全大教資料 No.02‐1 2002年8月 |
「新しい『国立大学法人』像について」に対する
私たちの意見と対案(第1次案)
目 次
はじめに ……………………………………………………………………………… |
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1.基本的な考え方 ………………………………………………………………… |
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2.組織業務 ………………………………………………………………………… |
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3.人事制度 ………………………………………………………………………… |
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4.目標・評価 ……………………………………………………………………… |
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5.財務・会計制度 ………………………………………………………………… |
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(参考資料) 「国立大学法人」会計基準 同注解試案 について 論点と対案 |
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対案一覧 …………………………………………………………………………… |
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2002年8月
全国大学高専教職員組合中央執行委員会
はじめに
本年3月26日、国立大学等の独立行政法人化に関する調査検討会議の最終報告「新しい『国立大学法人』像について」(以下、「最終報告」と略)が文部科学大臣に提出されました。4月19日の国大協臨時総会では、少なからぬ反対意見に対して十分な議論もされぬまま異例の挙手採決により「最終報告」の基本的枠組みが容認され、今後の国立大学法人化に国大協が協力することが承認されました。
これを受けて、文部科学省では次期通常国会への上程を目指して具体的な法案作成作業が本格的に開始されています。各大学では、法案提出前であるにもかかわらず、法人化後の組織のあり方についての構想や、中期目標・中期計画案の作成、財務会計に関する職員研修等の法人化準備作業が急ピッチで進められつつあり、「最終報告」の既成事実化が進行しています。
しかし、これまで私たちが繰り返し訴えてきたように、「最終報告」が示す国立大学法人化の基本的方向性は独立行政法人通則法の枠から出るものではありません。「最終報告」に沿った国立大学法人化を進めることは、学問の自由と大学自治の破壊を通じて、学術研究・高等教育・医療の発展の基盤を崩し、日本の社会、国民に取り返しのつかない深刻な悪影響を及ぼすものです。
私たちは、国立大学の改革は独立行政法人制度によらず、学問の自由と大学自治を保障し、大学の「自主性・自律性」を拡大させる方向で達成されるべきことをこれからも強く主張していきます。私たちは、以下で「最終報告」がどうして日本の高等教育の未来を破壊するのかを述べ、それに対する対案を提示します。
私たちは、この「意見・対案」をこれからの日本社会を考えるすべての国民のみなさんに検討していただきたいと思います。本当に「最終報告」のような案でいいのか真剣に考えていただき、現在進めている国会請願署名などの取り組みに賛同・協力していただきたいのです。
言論・報道に関わるみなさんにもこの問題を深く考えていただきたいと思っています。大学の独立ということは言論・報道の自由ということに深く関わっているからです。
私たちは、議員や行政のみなさんの活動にも期待しています。地域社会に必要な人材の輩出は「最終報告」では困難になっていきます。国立大学法人化の法案策定と法案審議に私たちの意見を是非参考にしていただきたいと思います。
また、それぞれの大学内において進められつつある法人化準備作業においても、私たちの意見が参考にされ真摯な論議がなされることを希望します。
1.基本的な考え方
1.1.検討の前提
(1)改革の推進
<最終報告の問題点>
最終報告は、教育研究の高度化、個性豊かな大学づくり、大学運営の活性化のために、大学の法人化を行うとともに、評価に基づく重点投資システムの導入、競争原理の導入、効率的運営、公的支援の拡充を行うべきとしている。
しかし、評価に基づく重点投資システムの導入、競争原理の導入、効率的運営がこれからの大学全体にプラスに機能するとは限らず、研究の各分野、教育の分野、運営の分野等で、異なる機能をもつと考えられる。たとえば評価に基づく重点投資システムの研究領域への過度の導入は、基礎領域の進展にマイナスに機能するという指摘がある。また、企業においても再検討がなされているように、運営の分野においても競争原理の導入によって業績が伸びるとは限らない。
大学の活性化と教育研究の高度化のためには、こういった分野の違いを視野に入れて、それぞれが有機的に機能するようなシステムを考えなければならない。そういう丁寧な視点をもたず、もっぱら重点投資システム、競争原理、効率的運営がよいという前提でまとめられている最終報告は皮相的というほかない。したがって、分野によって機能の異なる「重点投資システム、競争原理、効率的運営」については大学改革全体の前提と考えるべきでない。
<対案:大学の自己決定権の拡大>
・ 大学の活性化と教育研究の高度化のためには、大学の自己決定権を充実させるべきである。
・ 大学の活性化と教育研究の高度化のためには、研究の各分野、教育の分野、運営の分野等についての性質の違いを視野に入れて、細かく配慮すべきである。
(2)国立大学の使命
<最終報告の問題点>
最終報告は、これまで国立大学は学術研究と研究者育成の中核を担い、全国的に均衡のとれた配置によって、地域の教育・文化・産業の基盤支えし、経済状況に左右されない進学機会の提供をしてきたと述べ、この使命の重要性は変わらないとしている。
一見まともにみえるこの指摘も、「大学は何のために存在するのか」という肝心の部分が述べられていない点で問題を残している。
大学は知識を生み出し、それが社会をより豊かにする。大学は社会の方向性をしっかり考える市民、すなわち「知性ある人びと」「よき職業人」「よき研究者・教育者」を生み出す。高等教育はこういった役割を社会に対してもっており、社会の豊かさ、安定、冷静さ、創造性はその社会の高等教育のあり方にも左右される。
こうした大学の機能は社会にとってすこぶる重要である。それゆえ、豊かな社会を築くことを要請されている国は、高等教育について最大限の責任をもたなければならない。
均衡ある国立大学の地域配置もまた同様の意味からとらえる必要がある。そのもっとも大きな使命は地域社会に知識と知性ある市民を輩出することであり、そのことが地域社会を豊かにし、ひいては社会全体を豊かにするのである。最終報告にはこういった根本的な視点が抜け落ちている。
<対案:国立大学の使命と国の責任>
・ 国立大学には、学術研究の中核を担う責任がある。
・ 国立大学には、よりよい社会の創造を担う冷静で知的な人間を育てる責任がある。
・ 国立大学を全国にあまねく配置することによって、それぞれの地域社会の学術・文化を育てなければならない。
・ 国は、文化的な社会を築くため、大学を含めた高等教育の予算を充実させるべきである。
(3)自主性・自律性
<最終報告の問題点>
最終報告は、大学自治に関わって、教育研究活動は教育研究者の自由な発想と企画立案の尊重によって実りあるものとなるので、自主性・自律性が尊重されねばならないということを述べている。
このような記述にもかかわらず、最終報告のII以降では、大学自治を破壊する種々のアイデアが登場することには驚かざるを得ない。「組織業務」「人事制度」「目標・評価」のどれをとっても、文科省の大学への干渉は現在よりもむしろ強くなっているのである。そのようなことが生じているのは、最終報告において、大学自治の必要性が基本的なところから理解されていないことに関わっている。大学自治はなぜ必要なのか。
社会には独立が要請されるセクターがいくつかある。報道機関や法曹界などはこの種のセクターであり、それらには政府や市場からの相対的独立が必要とされる。政府や特定の企業の影響が強力になると、報道機関はその干渉から逃れられず、自由が制限され正確な情報が市民に行き渡らなくなる。このことは、市民が政府や企業について考えるための基礎を破壊し、合理的意思決定を不可能にさせ、最終的には民主社会の破壊につながる。それゆえ、独立は民主社会の報道機関にとっては死活問題である。この独立の要請は社会から与えられた責務とも考えられる。
大学にとっても事は同じである。大学は、あらゆる権威やドグマから独立して真理を探究しなければならない。大学は、政府や市場の圧力、そして時として生じる人びとの熱狂からも独立して公共的な知識、すなわち、長い目で見るとすべての人の幸福に役立つような知識を生み出さなければならない。このことは人文・社会科学であろうが自然科学であろうが同じである。
