200986日山口大学オープンキャンパス 経済学部ミニ講義(塚田)

 

質問と回答

 

 

Q 今の日本はグローバル化して行くべきか。グローバル化をせず、国内だけでがんばっていくかという議論を耳にしましたが、どちらが良いと思いますか。私はグローバル化していくと良いと思う。M君)

 

A グローバル化という言葉の内容を、ここでは、「経済活動を、国境を越えて、自由におこなうことができるようにすること」、と定義しましょう。(なお、定義の仕方は他にもあるでしょう。)つまり、ここでは、経済活動が焦点となります。

 こう定義すると、その内容は例えば、「日本に外国の人が自由に来て、長期間、例えば1年とか2年とか滞在して、モノを作ったり売ったりの経済活動が自由にできるようにすること」です。また、これと同じことが他の国でも起こることです。

 ○このような意味でのグローバル化は世界の多くの国々ですでにかなり進んでいます。

 このようなグローバル化の良い点は、一言で言うと、「市場が広くなる」ということです。

 例えば自動車産業を考えて見ましょう。もし日本が山口市だけの人口しかないとすると、そして外国との貿易ができないとすると、日本の自動車産業にとっての販売市場は10数 万人ほどが対象でしかなく、もしかしたら自動車産業は「せっかく大きなお金を使って自動車を作っても、元が取れるところまで売ることさえできない」と考えて、産業が始まることさえできないかもしれません。

 しかし現実には日本の自動車産業が対する市場は世界大であり、世界中の国々に売ることができるので、必要な大きさの効率的な大きな工場を作ることができ、ここまで企業は大きくなることができました。

 ●しかし、貿易 が自由にできるとき、悪いことも起き得ます。外国の自動車会社が日本の企業との競争に勝って、日本の自動車会社が消えてしまうこともありえましょう。する と日本の企業は外国籍のものとなり、利潤は本国に送られて日本人の所得はその分減ってしまうことも起こるでしょう。しかし、・・・ここが大事なのですが・・・、一見所得が 減ってしまうように見えて、実は、その前までの競争の過程で、産業全体としては技術開発が大きく進んでいた、ということが多いでしょう。競争相手が優れた企業であるほど、互いに自分の企業もがんばらねばいけません。技術開発が進めば、それはよりすぐれたものがより多く、より少ない労働で手に入ることを意味します。つまり、良いものがより安く手に入るようになるので、日本人全体の生活水準は上がることになります。このことを考えると、本当の損得は、「技術開発で得た利益」−「競争で負けた不利益」ということになり、それはもしかしたら負けた国にとってもプラスの値となっているかもしれません。

 ?ではどのような場合にプラスとなり、マイナスとなるのか。これは複雑な問題でしょう。

 二つの国があって、一方がすべての産業で、たとえば工業でも農業でも優れている とき、・・・ここで優れているとは品質の良いものを安く(より少ない労働で)作れるということです・・・、両者の間ですぐに貿易を自由化すると、上の自動車の例のように、劣った国の企業は優れた国の企業に負けて、劣った国ではすべての企業は優れた国の企業に吸収されたり、潰れたりするでしょう。そのとき、劣った国では非常に大きなマイナスをもたらすかもしれません。そのときは、劣った国の企業を一定期間、輸入制限など によってその国の政府が保護し、その国の企業がある程度競争力をつけてから貿易を自由化することの方がその国にとってはより大きなプラスとなる可能性があります。

 グローバル化は、ある国にとって、プラスとなる場合もマイナスとなる場合もありそうです。となると、日本の場合も、具体的なプラスとマイナスを比べてよく考えて判断することが必要でしょう。

 

 M君、このような答えでどうでしょうか?(難しい問題でした。)

 

 

Q 私は消費税率の引き上げに賛成なのですが,実際に行うと高所得者と低所得者の格差,負担の差が出てくると思います.それに関しては教授はどのようにお考えですか?(Tさん)

 

A まず、消費「税」の「税」という言葉に注目しましょう。税とは、国民が自分たちで決めた仕事をおこなうために集めるお金、その費用を支払うためのお金です。だから、ある税に賛成するかどうかは、それによって誰にどのような利益が与えられ、また、その費用をまかなう負担を誰がどのように負うか、という全体像を理解したうえで、これに対してYesと言うかNoと言うか、という問題となります。

 さて、では今問題となっている消費税率は誰のどのような利益のために、誰がどのように負担を負うものなのでしょうか。(注1)

 消費税は誰の 利益のために使われるのか。現在のところ、消費税は使い道が特定化されていないので、政府が支出するあらゆるものに使われることになります。つまり、無数の 人々の利益になっている可能性が大きいと言えましょう。

 さて、このよう「な非常に多くの人の利益のために使われる税」として、消費税がふさわしいのかどうかが次の問題となります。消費税はTさんが書いたように、通常、低所得者ほど負担感が大きくなります。貧しい人にとっての100円と大金持ちにとっての100円の価値は違います。

 ただ、今の日本の国は、90兆円ほどの政府の支出を50兆円ほどの税収でまかない、40兆 円ほどの不足分は借金でまかなっている状態です。この借金はこれから将来にわたって日本国民が返していくお金ですから、これは現在の国民が将来の国民の返済を当てにしてお金を使っている状態、いわば親の借金を子どもが返すといった状態となり、一見したところ、望ましいものではありません。

