは逆に、もし各人の能力が共通に公費によって伸張させられるとしたら、すなわち高等教育に至るまでの教育の無償化による機会均等が実現したとしたら、社会全体の生産性が上昇する部分のどれだけを個々人に帰属させ、どれだけを社会に帰属させるかは、過剰な利己性にとらわれることなく判断されるようになるであろう。
子どもが成長し、社会的な生産活動に入るまでの能力成長期間は、そしてその能力の核心は生産能力と他者を尊重する能力のふたつであるが、社会が共同責任でそのための作業=教育を行なうこと、これが現代の、そしておそらくは今後長期にわたる人間社会の正しい教育費負担原則であろう。日本よりも市民社会としての社会の形成の重要性がより早く、より強く認識され、そのもとで高等教育が無償かかなりの低水準にある欧州と、そしてまた、若干の様相は異なるが奨学制度によって高等教育の社会的支援の体制が日本よりも格段に大きい米国と比べ、その市民社会の形成の点で遅れをとる日本社会は、この現代市民社会における教育本来の任務、人間社会の担い手としての子供達の育成と、そして特に現代社会において、平和的な協力関係を築くことのできる国民、また地球市民を育てるという基本的な教育の任務を軽視しやすく、それが高等教育に対する公的負担の弱さとなって表れてきたといえよう。
しかしながら、この遅れを取り戻すべく、この教育の目的観は、一九四五年敗戦後の新生日本において、憲法と教育基本法の目標のなかに明示されていたはずであった。しかしその後の目覚しい経済成長の中での市場経済システムの急成長・肥大化は、私的利益をめざす孤立した人間の行動が人間と社会のすべての基本となるかのような幻想と促迫感を日本社会に、そして世界の多くの国々に醸成した。だが、それが教育に、子育てに、子供達の世界にいくたの問題現象をも生み出していることもまた今や明らかである。こうした問題も、戦後提示された教育の基本的目的が経済成長の過程で軽視されたことから生じたものであろう。大学学費の高騰もまた、こうした教育目的の誤認から生じた一つの誤りであった。その誤りは正されなければならない。上に示した教育の目的と教育費のあり方に関する検討は、このような改革の正当性、必要性を示していると言えよう。
(1)本書第2章参照。
(2)二〇〇八年秋に世界不況とともに日本の不況も深まる中で、国立大学法人の中には内定取り消しにあった学生たちの学費を減免することも始まっている。学費水準が一九七〇年ごろと比べ急上昇したことがその背景の一つにあろう。
(3)筆者はあくまでこの問題を市場経済機構を内包する社会システム全体のあり方の中で考察しようと考えている。このほかに、日本社会において、そしておそらくは多くの先進資本主義諸国において、いまだ多くの国民がその選択において悩んでいる共通の重要な問題としては軍事問題とマクロ的な経済運営の二つの問題があると考えられる。この点に若干ふれておきたい。
軍事問題とは平和財の生産方法と言い換えてもよい。いかにして平和という最も貴重な財を生産することができるか。欧米先進国は歴史的にこの問題の考察の量において日本社会よりも一歩先んじていると言えよう。良かれ悪しかれ、彼らは現代的な戦争と平和の問題、すなわち同一民族を主体とする国民国家の成立以降の国家間紛争において日本社会よりも多くの経験を積んできたからである。それに比べ、日本社会は、戦前は一部の指導者に平和と軍事の問題を独占させ、または独占され、戦後は平和憲法と日米同盟との奇跡的は「併存」の中で、国民全体として日本と世界の平和のための当事者としての苦しみと責任を実感することが少なかった。この宿題を、今日本国民は短期間に解決することを迫られている。
マクロ的な経済運営の問題とは、急激に進みつつある経済のグローバル化の影響と、旧来の国民経済との整合性をどのように見つけるかという問題がその中心にある。個人的生活は個人的選択によって決まる部分が多いが、現代社会においては政府の強制力を伴った生活基盤作りと生活の方向付けが、各人の生活の中で大きな割合を占めるようになっている。それは各人が、医療、年金、教育、あるいは軍事、公共事業などといった様々な財については共同の事業としようと選択したことの結果である。こうした個人的選択と政府による枠組み作りが合体して、戦後半世紀にみられるような国民経済が成り立ってきたと言える。しかし近年、このような国民経済としての国家、あるいは社会が、「グローバルな市場」の要請という力によって大きく変貌させられて行きかねない情勢が生まれている。これまではほぼ、市場とはあるまとまりをもった一つの社会の内部の一構成要素であった。それがいわばそれぞれの社会、国家の「外に抜け出て」(企業活動のボーダーレス化という言葉はその一つの象徴であろう)、それらに対立するほどの力を得ているように見える現状をどうとらえるか。この点が現在の多くの国々が早急に解決を迫られている共通の問題となっている。