独立が満たされなければ、大学の生み出す知識は時の政府に好まれるだけの偏狭なものになったり、特定の産業界等にだけ好まれるものになったりして、決して社会に警鐘をもたらすようなものにはならない。それはよりよき市民社会の破壊につながる。それゆえ、大学には独立が要請され、そのために自治が必要とされる。独立と自治は大学の権利というよりも、社会が大学に与えた責務というべきものである。
政府等外部の諸勢力によって学長や教職員の身分が脅かされることは、この独立性の破壊につながる。報道機関のトップや記者が外部諸力によって自由に解任されるならば、報道の自由がなくなるように、外部諸勢力によって学長・教職員の身分が脅かされるならば、学問の自由と大学の自治は破壊される。
学長の身分、教職員の身分については、大学の独立性を重視した「教育公務員特例法」の精神で考えるべきである。それは、先の大戦時における大学への政府の干渉等、苦い歴史の経験のなかで社会が学んだ貴重な考え方を示している。
<対案:大学の独立と自治>
・ 自治、同僚間の協同および適切な学術的リーダーシップは、高等教育機関にとって有意味な自律性に不可欠な構成要素である(ユネスコ「高等教育教育職員の地位に関する勧告」21)。
・ 政府は、いかなる方面からも大学の研究教育・運営に干渉してはならない。
・ 学長・教職員の身分は最大限保証されなくてはならず、それへの政府の干渉は許されない。
1.2.検討の視点
(1)個性豊かな大学づくりと国際競争力のある教育研究の展開
<最終報告の問題点>
最終報告は、大学の個性化と国際競争力が重要とされる一方、再編統合により地域の教育・研究・文化の拠点としての機能を強化しなければならないとする。
この視点のもとには、一部の研究大学と地域密着型大学の差異化の発想が垣間見える。しかし、このような発想は高等教育の理想と現状についての十分な理解を欠くものである。
大学は地域においては「知識のセンター」として機能している。それは、地域のさまざまな学術文化のニーズに対して答える、いわば「知識の総合病院」とでもいいうる存在である。総合病院に内科や外科といったさまざまな「科」が必要なのと同様、地域の知識センターとしての大学がしっかりと地域に貢献するためには、幅広いセクションが必要である。その意味では大学はただ個性化すればいいというものではないし、地域への貢献を無視したような統廃合は行われてはならない。大学が地域社会のインフラであることについての深い認識が必要なのである。
ところで、総合病院の規模はいろいろだが、小規模な病院においても「○○病院の○○科はとてもいい」というように得意分野が存在することがある。大学も同様で、特定のセクションについては特に充実しているという小規模大学も存在する。大学の個性化とは、こうした充実したセクションの構築をもとになされるべきであって、研究大学と地域密着型大学の差異化をもとになされるべきではない。一部の大学を研究大学として差異化するような発想は、いわゆる護送船団方式を踏襲するものであって、大学間の研究教育に関する望ましい競争を阻害する。
加えて、現在、学術研究の多くは、大学を越えた研究者のネットワークをもってなされることが多いが、大学の差異化によって、せっかくできあがってきた広域的ネットワークが破壊されるおそれもある。
<対案:充実した教育研究を行い地域の文化拠点となる大学の創造>
・ すべての国立大学は、国の内外に誇れる教育研究を行わなければならない。
・ すべての国立大学は、地域社会の文化拠点としての機能を充実させなければならない。
(2)国民や社会への説明責任と競争原理の導入
<最終報告の問題点>
最終報告は、積極的な情報提供、学外者の運営参加、評価を通しての資源配分によって、大学の機能強化を図るべきとしている。
このうち大学自らによる積極的な情報提供は重要である。しかし、学外者の運営参加については大学自治の観点から慎重に考える必要がある。政府の役人を報道機関の役員にするならば、報道機関の自律性が保てなくなるのと同様、政府関係者や経済界の関係者を大学運営の主要メンバーにするならば、大学自治は破壊されてしまうからである。
評価を通しての資源配分についてはいくつもの問題がある。第1に、それは大学自治を破壊する。最終報告にあるように、評価機関は文科省に置かれ、文科省が資源を配分するという仕組みでは、財政誘導が行われるため自治は成り立たなくなる。それゆえ、こんな制度を採用している国はない。また、評価者自身に対する評価がないことも問題である。それがなければ、評価がどの程度適切なものかも判断できない。
第2に、それは大学の機能強化にプラスになるとは限らない。ほとんどすべての研究者は、自身の研究や教育を自身の儲けのために行っているわけではない。そこには真理への愛といったものが存在し、それが研究を推し進めているのである。したがって、報酬によって研究者個人の研究教育を進展させるといったことには無理がある。評価による資源配分という発想が研究費について採用されるならば、「研究費をとるために研究する」といった態度が生じ、地道な研究よりも流行に乗った研究への志向が一般的になり、量は多いが内容は希薄で独創性に乏しいという事態が生じかねない。
第3に、それは効率的でない。評価のための資料作成には膨大な作業が必要となり、その業務が他の業務を圧迫して大学を疲弊させると予測できる。それはまるで、本社連絡業務に事務量の大半をとられる事業所のごとくである。これでは、大学本来の仕事である研究教育に十分な力を割り振ることはできない。文科省との連絡業務等の過剰さが、私立大学に比べての国立大学の事務量の多さや非効率を引き起こしているという現状を正しく認識し、この問題の解消という方向で改革を考えなければならない。[加えて、定削、事務集中化による教員の事務負担量の増加。]
以上のような問題を起こしかねない手続きではなく、情報公開こそが重視されねばならない。資源配分を求めることによって引き起こされる競争ではなく、情報公開による競争こそが重要である。情報公開は、研究者間の刺激になるとともに大学間の刺激にもなり、お互いの切磋琢磨につながる。評価は、徹底的に社会に公開された情報をもとに、大学自らならびに社会が自発的に行うものと考えるべきである。
<対案:情報公開の徹底とそれにもとづく適切な競争>
・ 大学は教育研究およびその他について、社会に最大限情報公開する。
・ 大学評価は、公開された情報をもとに大学自らならびに社会が自発的に行うものでなければならず、政府はそれに直接関与してはならない。
・ 大学への資源配分は、大学評価とは独立になされねばならない。
・ 評価にかかわる業務の過多によって、大学の本来業務である研究教育活動が阻害されてはならない。
(3)経営責任の明確化による機動的・戦略的な大学運営の実現
<最終報告の問題点>
最終報告は、戦略的大学運営のためにトップダウンの意思決定が重要としている。
この考えは、現状の大学における意思決定がいわゆる「学部エゴ」などによって機能不全に陥り、全体的視野を欠いたものになりがちだという批判に対するものと思われる。しかし、トップダウン的意思決定への変更という解答はあまりに安易であり、大学の本質を見失ったものである。大学は知識を創造する場であり、そこには何よりも自由で民主的な風土が必要なのだが、トップダウン的手法はこの風土を破壊しかねない危険な手法だからである。この風土を最大限尊重しつつ、効率性にも配慮した経営教学一体の運営システムの構築が必要である。
すべての大学人は自身の関わっている分野だけでなく、高等教育全体に責任をもたねばならない存在である。にもかかわらず、自身の専門分野に閉じこもり高等教育について発言をしないのは、文科省の統制が大きすぎて大学人のせっかくのアイデアが無駄になるという挫折感をさまざまな場で味わってきたからである。いきおい、発言は瑣末化し、意思決定は機能不全に陥る。
変革は、大学人が高等教育全体に責任をもつものだという自覚を促し、その下に出されるアイデアを大学の意思決定に反映させるような民主的システムを作るという方向で考えられなければならない。地方行政等さまざまな分野でも、広範な情報公開をもとにした市民の多様な意見を重要なアイデアととらえ、それを意思決定に生かすことによって「地域エゴ」を克服しようとする試みがなされているが、大学で必要なことも同じである。全体的視野での議論が成り立つような情報公開がまず必要であり、それをもとにしたアイデアの提出、対話による意思決定が大学運営にはふさわしい。学長・学部長等には、そのようなアイデアが生まれる素地を作り出し、多様なアイデアをまとめあげていく「合議体の長」としての役割が求められる。
さまざまに規模も性質も異なる大学において、そうしたことを満たす単一の意思決定システムがあるとは考えにくい。したがって、それぞれの大学が自律的に、自己にふさわしい民主的運営システムを構築することが重要である。
<対案:情報公開にもとづく民主的な大学運営>
・ 大学は情報公開をもとに民主的に運営されなければならない。
・ いかなる運営組織を採用するかは、最大限大学の自主的決定にまかされるべきである。
2.組織業務