 ただ、将来の国民のうち、今国債を持っている親からそれを相続して、そこからの現金と金利を受け取る子孫たちは損ばかりではないように見えるのです が、しかしその元利返済のための税金はこの人たちを含めたすべての国民にかかってきますから、やはり、世代全体としては、現世代があとの世代の負担で利益 を得ていると言えましょう。ただそれにしても、現世代が国債で借りたお金を使わなかったら景気がさらに落ち込む場合は、もしこの借金をしなかったら、それによって親世代の収入と、ひいては貯蓄が減り、相続財産が減るでしょうから、一概にマイナスばかりとも言えません。これは個々の場合に応じてさらに詳しく吟味する必要がありそうです。

 【消費税増額で借金をなくすとすると・・・】 こうした可能性もあるとはいえ、ここでは、できれば現在の税収で現在の支出をまかなう方が、上のような難問を考えなくて済むのですっきりするので、こちらの方がよい、と考えたとしましょう。さて、その場合、この40兆円ほどの毎年の借金をなくすことができればそれがいちばん良いのですが、毎年40兆円の国の借金をなくすためにはその分を借金でなく増税で得ればよいわけです。これだけの税の増収のためには、消費税は1%2兆円ほどの税収となるので、消費税による増収でこれをまかなうためには税率を20ポイント上げればよいことになります。すると現在の税率5%25%となります。

 平均的な例として、500万円の所得の家庭ならば、これまでは500万円の収入で消費財を買うとき、5%分、つまり25万円分の税を払い、475万円分の買い物ができたわけですが、今度は消費税が25%になるので125万円を税として払い、実質的な買い物は375万円になるわけです。月当たりだと40万円で暮らしていた家庭が、30万円で暮らすといった状態になります。これはたしかに相当の生活水準の低下と言えるでしょう。800兆円ほどが累積債務の総額とすると、来年から20年ほどで借金問題を解決しようとすると、このような消費税率となるわけです。こうするともはや国債を発行する必要はなくなります。これを20年ほど続ければきれいになくなるわけです。 

 また、この返済額は、そのまま元利返済分として国民の中の国債所有者の手に入るわけですから、国民全体としての収入は変わりません。そのときこの返済を受ける人々がそのお金を国内で使ってくれれば、国内需要の総額は変わらず、その面での景気悪化の要因とはなりません。具体的には、日本では国債を買っている人は、実は日本郵政公社、銀行など公的、私的な企業・機関がほとんどで、 個人(家計)は5%ほどです。かりに1千の企業・機関が国債すべてを持っているとしましょう。すると一つ当り8千億円分の国債を買って持っていることになります。20年で返済されるとすると毎年400億円超の元利返済となります。この分の利率が3%とすると、利子は12億円です。しかし、これに20%の税金、2.4億円がかかります。国債所有企業・機関全体では、差し引き122.49.6億円が増収になります。他方、消費税の増加分はこれら企業の損失になります。この企業の消費税支払い分の増加額、つまり損失分が 9.6億円以内であると、この企業は「利子収入増」マイナス「消費税支払い増額分」がプラス部分になります。(こうなるのはこの企業の消費額が9.6÷0.248億円以内である場合です。)

 これが個人ならば、一家庭で48億円の消費を毎年おこなう人はまずいないでしょう。しかし、企業にとってはどうかは、企業の消費支出の総額を計算しないと分かりません。8000億円分の国際をもっているある企業の年々の消費支出総額が48億円以内ならば、国債所有と消費税増額の両方から得られる損得は差し引きプラスになります。

 最後に、かりに、<消費税を増額して借金を返済する>道を選んだとすると、では具体的に「どのような消費税」が良いか、という点を考えましょう。消費税と言ってもいろいろな内容のそれがありえます。今しばしば聞かれる意見は、今後は、生活必需品には軽く、そうでないものには重くすべきである、というものです。現在は一律にどのようなものでも5%ですが、私も、税金の支払い方法は、「負担額」ではなく「負担感」を考慮して決めるべきだと思います。上で100円の価値についてふれましたが、人間の行動原理としては、最終的にはこの「感じ方」が重要であると思います。月475万円で生活してきた家庭が375万円になるのと、475千円の家庭が375千円になるのとは相当の違いがあるでしょう。後者では食費をかなり切り詰めることになるかもしれません。全商品に一律の税率とするか否かは、結局、どちらを正しいと感じるか、という「感性に訊ねる」より他に基準はないと考えます。公正な税制とは何か。それは結局は国民の過半数の感じ方により決まるものです。誰にどの程度の負担を割り当てるのが正しいのか。この問題には私たちの感性に訴えるより他に判断の基準はないように思います。

 

 これも難しい問題でした。Tさん。質問ありがとうございました。このような回答でいかがでしょうか?

 

(注1)国会議員と財政支出、税、そして選挙の当落について

 国の問題は結局この支出と収入の中身、この二つの中身に帰します。国はどんな仕事をし、その費用は誰が払うのか。これ関するさまざまな問題(例えば、橋をどれだけ作るのか、戦車はどうか、福祉はどうか、などなど)に対して、私たち一人一人が賛成、反対を表明し、それを見ながら、私たちの代表者である国会議員が投票するわけです。もちろん国会議員は私たちの意見(ここでは世論調査の結果と考えておきましょう)をそのまま反映した投票をする必要はありません。国民の大多数が反対する内容を、あえて国会で決めることもできます。そしてそれには国民は従わねばなりません。国会議員は、たとえ次の選挙までに国民の理解が得られなくても、それが国民のためになると判断したときはあえて不人気な法律を決めねばならないこともあるでしょう。ただ、次の選挙のときままだ国民がその決定内容に反対し続けるときは、以前賛成票を投じた国会議員は次の選挙で落選する可能性が大きいでしょう。代議制を採る国では、このように国民は国会議員に意思決定を託しています。それはだいたい税金の大きさとその使い道となって表れます。