(4)これは公費の比率の大きさに比例するであろう。
(5) 昨今の小中学校における暴力事件をみると、一見して、とても公費による教育が社会的靱帯を強化しているとは思えないかもしれない。(いじめ、自殺、校舎の破壊、教師への暴力、地域社会での暴力など。)正確には、公費による教育は、その強化のための一つの要素であると理解すべきである。それのみでは目的を十分にできないが、それが大きな助けとなることは否定できないであろう。公費による教育が社会的靱帯の強化を促進することで、それに応じて上に記した子供社会における病理的現象は抑制されるであろう。
(6)有斐閣『ポケット六法』一九九二年、一〇〇六頁。なお、「条約は、我が国の場合、批准され、発行すると、効力的には国内法に優位するという体制がとられており、条約と抵触する法律は、その限りで効力を失う。」(芦田健太郎編訳『国際人権規約草案注解』有信堂高文社、一九八一年、「はしがき」より。)
(7)同、有斐閣、一〇〇八頁。
(8)伊ヶ崎暁生編『教育基本法文献選集三 教育の機会均等』学陽書房、一九七八年、一一頁。
(9)真野宮雄「公教育思想における公正と不公正―アメリカ独立初期の公教育思想を中心に―」(高倉翔編著『教育における公正と不公正』教育開発研究所、一九九六年所収)参照。
(10)チャールズ・ビアード著、岸村金次郎訳『アメリカ合衆国史 上巻』岩波書店、一九四九年、二三三‐四頁。
(11)I.L.Kandel,Comparative Education,1933,p.78.彼は世襲を排して才能と徳にだけ基づく指導者能力の育成をもめざした(「自然的貴族制(natural aristocracy)」)。
(12)以上、条文からの引用は前掲『ポケット小六法』からによる。また、アメリカ独立宣言、フランス人権宣言については「憲法・宣言・条約集」福音館小辞典文庫、一九七二年による。
(13)伊ヶ崎、前出、四九頁。(OECD,Review of Student Support Schemes in Selected OECD Countries, Paris,1978.)
(14)井上孝美「大学における授業料等学生納付金の現状と国際比較」から。(『現代の高等教育』一九八三年四/五月号所収)
(15)阿部美哉「大学授業料の比較文化」、同上所収、二六‐七頁。
(16)本間政雄「フランスの高等教育財政」、『現代の高等教育』一九八六年七月、二七三号所収。
(17)大崎仁「英国高等教育のゆくえ」、『現代の高等教育』三一九号、九〇年一一月号所収、二一頁。)
(18)第87国会外務委員会議事録より。以下、会議議事録の引用には、官報の号数と頁のみを付記する。
(19)金子元久「受益者負担主義と『育英』主義ー国立大学授業料の思想史」『広島大学大学教育センター 大学論集』第一七集、一九八七年。また、「国立大学授業料の理念と現実」矢野眞和編『高等教育の費用負担に関する政策科学的研究』一九九四年。(以下、前者を「思想史」、後者を「理念と現実」と表す。)
(20)金子「思想史」の序、また「理念と現実」の一、二を参照。
(21)金子「理念と現実」第三節「受益と所得税の生涯負担」の項参照。また、小川正人氏によれば、所得階層と大学進学機会については、『国民生活白書』一九八八年版によれば「一九八六年には、各分位がほぼ均等」な機会を得ており、文部省学生生活調査(総務庁統計局家計調査年報に依拠)「高収入階層に大きく偏っている」と、逆の結論が示されている。氏自身はおそらく現実は両者の中間ではないかとの菊池氏の見解を支持している。
(小川、「大学の授業料政策と教育の機会均等問題」『季刊教育法』一〇三号、一九九五年九月、九八頁。)菊池氏の分析によれば、大学学費への公的支出に関する所得階層別の受益と負担の分布は、家庭所得階級別の学生数比率分布と国税、地方税納税額比率分布とを対比したとき、そもそも、便益が当人以外に広がる部分の考慮も必要であるがこれに対する推計は難しいという点を留保した上での結論は、受益と負担の関係に大差はないというものであった。「わが国の大学においては、勤労者世帯に関する限り、公費支出から受ける受益にほぼ見合う割合でその費用を租税として負担する方向にむかっている。個人レベルでみれば、低収入層の学生の方が家計の納税額に比較して公費補助におる受益額は大きい。しかし、収入が高まるにつれて在学率が高くなるので、収入層別に受益と負担を比較すると、低収入層が著しく有利ということにはならない。」