最終報告は、 検討の視点として「1.学長・学部長を中心とするダイナミックで機動的な運営体制の確立」、「2.学外者の参画による社会に開かれた運営システムの実現」、「3.各大学の個性や工夫が活かせる柔軟な組織編制と多彩な活動の展開」の三点をたてている。
第一の視点が目指しているところは、文科省にたいして一義的責任を持つ学長及び役員会による上意下達の運営体制であって、大学に不可欠な民主的気風を破壊するものである。また、第二の視点が目指しているところは、法人運営の根幹に関わる部分への無原則な学外者の参画を意味する。これは、集団無責任体制となる危険性が高い上、大学の自主性を損ねるものである。さらに、第三の視点は、そのスローガン通りならば結構だが、実際は、国が策定するグランドプラン・政策目標に基づく、文部科学大臣による中期目標の策定、および大学が作る中期計画の文部科学大臣による認可、年ごとの業務内容の文部科学省への報告義務など、大学の裁量の拡大とは名ばかりで、今まで以上に文部科学省の大学への関与・統制を許すシステムとなっている。
2.1.運営組織
学長専断による「機動的」運営体制について
最終報告は、経営者専断体制の会社組織を「模倣」して、あらゆる権限を学長に集中し、学長が任命する副学長の補佐の下、学長の専断による「機動的」大学運営を目指すよう促している。
しかし、そもそも、私企業たる会社組織における運営体制が、いわば「国家百年の計」ともいわれる公教育を担う機関の組織形態として最も優れているという検証はなされていない。我々は、この点に強い疑問を持つものである。「最大限の利潤の追求」を目的として、頻繁に変わる消費者の動向にあわせ対応を適宜変えた方がよい営利企業の経営と、長期的視点で系統的かつ持続的教育・研究が求められる国立大学における運営体制が、同じでなければならないという提案には同意できない。
我々の懸念は単なる杞憂ではない。なぜなら、最終報告がモデルとしようとしている経営者専断体制による「機動的」経営を行ってきたはずの日本を代表する大企業のいくつもが、この間、チェック機能の欠如によって経営者の経営判断の誤りが正されないまま独走し、次々と破綻に追い込まれてきたという厳然たる事実が存在するからである。この事実は、経営者専断体制による運営の危険性を如実に表しているといえよう。いやしくも、国民の税金を大きな資源とする国立大学が、そうした経営者の独走による破綻を来たすようなことが、万が一にもあってはならないはずである。
また、教育・研究面では、時代の要請、流れにあわせて「機動的」に随時変更した方がよい分野もあることを否定はしないが、そうでない分野も少なからずあることも万人が認めるところである。たとえば、歴史的に日本人の思想形成に大きな影響を与えてきた仏教思想やその源流となったインド哲学、身近な疑問として誰しも抱く草花の名前や分類を扱う高等植物の分類学など、研究分野としては最先端とは必ずしもいえない、そして、それ故に華々しい成果の上がりにくい地道な学問分野でも、学術・文化の総合的発展のために不可欠な教育、研究分野もある。学長専断による機動的運営の名の下に、そうした分野が切り捨てられてしまっては、取り返しのつかない知的損失となる。
さらに、最終報告の諸提案は、根本的に大学法人の長たる学長は誤謬を犯さないものと見なす、いわば「学長無謬」「学長性善」の立場で、制度設計を行っている。しかしながら、我々は、全国の国立大学の学長の中には、現場の声に耳を貸さず、乱暴な独断と専横によって大学を無用の混乱に陥れ、教育と研究の停滞を招いただけという学長も、少なからずいたことを知っている。こうした意味で、最終報告の提案するように、学長がすべて任命する役員会と学長に極端に権限を集中することは、学長・役員会の歯止め無き暴走を招くことになると言わざるを得ない。
<対案>
・ 大学の基本方針を決定する権限を持つ役員会の構成メンバーである副学長は、学長が指名するとしても、少なくとも、評議会の承認を得る手続きを踏むべきである。
・ 全学的視野に立った意思決定と現場の意見を汲み上げる機能を担保するために、全学的自治の視点から、評議会を「大学の最高の意志決定機関」と位置づけるべきである。
・ 副学長などの役員に学外者を登用するかどうかは、法律で一律に強制することは行わず、大学の裁量とすべきである。
・ 副学長など役員として学外者を登用する場合は、必ず専任とすべきである。
・ たとえ専任として採用される副学長・役員であっても、それは、文部科学省などの中央省庁からの天下りであってはならない。公務員であったものは、退職後一定期間は大学役員として採用できないことを明確にすべきである。
学外者の役員への登用について
最終報告は、大学運営への学外者の参加を強く求めている。我々は、国立大学が独りよがりではなく、父兄、同窓生、地域、産業界など学外の声に謙虚に耳を傾け、これを大学運営の改善に反映させていくのは当然のことと考える。しかし、外部意見の聴取は、現在各大学にある運営諮問会議等を成熟させることで十分可能である。ことさら副学長などの役員に学外者の登用を義務づける必要性は感じられない。
また、最終報告では、「学外者」の定義を一切していないが、これが、学外出身者の登用という意味なのか、学外に所属・在籍する者の兼務なのかによって評価は大きく変わる。我々は、これからの国立大学の運営において、学内教職員の研修、能力開発に基づく適材適所の登用を前提とするならば、適宜、学外にも広く人材を求めること自体には反対しない。しかし、それによって登用されたものは、前者の定義のように、出身が学外であるということであって、採用後はあくまで大学専任でなければならない。後者のような、学外職務との兼務の形での学外者の参画は、「口は出すが結果責任はとらない」、あるいは、「役員職の兼職を辞することで責任をとる」という、まったくの無責任体制に道を開くものである。
<対案>
・ 副学長などの役員に学外者を登用するかどうかは、法律で一律に強制することは行わず、大学の裁量とすべきである。
・ 副学長など役員として学外者を登用する場合は、必ず専任とすべきである。
・ たとえ専任として採用される副学長・役員であっても、それは、文部科学省などの中央省庁からの天下りであってはならない。公務員であったものは、退職後一定期間は大学役員として採用できないことを明確にすべきである。
監事について
これまでに発足した独立行政法人においても、その他の特殊法人にしても監事は存在する。また、民間企業においても、監事に相当する監査役が置かれている。国立大学法人が、その自律性を発揮していくためには、第三者としての監事の役割は必要であると考えられる。
しかし、文部科学大臣任命の監事が、その「職責」と称して、あれこれと大学運営に口出しをすることとなれば、文部科学省による大学統制に道を開くことになり、大学の自主性の拡大という法人化の趣旨に逆行するものである。
<対案>
・ 監事は大学が推薦し、文部科学大臣が任命する。
運営協議会の性格について
最終報告は、また、大学法人の経営面に関する事項は、法人役員と非常勤学外者による運営協議会で、教学面と個別的教員人事に関する事項は、評議会で審議させるとしている。最終報告は、同時に、教学・経営間の方針の齟齬を回避するため、合同委員会などの調整機関において調整を図るとしている。
しかし、大学運営の最も根幹となる組織編成、人員配置など、教学面をも規制する事項が、運営協議会の審議事項としており、事実上は運営協議会の評議会にたいする優越を認めている。非常勤の学外者を中心とした運営協議会に大学運営の基本を委ねることは、学問の自由に基づく大学自治の原則に反するだけでなく、大学運営の責任を曖昧にするものである。
<対案>
・ 意見聴取機関としては、役員会の下におく諮問機関とすべきである。また、運営協議会をおくとしても、大学運営の基本方針の決定方法などに関しては、その具体的方法は大学に委ねるべきである。
2.2.目的・業務
業務のアウトソーシングについて
最終報告は、法人の業務として、別法人への出資や業務の外部委託を求めている。我々は、外部委託全般を一律に否定するものではない。しかし、大学業務の中心である学生教育や研究活動に直接携わる業務の外部委託は、共同作業による創造的研究活動の妨げとなり、学生への対応も全くの事務的なものにもなりかねず、責任ある学生教育ができなくなるおそれがある。
<対案>
・ すくなくとも大学の教育・研究に直接的に関わる本来の業務については、大学が責任を持って遂行すべきであり、外部委託はすべきでない。
教員の兼業について
最終報告は、教員の兼業を緩和することを求めている。しかし、兼業の安易な緩和は、研究組織、研究施設および研究成果の私物化を招き、重大なモラルハザードを引き起こしかねないことを指摘しなければならない。
これは例えば、医学部教員の製薬会社との兼業が許されればどのような事態になるか、考えてみるまでも無かろう。治験薬の臨床試験に絡む製薬会社と医師の癒着で、社会を騒がした事件など枚挙にいとまがないではないか。そのような危険性は医学系分野に限ったことではない。工学系分野でも、営利企業の職との兼業が安易に許されたならば、いわば大学の研究室が企業研究所の大学分室となり、大学研究室の人的・物的資源の特定企業による私物化を招くことになる。この場合、学生、院生は、特定企業の研究遂行のための労働力として使用されることになり、教育が著しく歪められる。実はこうした事態は、我々の危惧を越えて、いくつかの大学ですでに進行しつつある事実でもある。
<対案>
・ 教職員の兼業は、各大学評議会で厳格な兼業規則・基準を設け、個々の兼業は、その基準に従って厳格に審査しなければならない。
・ 個々の教職員の兼業実態は全面的に情報公開しなければならない。
3.人事制度
最終報告は、検討の視点として、「1.教員の多彩な活動を可能とする人事システムの弾力化」、「2.業績に対する厳正な評価システムの導入とインセンティブの付与」、「3.国際競争に対応しうる教員の多様性・流動性拡大と適任者の幅広い登用」の三点をあげている。
第一の視点に関しては、「弾力的で多様な人事制度の実現」が強調されるあまり、本来目指されるべき人事システムの基本的前提としての使用者、管理者による恣意的な人事管理の防止の観点、雇用・労働条件の安定や大学構成員間の信頼を基盤とする職務遂行の質的向上といった観点が軽視され、合理的根拠に欠ける「非公務員型」の選択という誤った主張を行うに至っている。
第二の視点からは、業績評価を厳密に行って、その結果を給与等の報酬に反映させれば、職員は一層の意欲をもって職務に取り組むであろうという仮定に立った文科省の労働観が示されている。しかし、大学の教職員が真摯に職務に励むのは、自分の給与に影響する業績評価の評点を上げたいからであろうか。むしろ私利私欲を離れた真理の探究、人類全体の福祉や、地域社会への貢献などこそが持続性のある真のインセンティブであろう。大学の職務の本質を見ない人事評価制度は、大学の職場を荒廃させるものとなる。
第三の視点に関し、最終報告は、「任期制・公募制の積極的導入のための実施方法の工夫等を中期計画の中で明確化」すると述べているが、これは「大学の教員等の任期に関する法律」が、選択的・限定的な任期制のみを条件付きで許容し、野放図な任期制の導入に歯止めをかけている法律の趣旨に反し、法に抵触するおそれすらある人事施策を、国立大学に強制するものであり、間違いである。
3.1.身分
教職員の身分については、「非公務員型」を採用するとしている。そのメリットとして、教職員の弾力的な雇用形態、給与体系、勤務時間体系、兼職・兼業の弾力的な運用など人事システムの弾力化が謳われている。しかし、かりに人事システムの弾力化が必要であるにしても、「公務員型」でも充分に対応できる事項であると考えられる。もし、「諸規制の大幅な緩和と大学の裁量の拡大」が国立大学法人における人事システムの無原則な自由化をもたらすのであれば、教育研究の本務をないがしろにしたり、職員の人事交流などに大きな障害となる弊害が大きいと言わねばならない。
また、最終報告は、法人化後の国立大学等について「国を設置者とする」としており、法人の名称も「国立大学法人」としている。これは独立行政法人通則法には存在しないものであり、学校教育法上も国を設置者とすることを考慮した結果だと考えられる。そうである以上、法制上も「公務員型」とするのが適当だと考えられる。しかも、現在の国立大学職員は公務員試験採用者であり、合理的理由を欠いた突然の身分変更はモラール(士気)の低下を招かざるを得ない。
さらに、「非公務員型」の採用は、教員に対する教育公務員特例法の適用がなくなることを意味する。教育公務員特例法は大学教員の特権のために存在するのではない。大学教員が行う学術研究の本質は、社会的責務の自覚と厳しい自己規律のもとに、既存の価値体系からの自由と批判精神にもとづいて新たな価値創造を行うことであり、その営為をになうためには、学問の自由と自治、その表裏一体のものとして、自律的に人事に責任をもつ教育公務員特例法が不可欠となる。「非公務員型」の採用と教育公務員特例法の不適用は、歴史のなかで確立された「学問の自由」と「大学の自治」を否定することにつながるのである。
<対案>
・ 国立大学法人制度における教職員の身分は、「国を設置者」とし、国民全体に責任を有する国立大学法人の性質に鑑み、国家公務員とすべきである。
・ 学術・研究の本質に根ざす学問の自由・大学の自治を法的に保障するため、教員については教育公務員特例法を適用すべきである。
・ 国立大学法人の成立の際、現に国立大学の職員である者は、定員外職員も含め、法人の成立の日において、法人の職員となるものとする。
3.2.選考・任免等
学長選考については、「学長選考委員会」(運営協議会及び評議会の代表者で構成)において、学長候補者を選考するとしており、学内の「意向聴取手続」を行う場合であっても、その参加対象を限定するなど学内構成員による選挙を形骸化させる意図が見られる。最終報告は、「大学における人事の自主性・自律性」について特に言及し、「憲法上保障されている学問の自由に由来する『大学の自治』の基本は、学長や教員の人事を大学自身が自主的・自律的に行うことである。」と述べているが、この考え方と全く矛盾する学長選考方法が提案されている。
また、これからの国立大学が「社会に開かれた大学」を目指すことや法人化に伴い、その社会的責務が増大することを理由として、学長選考過程において学内のほか社会(学外)の意見を反映させることが主張されている。具体的には、学長選考委員会(仮称)やその下に置かれる調査委員会に学外の有識者が含まれ、学外者の意見を学長選考過程に反映させるしくみが提案されている。しかし、これからの国立大学に決定的に重要な役割を演ずるであろう学長の適否に対し、学外者がいかなる責任を持ちうるのかはなはだ疑問である。かりに短期的な視野のもと、特定の利害関係や価値観に偏って学長が選考されたとしたら、そのことが及ぼす悪影響は甚大なものとなろう。
学長に権限が極端に集中していることと均衡を取るために、学長の解任手続きが重要である。最終報告では、「法人の長としての学長が不適任とされる場合には、一定の要件の下で文部科学大臣が、学長の選考を行った機関の審査等の手続きを経て解任できる。」とされているのみであり、学長解任要求の発議に関し、その発議を大学構成員が行うことができるのか否か、最終報告は全く触れていない。
役員等の選考・任免に関しては、副学長の任命、解任は学長が行い、監事の任命、解任は文部科学大臣が行い、学部長等の任免は学長が行うとされている。このように、学長に過度に人事権を集中させる大学組織のあり方は、専横的な学長によるトップダウン経営が行われた場合の損害を大きくするし、文部科学大臣が人事権をもつ監事の存在は、各大学が監事を通じて文部科学省に関与・統制される可能性を意味する。
<対案>
・ 学長の人事については、学問の自由と大学自治を保障するため、教育公務員特例法と現在の慣行(学長選挙制度)を維持することを基本とすべきである。
・ 学長が不適格であることを理由とする解任要求の発議が大学構成員全員に権利として保障されるべきである。
・ 役員(副学長)は、その候補者を学長が指名するとしても、その任免には評議会の承認を必要とすべきである。
・ 監事は、大学が推薦し、文部科学大臣が任命する。
・ 学部長等の選考に際しては、現行の教授会による選考手続きを維持すべきである。
3.3.給与
最終報告は、「各大学が定める給与基準においては、職員の潜在的な能力が十分に発揮されるよう、職員の業績を反映したインセンティブを付与する給与の部分が適切に織り込まれたものとすることが必要である。このため、各大学において、職務の性質を踏まえた個人の業績を評価するための制度を設ける。」としている。職員の潜在的な能力が発揮されることが望ましいことは言うまでもないことだが、それが給与・人事制度の改定により達成された例は民間企業経営においても多くはない。
大学の職場においては、その規模に比してきわめて多くの職務の種類があり、職務遂行に必要な能力要件もはなはだ多様であって、「職務の性質を踏まえた個人の業績を評価するための制度」を適切に設計し、運用していくことは決して容易ではなく、「民間的発想の経営手法」なるもので対処できる可能性は少ない。それにも関わらず、業績評価主義の給与・人事制度の改定に取り組むとしたら、そのための作業に莫大な費用が発生することを予想される。
また、最終報告は、「国際的に競争力のある多様な教員構成を実現するために、年俸制の導入など、多様な給与体系を可能とすべきである」と述べているが、「多様な給与体系」は、結局のところ、人件費総額の制約の中で、いかに格差をつけた給与配分を行うかでしかなく、人事・給与管理を煩瑣にする効果しかないと思われる。
<対案>
・ 給与制度は、大学教職員の身分と安定的な処遇を保障するもので、加えて、その職務上の責任の大きさを反映したものである必要がある。給与体系としては、大学教職員の専門性と生活保障を要件とする基準的給与と職務責任に見合った職責給を基本給とし、大学の教育研究の特性を踏まえた手当等を付加したできるだけ簡素な給与体系とすべきである。
3.4.人員管理