(菊池城司「高等教育における受益と負担」、『日本教育行政学会年報』一五、一九八九年、四四‐四五頁)
(22)国立教育研究所『日本近代教育百年史』文唱堂、一九七三年、四五三頁。
(23)『大学問題・資料要覧』文久書林、一九六九年、三一一、三三一頁。
(24)金子「思想史」八二頁。
(25)黒崎勲『現代日本の教育と能力主義』岩波書店、一九九五年、一四頁。
(26)井深雄二「教育費の節減合理化と受益者負担論」『名古屋工業大学紀要』第四七巻、一九九五年、四四頁。以下、財政制度審議会に関する検討部分の多くは同氏の著述によっている。また、竹内常一『日本の学校のゆくえ』一九九三年、三八‐四一頁参照。
(27)三省堂『資料日本現代教育史』一九七九年、四六頁。(淀川雅也「教育投資論と『教育計画』」、柳ヶ瀬、三上編『教育費を見直す』大月書店、一九八六年、一八一頁)
(28)『今後における学校教育の総合的拡充整備のための基本的施策について』文部省、一九七一年、七四頁。
(29)『新しい産業社会における人間形成』、一一三‐四頁。ただし高等教育機関への進学率は一九七〇年代当時の二割程度から二〇〇〇年代後半の現在では四〜五割程度へと増加した。したがって現在では高等教育を相対的に富裕な層が享受する奢侈財であるということはできないであろう。
(30)七三‐四頁。
(31)一九七一年中教審答申、第一編第三章第二「高等教育改革の基本構想」の一〇、「国の財政援助方式と受益者負担及び奨学制度の改善」より。
(32)三輪定宣、「臨調行革と私学・大学」、『国民教育』一九八四年一一月、九二頁。
(33)金子「思想史」八三頁。国大協、『会報』一九七〇年一一月、二三頁。
(34)三輪氏によれば、「臨調行政改革や臨教審教育改革のねらいは、経済の停滞、少年非行の増大など、“先進国病”として噴出した資本主義社会の病理現象、体制的危機の緊急対応策」であったと表現される。(前掲、九四頁)だが、少なくともその後の子供社会における諸事件の推移を見る限り、そのような狙いに対応した有効な対策を打ち出し得ていないといわざるを得ない。
(35)『臨調緊急提言』(第一次答申)、『臨調基本提言』(第三次答申)(『臨調最終提言』一九八三年、行政管理研究センター、一三六頁、六五七頁、六六七頁。)
(36)『現代の高等教育』一九八二年九/一〇月号、一二‐一八頁。
(37)尾原栄夫編『図説日本の財政・平成六年度版』東洋経済新報社、一九九四年、一六六頁。
(38)大田尭『教育とは何か』、岩波書店、一九九〇年、一六四頁。
(39)大田尭、堀尾輝久『教育を改革するとはどういうことか』岩波書店、一九八五年、一三八頁。
(40)同審議会最終答申『教育改革に関する答申 第一次〜第四次』大蔵省印刷局、一九八八年、一三四‐五頁。
(41)同、三〇四頁。
(42)同、二一六頁。大川政三氏は「国の政策への奉仕という点で、国立大学に特にきわだったものはない」、「大学の果たす社会的効用、公共利益性は、国・私立大学間に本質的な相違としては存在しない」と述べる。(「大学学費論の非経済性を正す」、『現代の高等教育』一九八三年四‐五月号、一一頁。現状の国公私立の大学の状況を見るならば、これは正しいであろう。問題は、では大きな差のある学費の水準をどうすべきかにある。
(43)第一五期中教審の第二次答申(一九九七年六月)では、ものの豊かさは実現したが心の豊かさを失っていると問題を指摘している。同答申ではその対策として大学、高校の入試改善を提案している。臨教審あるいは中教審は、子供たちの問題現象の原因を学歴偏重社会と画一的な教育に求めている。だが、五〇年代、六〇年代においても学校教育の現場ではそれ以後と同様な入試をめぐる競争があったが、子どもたちにはそれほど大きな問題状況はなかったように思える。変わったのは、それよりもむしろ、先の大田氏の指摘にもあるように社会全体の雰囲気、教育を取り巻く、子供たちを取り巻く社会それ自体にあると言えないだろうか。学校教育を受けて出て行く社会が希望に満ちたものであるならば、たとえそこで入学試験という競争があろうとも、それに積極的に取り組む姿勢を持ちうるのではないか。学校のみに注目しようとせず、社会全体に目を向け、それ自体が健全な姿、姿勢を取り戻すことが根本的な解決策になるのではないだろうか。