法人化により職員の定員が、従来の手法による定員管理の対象外となるものの、法人が自由に人員管理を決定できるわけではない。最終報告は、「国立大学評価委員会(仮称)における各大学の業績に対する評価に際しても、給与等の人件費総額が適切に管理されているかどうか、慎重かつ厳正な評価を行うことが必要である」と釘をさしている。詰まるところ、国立大学法人の人員管理は、公務員定員削減政策と連動して行われることが予想されるのであるが、こうした政策により、後継者補充や職員の専門職集団の養成などを困難にし、すそ野の広い学術研究を支える人的基盤が破壊されていくことが危惧される。
<対案>
・ 大学の教職員の人員管理に関連して、人員削減を事実上強制する大学評価を行うべきではない。
・ 学術研究の多様な発展を保障するため、大学に対する安定的な財政措置を行うべきである。
4.目標・評価
最終報告書は、検討の視点として「1.明確な理念・目標の設定による各大学の個性の伸張」、「2.第三者評価による教育研究の質の向上と競争的環境の醸成」、「3.目標、評価結果等の情報公開による説明責任の確保」の三点をあげている。
しかし、検討の視点1で述べられている「個性の伸張」は、豊富な基礎教育、教養教育の裏付けのもとに行われるべきものであり、いたずらに個性化を伸張することが教育にとって必ずしも良い方向とは限らない。このことは、大学の教養課程の廃止に伴う弊害の一つとして指摘され、いくつかの大学では教育システムの見直しが検討されていることなどにも顕れている。検討の視点2で述べられている「第三者による評価と競争的環境の醸成」についても、以後の「制度設計の方針」の中で、文科省内に置かれる国立大学評価委員会(仮称)を第三者評価機関と異なる特別な位置に置いている点で問題がある。すなわち、国立大学評価委員会(仮称)に、評価だけでなく、中期目標・中期計画の策定、運営交付金の配分にも関与させるしくみを示しており、大学の自律性を破壊するシステムを目指していると言わざるを得ない。
4.1.中期目標・中期計画について
最終報告では、中期目標の性格を、「各大学の基本理念や長期的な目標を実現するための一つのステップであり、一定期間内の達成目標である」と規定している。
そもそも、国立大学が高い自律性を有するためには、教育研究の目標及び計画は大学自らが自発的に設定していくことを基本としなければならない。しかるに、最終報告では、中期目標は、各大学から原案を提出し、文科大臣が定めることになっており、大学の自主性・自律性を認めているとは言い難い。こうした方式は少なくとも欧米諸国には見られない。最終報告には、「大学の教育研究の自主性・自律性を尊重する観点から、あらかじめ各大学が文科大臣に原案を提出するとともに、文科大臣が、この原案を十分に尊重し、また、大学の教育研究等の特性を配慮して定める」と記述され、またこの基本的スキームを担保するための方策として、「大学から文科大臣への事前の意見(原案)提出」や「文科大臣に対する大学の意見(原案)への配慮義務意」、「文科大臣に対する大学の教育研究等の特性への配慮義務」といった項目が挙げられているなど、大学の教育研究の自主性・自律性に対する一定の配慮を読み取ることができる。しかし、配慮義務はあくまで努力義務であって、大学の自主性・自律性を完全に認めたものとは言えない。
最終報告では、「文科省内に、独立行政法人評価委員会とは別に、国立大学評価委員会(仮称)を設け、同委員会が各国立大学法人(仮称)の評価を行う」としている。評価を行う機関が、行政組織の下に設置され、それが特別な機能をもつことはきわめて問題であるが、それに加えて、最終報告では、「文科大臣は、各大学の中期目標・中期計画について、あらかじめ文科省に置く国立大学評価委員会(仮称)の意見を聴かなければならない」、「国立大学評価委員会(仮称)は、各大学に対する運営交付金等の配分についても意見を述べる」とあり、国立大学評価委員会(仮称)は中期目標・中期計画の策定とこれらを前提とした評価の仕組み全般に関与していることになっている。このような組織の存在は、文科省による大学の教育研究の管理強化につながるものであり、容認できない。
諸外国では、政府の個別大学に対する直接関与をきわめて強く制限しており、この点から見ても、今回の最終報告は、異質のものといわざるを得ない。
<対案>
・ 大学の自主性・自律性を認め、中期目標及び中期計画を大学自らが自発的に設定することを基本とすべきである。
・ 中期目標及び中期計画を社会へ自発的に公開することを通して、国民に対して直接説明責任を果たすべきである。
・ 国は様式や項目などの指針(フォーマット)を示すのみとする。
4.2.評価について
最終報告では、評価の主体について、「国立大学法人(仮称)の特殊性および国立大学法人(仮称)全体の規模の大きさを踏まえ、より効率的・効果的な評価を実施するため、文科省内に、独立行政法人評価委員会とは別に、国立大学評価委員会(仮称)を設け、同委員会が国立大学法人(仮称)の評価を行う」としている。
これは、独立行政法人通則法において規定されている独立行政法人評価委員会を代替する組織として持ち込んだものであろうが、そもそも高等教育・研究に対する大学の果たすべき役割を考えると、独立行政法人通則法の範囲内で組織を規定することは不適切である。最終報告に示されたしくみは、文科省内に置かれる国立大学評価委員会(仮称)による運営交付金などに対する財政的誘導を通して、大学の自律性を破壊するものである。大学に対する評価の主体は社会であり、評価は社会によってなされることを基本とすべきである。
過去において、旧文部省は数々の誤った評価とそれにもとづいた施策を行ってきている。たとえば、過去における教育系大学あるいは教育系学部の新課程設置への誘導と現在の新課程廃止の誘導という矛盾した動き、過去における単科大学の増設と現在の大学統合再編という矛盾した動きなどである。文科省はこれらの誤りを反省することもなく、またこれらの誤りは大学自身が選択したことであるかのような責任回避の姿勢を貫いたまま、新たな誤りを犯そうとしている。こういう状況において、文科省が主体的な役割をもって評価を行う体制は、それ自体が公正に行われるのか、不適切、恣意的な評価が行われないか、はなはだ疑問である。
一方、評価自体について限界があることも指摘しておきたい。その時々に下した判断を後の世代において振り返ったとき、必ずしもそれが正しい判断であったと言えるとは限らない。仮に、ある時点において評価が低い研究でも最低限の教育研究を続けられるようにすることが、後の世代に対するリスク分散の方法として必要である。評価と資源配分の関係で言えば、資源配分は行政機関から独立した学問の奥深さと幅広さ、評価の限界をわきまえた見識豊かな第三者機関によりなされるべきである。
評価に関する作業量についても触れておきたい。現在でさえ、さまざまな局面で評価に関する資料作成などが頻繁に行われている。これに要する作業量は膨大であり、大学は疲弊している。現状から見て、それぞれの国立大学法人(仮称)により提出される評価のための資料は膨大となるであろう。この結果、評価の形骸化、すなわち報告書に記された数値のみにより評価が行われるという状態を招きかねない。このことは、現状における研究業績の評価などにおいて、弊害として指摘されている。この過ちを繰り返してはならないと我々は考える。
<対案>
・ 大学評価に際しては、自己点検・評価を基本としつつ、外部評価を行う場合は、文科省から独立した学問の奥深さと幅広さ、評価の限界をわきまえた見識豊かな第三者機関で行うべきである。
・ 大学への資源配分は、大学評価機関とは独立した機関で行うべきである。
・ 評価の主体は社会であり、自己点検・評価にもとづく情報公開により、社会から直接評価をうけるしくみとすべきである。
5.財務・会計制度
「最終報告」は財務・会計制度の検討の視点として、「1,教育研究等の第三者評価の結果等に基づく資源配分」「2,各大学独自の方針・工夫が活かせる財務システムの弾力化」「3,財務面における説明責任の遂行と社会的信頼性の確保」をあげている。
検討の視点で、提起されている重要な問題点については、後述するが、国の設置する大学が教育研究を行う以上、その財政の基本的仕組みが国の予算措置を原則とすることは当然の帰結である。しかも、その会計は、民間企業のように利益を追求することが目的ではないわけだから、教育研究の目的にてらして合理的な収支を描けるかどうかが主眼となる。
ただし、その場合、個々の会計のありようにとどまらず、国立大学法人の財政のありようを具体的に明示して議論することが前提であると考える。
つまり、教育研究経費の原資は、第一に、国の財政支出を少なくとも欧米諸国並みに充実させるところから出発すべきこと、第二に、国際的に見てすでに非常に高額となっている授業料、各種納付金・手数料等のさらなる値上げ等、「受益者負担」の強化という安易な方法に頼らないことが必要である。第三に、それら経費の配分にあたっては、文科省による評価と資源配分の直結という欧米諸国にもみられない政府の関与・統制の強化ではなく、教育研究活動の総合的な継承・発展という観点から、競争的資金とは別に、十分な基礎的・基盤的経費が、自動的に確保される仕組みを確立することもまた議論の前提である。
5.1.運営費交付金
「最終報告」は、運営費交付金について、「@ 学生数等客観的な指標に基づく各大学に共通の算定方式により算出された標準的な収入・支出額の差額(=標準運営費交付金)。
A 客観的な指標によることが困難な特定の教育研究施設の運営や事業の実施に当たっての所要額(=特定運営費交付金)」の合計とし、「運営費交付金には、競争的環境の醸成及び各大学の個性ある発展を促進する観点から、中期計画終了後の各大学に対する第三者評価の結果等を適切に反映させるものとし、その具体的方法や手続についてさらに検討する。」としている。
「標準運営費交付金」と「特定運営費交付金」の区分けは、なお明確ではないが、現在の制度に則していえば、標準運営費交付金は、基準的経費、特定運営費交付金は、重点的経費と考えられる。現在でも、基礎的基盤的経費を抑制・縮小し、重点的経費を拡充する方向にあるが、「行政改革」と当面の国際競争力強化の枠組みでの法人化となれば、さらにその方向が加速することを危惧する。それは、中・長期的視野が必要な基礎的教育研究基盤を弱め、ノーベル賞受賞者の野依氏や白川氏の研究のように、すそ野の広い総合的な教育研究基盤より生まれる世界水準の研究や人材育成の障害となることを憂慮する。
また、政府による評価と資源配分の直結は、その時々の国策に学術・研究が支配されることとなり、学問の普遍的総合的でバランスのある発展に反し、大学間の格差をさらに拡大することは明らかである。
<対案>
・ 運営費交付金について、「標準運営費交付金」の比重を厚くし、基本的な教育研究基盤を保障するべきである。
・ 運営費交付金の内、少なくとも「標準運営費交付金」については、基礎的基準的経費という性格をふまえ、評価結果を算定基準とすべきではない。
5.2.学生納付金について
「最終報告」は、「学生納付金については、教育の機会均等、優秀な人材の養成とあわせて、大学の自主性・自律性の向上等にも配慮する必要がある。したがって、運営費交付金算定への反映のさせ方に配慮しつつ、各大学共通の標準的な額を定めた上で、一定の納付金の額について、国がその範囲を示し、各大学がその範囲内で具体的な額を設定することとする。」としている。
国立大学の学生納付金は、長らく授業料と入学金が毎年交互に自動的に引き上げられる制度とされ、現在年間授業料は、496,800円、入学金は282,000円(2002年度)とされており、欧米諸国の大学授業料が実質的に無償であることと対照的に私学を含め高額であり、学生や家計を大きく圧迫し、憲法の保障する教育の機会均等原則に重大な影を落としている。
新たに学生納付金が一定の範囲と言いつつ、自由に決定されることになれば、@大学の財政基盤が不安定な中で、学生納付金の引き上げに誘導されやすいことA「少子化」の中での学生納付金の自由な決定と学生獲得競争は、地方大学の存立基盤を揺るがしかねないこと。B憲法の教育機会の均等原則に基づき、国立大学が、相対的に低い学生納付金と全国的な均衡ある大学配置により、教育の機会均等に果たしてきた役割が崩される危険性を有している。
<対案>
・ 国立大学の学生納付金について、憲法の保障する教育の機会均等原則に基づき、基本的に均一で少なくとも現行水準を維持・抑制するべきである。
・ 有利子化によらず奨学金制度の充実を図るべきである。
5.3.長期借入金について
「最終報告」は、「各大学における多様な財源確保の観点から、長期借入を行うことを可能とする。」とし、長期借入等を行うシステムとして、「移転整備及び附属病院整備に係る長期借入や不用財産処分収入の処理等を行うためのシステム(以下「システム」という。)を構築する(共同機関の設置等)。なお、その際、国立学校財務センターの活用を検討する。」とされている。
現在国立大学附属病院は、約1兆円の赤字を計上している。それは、国立大学病院の特性として高い重症度や難病の患者を積極的に受け入れ、高度な医療と研究教育を担うという他の病院にない機能を有していることに発している。この間の医学・医療の進歩は、こうした国立大学附属病院の役割に負う所が少なくない。しかし、附属病院のもつ借入金の償還は、大学と附属病院の安定的発展にとり、大きな負荷であり、医学・医療の質を低下させる懸念を持たざるを得ない。
<対案>
・ 現在、国立学校特別会計は、約1兆3000億円の借入金があるが、国立大学附属病院等のもつ借入金について、全額を法人の償還負担とせず、一定の国の補助を行う等大学附属病院の機能低下を起こさせない措置をとるべきである。
参
考
資
料
「国立大学法人」会計基準 同注解試案 について 論点と対案
全大教委嘱公認会計士 坂根
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章等 |
規定内容等 |
課題・対案等 |
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第1章 |
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注1-2 |
・・・・業績評価が適正に行わなければな |
業績とは何か。最初に業績評価ありきではないのか。適正な事後 |
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らない。 |
チェックのためには、予算管理責任と予算差違の説明責任とその |
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評価が必要かつ重要ではないのか。従来の会計検査院監査はどの |
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ように評価されてきたのか。 |
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注1-3 |
説明責任の観点と適正な業績評価の観 |
財政状態及び運営状況のみが説明責任対象ではないはずである。 |
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点から、・・・・真実な報告を提供・・・ |
会計の説明責任は会計数値で表現されうる対象部分のみであり、 |
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金額的評価が余りにも重視され、そうでない部分が軽視される危 |
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険が大である。 |
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注3-1.2 |
国立大学法人業務実施コスト計算書 |
社会的、経済的資源配分とその社会的・経済的コスト計算は、一 |
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部の国立大学分野等で行うことは適切妥当ではなく、国家予算な |
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いし国家の業務全般にわたって実施すべきである。 |
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帳簿によらないで行うコスト計算を含むことは、各々の国立大学 |
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法人での比較可能性や相互検証性を損ねる恐れが大であり、実務 |
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の進展醸成を見極めつつ検討すべきである。 |
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注6-1 |
公共的な性格を有し、利益の獲得を目 |
当該前提等はその通りであり、とすれば何故に「損益計算」とな |
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的とせず、独立採算性を前提としない |
るのか明解ではない。収支計算による収支差額計算そして予算対 |
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国立大学法人においては・・・・ |
比での管理が中心となってしかるべきと考える。 |
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第24 |
国立大学法人業務実施コストに属する |
損益計算書から運営費交付金に基づく収益以外の収益を控除した |
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もの |
額、をそのコストというとされるが、他の事業活動をすればする |
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ほど或いは当該事業収益が拡大すればするほど、当該コストが低 |
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下することとなり、合理的ではない。除外する収益に対応する費 |