(44)堀尾輝久氏は次のように述べている。「臨教審の持っていたもう一つの問題は、現状の競争主義・テスト主義的な教育、偏差値輪切り的な教育を変えてほしいという父母や子供たちの願い、あるいはいじめや登校拒否問題を解決してほしいという願いと正面から向き合い、それに答えようとしなかった点である。」(『現代社会の教育』岩波書店、一九九七年、一七九‐八〇頁)。臨教審の設置の動機の一つに、これら現場での問題状況を解決すべきだとの動機が含まれていたとしても、それ以降の教育現場での問題状況がいっこうに改善せず、それどころか悪化している現状からは、このような批判が生じてもやむを得ないといえよう。
(45)井深、前掲、五〇頁。
(46)金子「思想史」、八四頁。
(47)矢野『高等教育の経済分析と政策』玉川大学出版部、一九九六年、一一‐一三頁。
(48)同、一二頁。
(49)教育費は誰が負担すべきかの問題は、教育は誰のためにあるのかの問題である、と矢野眞和氏は述べている。(『高等教育の経済分析と政策』一九九六年、玉川大学出版部、八頁。)
(50)たとえば梅木晃氏は次のように述べる。「教育投資は、…その個人が属する社会全体に波及する便益をも有している。しかも、社会的便益の方が、私的便益よりもはるかに大きいものと考えられる。」(国民金融公庫総合研究所編『子供の教育費と家計の動向』、一九九四年版、43頁。)では、このような直観的判断を支える論拠は何かが次に問題となる。
(51)近年の経済界からは、世界で通用する、広い教養を持った人間を大学は養成してほしいとの声も聞かれるし、高レベルの技術者がほしいとの経済的要請も並行して語られる。広い教養と高い専門能力、これは確かに大学教育に期待される二つの中心的課題であろう。現在の経団連も税制から社会問題まで広く政府に対する提言を頻繁に行っているが、経済界は資金提供力が大きく、それゆえ政界に対する発言力も大きい。特に経済界は当面の企業の存続、成長を重視せざるを得ない立場にあるがゆえに、その短期的視野となりがちな政策提言が長期にわたる全社会的活動としての教育に与える影響については細心の注意を払ってこれを行うことが必要であろう。
(52)熊谷尚夫『経済政策原理』岩波書店、一九六四年、三四八頁。
(53)小原栄夫『図説日本の財政・平成六年度版』東洋経済新報社、一九九四年、一六四頁。
(54)日本経済新聞一九九四年一一月六日社説より。
(55)広重力「国立大学と学費」『現代の高等教育』三六一号(一九九四年一一‐一二月)、一五頁。
(56)『諸国民の富』岩波文庫、第五編第一章第三節「青少年のための諸施設の経費について」より。一五六〜一六九頁。「…公共社会は人民の教育になんの注意も払ってはならないのであろうか」。「もし教育のための公共的な諸施設がなにもないならば、多少とも需要のない体系や科学…は、まったく教えられなくなるであろう。」「あらゆる社会の安全性は、…必ずつねに人民大衆の武勇の精神に依存するものである。」さらにまた、「彼らは指導されればされるほど、無知な諸国民の間ではしばしばもっとも恐ろしい無秩序をひきおこすところの、狂信や迷信にだまされることがそれだけ少なくなるのである。その上、教育のある知的な人々は、無知で愚鈍な人々よりもつねに礼儀正しく秩序を重んじる。」 「自由な国々、すなわち政府の安全性がその行動についてくだされるであろう人民の好意的な判断に依存するところが非常に大である国々では、人民がそれに関して性急な、または気まぐれな判断をくだす気にならないということが、確かに最高の重要事であるにちがいないのである。」
(57)増田孝雄氏は『主権者を育てる教育』の中で、義務教育段階をさして、それは主権者として生きていく力を身につけるための教育であり、社会の責任であると述べている。(一九九四年、光陽出版社)
(58)大田尭『教育とは何かを問いつづけて』岩波書店、一九八三年、二〇八〜二一五頁。
(59)大田尭『教育とは何か』岩波書店、一九九〇年、一八一頁。
(60)矢野真和、日本経済新聞、一九九七年一一月七日付。
(61)矢野真和「社会変動と教育費」、『教育と情報』第四一六号(一九九二年一一月)、六頁。氏は、日本の奨学金の不備に言及し、その将来は、教育に対する公的負担を「充実すべきだという価値判断及び政治的判断が国民の中にどれほど浸透しているかが決め手になる」とする。
(62)広重力『現代の高等教育』三六一号(一九九四年一一‐一二月号)、一七頁。
(63)堀尾輝久『教育基本法はどこへ』有斐閣、一九八六年、二〇七頁。
(64)井深、前掲、五〇‐五一頁。
参考資料