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用をも損益計算から除外しなければ不合理と言える。[?] |
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第35 |
セグメント情報 |
事業別、学部別、学科別等のセグメント情報の統一的開示を要求 |
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しているが、それぞれの国立大学法人での歴史や状況が相当に相 |
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違する。一律的情報開示は好ましくないし、本部費の配布、借入 |
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金コストの配分、講座や担当教授等の互換性等々セグメント別会 |
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計情報の作成には難問がつきまとっている。実践の醸成を待つべ |
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きである。 |
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第66 |
経営努力認定の考え方 |
「運営費交付金の収益以外の収益から生じた利益」を如何に算定 |
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するのであろうか、疑問と言える。如何なる事業も大学施設や役 |
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職員が関わっており、目に見えない共通的費用も無数に存在する。 |
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章等 |
規定内容等 |
課題・対案等 |
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これらのことを前提としてどのように当該利益を算定するの |
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か、難問であり、そもそもそのような利益区分をしようとすると |
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ころに矛盾の原点がある。本法律等の「動機付け」「誘導的」仕 |
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組みであるが、その矛盾は容易に解決されない。 |
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運営費交付金から生じた利益、という概念にも共通する課題で |
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ある。そのような整理こそが課題である。 |
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第68 |
国立大学法人業務実施コスト |
例えば国立大学法人相互で教職員らが転籍したときは、その退職 |
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金費用は過年度分を含めてどのような記載をするのか、国有財産 |
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の無償使用コストは敏感な市場賃借コスト連動となるのか、施設 |
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や立地の選択の余地のないスタート段階で都市部の法人では莫大 |
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なコスト負担計算となるが、その責めは当該国立大学法人には存 |
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するものではない。 |
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同時に政府出資コストは、巨額の現物出資金額に一定の金利利 |
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率を賦課する算定となりうるが、それも本来国家の負担すべきこ |
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とであり、個々の国立大学法人の負担すべきものではない。政府 |
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は、将来一部の「業績の良い」国立大学法人出資を、市場で売却 |
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(証券市場上場)でもしようと考えているのであろうか。 |
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第73 |
運営費交付金の収益化 |
時の経過での収益化を謳っているが、各国立大学法人の自主性に |
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任せるべきである。最終的には中期計画との整合性の検証がある |
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のであり、予定外の運営費支出や懸命の節約努力等々を含めて各 |
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々の国立大学法人の判断とし、むしろ中期計画予算の枠残額の記 |
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載等を求めるべきであろう。単年度の収支差額(利益)の極大化 |
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を求めているわけではないと思量される。 |
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同時に「お金」には色がないのに、運営費交付金からの支出 |
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か、それとも別財源からの支出か区分は困難である。にもかかわ |
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らず当該区分を要求し、収益化金額を左右させるのははなはだ合 |
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理的ではない。 |
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第74 |
施設費交付金 |
一の施設に改築・改良等を施した場合はどのように考えるべきな |
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のであろうか。予め全てが予測し得れば、修繕費的な支出は運営 |
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費からの予算となり、資産取得的なものは施設費交付金として申 |
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請することとなろうが全てがそうはいかない。いずれかの区分処 |
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理次第でその後の展開が相違するのである。節約と理解するのか |
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経営努力と理解するのか、減価償却や資金回収計算にも影響を及 |
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ぼす。そもそも資金の源泉とその表現方法の矛盾である。 |
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なお付属病院の減価償却資産については損益計算書に計上し資金 |
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回収を図るものとされている。医学部施設と病院施設が混在して |