(参考資料1) 国立・公立・私立大学の授業料及び入学料の推移
年度 |
国立大学 |
公立大学 |
私立大学 |
|||
授業料 |
入学料 |
授業料 |
入学料 |
授業料 |
入学料 |
|
|
円 |
円 |
円 |
円 |
円 |
円 |
平成16年度(2004年度)から国立大学は独立行政法人となり、授業料については文部科学省より授業料標準額が示されることとなった。
平成20年度(2008年度)の額は、授業料535,800円、入学料が282,000円となっている。
(注)
1.公立大学及び私立大学の額は平均額である。また、公立大学の入学料は、他地域からの入学者の平均額である。
2.年度は入学年度である。
(出所) 平成14年度までは中央教育審議会議事録資料 (http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo4/005/gijiroku/011201/ 011201e1.htm)より。
(参考資料2) 各国における大学授業料の学生負担額 (自国学生の場合の平均値、2004/2005学年暦)) |
|
|||||||||
ここでの大学は、通常の3年生以上の大学を意味する。授業料と集計された学生の比率は、主な大学課程の加重平均によっており、すべての教育機関を網羅していないので、その点に注意されたい。しかしながら示された数値は主な教育機関と大多数の学生に関して、国ごとの授業料の違いをほぼ正確に表している。 2005年購買力平価レートは,1ドル=130円。 |
||||||||||
|
フルタイム学生の割合 |
フルタイム学生の割合 |
年平均授業料 |
補注 |
||||||
|
公的な教育機関 |
政府に依拠した私的な教育機関 |
独立した私的教育機関 |
公的な教育機関 |
政府に依拠した私的な教育機関 |
独立した私的教育機関 |
||||
OECD 諸国 |
|
(1) |
(2) |
(3) |
(4) |
(5) |
(6) |
(7) |
||
Australia |
87 |
98 |
a |
2 |
3,855 |
a |
7,452 |
公的機関に在学する自国学生の95%は補助金を受けており、3,595USドルの授業料を支払う。補助金には HECS/HELPも含む。 |
||
Austria |
83 |
88 |
12 |
n |
837 |
837 |
n |
|
||
Belgium (Fl.) |
m |
x(2) |
100 |
m |
x(5) |
574 |
m |
|
||
Belgium (Fr.)2 |
m |
32 |
68 |
m |
661 |
746 |
m |
|
||
Canada |
m |
m |
m |
m |
3,464 |
m |
m |
|
||
Czech Republic |
83 |
93 |
a |
7 |
無償 |
a |
3,145 |
公的機関の授業料は標準期間+1年を超える在学生(全学生の4%)からのみ徴収されるので、その額はわずかである。 |
||
Denmark 3 |
89 |
100 |
n |
a |
無償 |
m |
a |
|
||
Finland |
100 |
89 |
11 |
a |
無償 |
無償 |
a |
学生組合への会費を除く。 |
||
France |
72 |
87 |
1 |
12 |
160~490 |
m |
m |
教育相管轄下の大学課程。 |
||
Germany |
87 |
98 |
2 |
x(2) |
m |
m |
m |
|
||
Greece |
61 |
100 |
a |
a |
m |
m |
m |
|
||
Hungary |
90 |
88 |
12 |
a |
m |
m |
m |
|
||
Iceland |
97 |
87 |
13 |
a |
無償 |
1,750〜4,360 |
a |
登録料を除く(全学生) |
||
Ireland |
74 |
99.6 |
a |
0.4 |
無償 |
a |
無償 |
教育機関によって徴収される授業料は平均して公的機関で4,470USドル [1,870 から20,620ドル]、私的機関で4,630USドル[3,590から6,270ドル]だが、政府がお金を直接諸機関に支払うので学生は払わなくてよい。 |
||
Italy |
97 |
93.7 |
a |
6.3 |
1,017 |
a |
3,520 |
授業料の平均年額は授業料全額をカバーする奨学金や助成金を考慮していない。また、授業料の部分的な減額は表示していない。 |
||
Japan |
72 |
25.0 |
a |
75.0 |
3,920 |
a |
6,117 |
初年度に学校が徴収する入学料く(公的機関の平均2,267USドル、私的機関の平均2,089USドル)、また、私的機関の徴収する施設使用料(1,510 USドル)を除く。 |
||
Korea |
61 |
22 |
a |
78 |
3,883 |
a |
7,406 |
第1学位課程(学部、修士)の授業料のみ。入学料を除く。支援費を含む。年に二回奨学金を受ける学生は二人と数えている。 |
||
Luxembourg |
m |
m |
m |
m |
m |
m |
m |
|
||
Mexico |
96 |
66.2 |
a |
33.8 |
m |
a |
11,359 |
|
||
Netherlands |
100 |
a |
100 |
a |
a |
1,646 |
a |
|
||
New Zealand |
78 |
98.4 |
1.6 |
x(2) |
2,671 |
x(4) |
x(4) |
|
||
Norway |
96 |
87.0 |
13.0 |
a |
無償 |
4,800〜5,800 |
a |
|
||
Poland |
96 |
86.6 |
a |
13.4 |
無償 |
a |
2,710 |
|
||
Portugal |
94 |
74 |
a |
26 |
m |
m |
m |
|
||
Slovak Republic |
96 |
99 |
n |
1 |
m |
m |
m |
|
||
Spain |
81 |
90.9 |
a |
9.1 |
795 |
a |
m |
|
||
Sweden |
89 |
92.9 |
7.1 |
n |
無償 |
無償 |
m |
学生組合(必ず加盟)の組合費を除く。 |
||
Switzerland |
84 |
95 |
5 |
n |
m |
m |
m |
|
||
Turkey |
69 |
91.9 |
a |
8.1 |
276 |
a |
14 430 |
公的機関は学部生と修士生のみ。 |
||
United Kingdom |
88 |
a |
100 |
n |
a |
1,859 |
1,737 |
|
||
United States |
81 |
68.5 |
a |
31.5 |
5,027 |
a |
18,604 |
他国籍の学生も含む。 |
||
Partner countries |
|
|
|
|
|
|
|
|
||
Brazil |
94 |
28 |
a |
72 |
m |
m |
m |
|
||
Chile 4 |
67 |
39 |
16 |
44 |
4,863 |
4,444 |
5,644 |
|
||
Estonia |
62 |
a |
86.0 |
14.0 |
a |
2,190~4,660 |
1,190~9,765 |
|
||
Israel |
76 |
a |
87 |
13 |
a |
2,658~3,452 |
6,502~8,359 |
機関が徴収する授業料は1番目の学位より2番目の学位に対しての方が高額となる。 |
||
Russian Federation |
73 |
91 |
a |
9 |
m |
a |
m |
|
||
Slovenia |
64 |
99 |
n |
n |
m |
m |
m |
|
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a:対象項目なし、x:他の項目にあり、m:データ存在せず、n:値ゼロ、n…:無視できる値
1. 学生が受け取るかもしれない奨学金と助成金は考慮されていない。
2. 公的機関と私的機関の授業料は同額だが、両機関の学生分布が異なるので加重平均の結果は異なる。
3. 全4(3)年制高等教育機関の加重平均。
4. 2006年の数値。
出所:OECD, Education at a Glance 2008: OECD Indicators(http://www.oecd.org/document/9/0,
3343,en_2649_39263238_41266761_1_1_1_1, 00.html). 購買力平価は総務省統計局HPより(http://www.stat.go.jp/data
/sekai/03.htm#03-12)。
参考資料3 高等教育における公私の支出割合(%、2000,2005)