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存在する場合はどうするのか、全学のネットシステムなどについ |
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ても附属病院相当分を割り出して減価償却費計上をすることとな |
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るのか、その修繕費もまた配賦計算等をすることとなるのか。い |
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ずれにしてもそれぞれごとに区分しようとするところに無理があ |
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る。丼勘定や不透明さは排除されべきであるが、会計慣行の実践 |
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の醸成をみつつ、規定等の整備を図るべき点は全ての規定に共通 |
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する課題ではないか。 |
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以上の他、次の点は基本的な事柄であり、会計上もその流れでの定めとなっているが、大学と教育の自治と自主性等の観点から、重要かつ基本的な課題と認識される。
1.国庫負担と自主事業財源を混載する損益計算書
国庫負担とする人員費用その他の運営経費は、それのみで収支と財産を管理すべきであり、その柱は予算とすべきである。利益または損失で大学評価が行われてはならない。
別事業については、それ自身を別法人化すればよいと考える。
2.授業料の格差
都市部の一部の国立大学と地方の国立大学では、授業料等の格差を認めればそれがより拡大し、広くそれぞれの地域に根ざした大学教育を損益具合から変更させうる危険性がある。
しかも損益の度合いによって、職員らの労働条件に差がつくこととなれば尚更と言える。
3.附属病院の意義
附属病院の存在は、システムへの共同的資金弁済が想定されているほか、病院施設も損益計算書減価償却費計算対象とされている。しかし、医療の診療報酬体系が或いは報酬単価が切り下げられている中で、高度の特定医療活動を担うべき国立大学附属病院で施設費の投下資本の資金回収計算をし、なおかつ他の附属病院の建設資金借入金の弁済をもするということは、もとより区分けをすること自身が矛盾であることを物語っている。診療報酬が低下し医療機関経営は極めて困難になりつつある今日で現状のような国立大学附属病院の取扱が妥当か深く検証すべきである。
4.中期計画
6年間の中期計画は極めて重要である。承認申請する国立大学法人も承認する文部科学大臣も、或いは年度ごとに監査をする監査法人や会計士らも全てその業務指針となりうる点で超重要である。しかも、経営努力、運営交付金以外の事業収益活動、授業料格差、減価償却費と回収資金の多寡等々、同一のようで同一ではない各国立大学法人の経営実態なるものを合理的に描く会計基準は、全体として案で推移させ、実践状況枝の醸成等を待って決定すべきと思量する。
「新しい『国立大学法人』像について」に対する
私たちの意見と対案(第1次案)
対案一覧
2002年8月
全国大学高専教職員組合中央執行委員会
1.基本的な考え方
1.1.検討の前提
(1)「改革の推進」について
・ 大学の活性化と教育研究の高度化のためには、大学の自己決定権を充実させるべきである。
・ 大学の活性化と教育研究の高度化のためには、研究の各分野、教育の分野、運営の分野等についての性質の違いを視野に入れて、細かく配慮すべきである。
(2)「国立大学の使命」について
・ 国立大学には、学術研究の中核を担う責任がある。
・ 国立大学には、よりよい社会の創造を担う冷静で知的な人間を育てる責任がある。
・ 国立大学を全国にあまねく配置することによって、それぞれの地域社会の学術・文化を育てなければならない。
・ 国は、文化的な社会を築くため、大学を含めた高等教育の予算を充実させるべきである。
(3)「自主性・自律性」について
・ 自治、同僚間の協同および適切な学術的リーダーシップは、高等教育機関にとって有意味な自律性に不可欠な構成要素である(ユネスコ「高等教育教育職員の地位に関する勧告」21)。
・ 政府は、いかなる方面からも大学の研究教育・運営に干渉してはならない。
・ 学長・教職員の身分は最大限保証されなくてはならず、それへの政府の干渉は許されない。
1.2.検討の視点
(1)「個性豊かな大学づくりと国際競争力のある教育研究の展開」について
・ すべての国立大学は、国の内外に誇れる教育研究を行わなければならない。
・ すべての国立大学は、地域社会の文化拠点としての機能を充実させなければならない。
(2)「国民や社会への説明責任と競争原理の導入」について
・ 大学は教育研究およびその他について、社会に最大限情報公開する。
・ 大学評価は、公開された情報をもとに大学自らならびに社会が自発的に行うものでなければならず、政府はそれに直接関与してはならない。
・ 大学への資源配分は、大学評価とは独立になされねばならない。
・ 評価にかかわる業務の過多によって、大学の本来業務である研究教育活動が阻害されてはならない。
(3)「経営責任の明確化による機動的・戦略的な大学運営の実現」について
・ 大学は情報公開をもとに民主的に運営されなければならない。
・ いかなる運営組織を採用するかは、最大限大学の自主的決定にまかされるべきである。
2.組織業務
2.1.運営組織
・ 大学の基本方針を決定する権限を持つ役員会の構成メンバーである副学長は、学長が指名するとしても、少なくとも、評議会の承認を得る手続きを踏むべきである。
・ 全学的視野に立った意思決定と現場の意見を汲み上げる機能を担保するために、全学的自治の視点から、評議会を「大学の最高の意志決定機関」と位置づけるべきである。
・ 副学長などの役員に学外者を登用するかどうかは、法律で一律に強制することは行わず、大学の裁量とすべきである。
・ 副学長など役員として学外者を登用する場合は、必ず専任とすべきである。
・ たとえ専任として採用される副学長・役員であっても、それは、文部科学省などの中央省庁からの天下りであってはならない。公務員であったものは、退職後一定期間は大学役員として採用できないことを明確にすべきである。
・ 副学長などの役員に学外者を登用するかどうかは、法律で一律に強制することは行わず、大学の裁量とすべきである。
・ 副学長など役員として学外者を登用する場合は、必ず専任とすべきである。
・ たとえ専任として採用される副学長・役員であっても、それは、文部科学省などの中央省庁からの天下りであってはならない。公務員であったものは、退職後一定期間は大学役員として採用できないことを明確にすべきである。
・ 意見聴取機関としての運営協議会は、役員会の下におく諮問機関とすべきである。また、運営協議会をおくとしても、大学運営の基本方針の決定方法などに関しては、その具体的方法は大学に委ねるべきである。
2.2.目的・業務
・ すくなくとも大学の教育・研究に直接的に関わる本来の業務については、大学が責任を持って遂行すべきであり、外部委託はすべきでない。
・ 教職員の兼業は、各大学評議会で厳格な兼業規則・基準を設け、個々の兼業は、その基準に従って厳格に審査しなければならない。
・ 個々の教職員の兼業実態は全面的に情報公開しなければならない。
3.人事制度
3.1.身分
・ 国立大学法人制度における教職員の身分は、「国を設置者」とし、国民全体に責任を有する国立大学法人の性質に鑑み、国家公務員とすべきである。
・ 学術・研究の本質に根ざす学問の自由・大学の自治を法的に保障するため、教員については教育公務員特例法を適用すべきである。
・ 国立大学法人の成立の際、現に国立大学の職員である者は、定員外職員も含め、法人の成立の日において、法人の職員となるものとする。
3.2.選考・任免等
・ 学長の人事については、学問の自由と大学自治を保障するため、教育公務員特例法と現在の慣行(学長選挙制度)を維持することを基本とすべきである。
・ 学長が不適格であることを理由とする解任要求の発議が大学構成員全員に権利として保障されるべきである。
・ 役員(副学長)は、その候補者を学長が指名するとしても、その任免には評議会の承認を必要とすべきである。
・ 監事は、大学が推薦し、文部科学大臣が任命する。
・ 学部長等の選考に際しては、現行の教授会による選考手続きを維持すべきである。
3.3.給与
・ 給与制度は、大学教職員の身分と安定的な処遇を保障するもので、加えて、その職務上の責任の大きさを反映したものである必要がある。給与体系としては、大学教職員の専門性と生活保障を要件とする基準的給与と職務責任に見合った職責給を基本給とし、大学の教育研究の特性を踏まえた手当等を付加したできるだけ簡素な給与体系とすべきである。
3.4.人員管理
・ 大学の教職員の人員管理に関連して、人員削減を事実上強制する大学評価を行うべきではない。
・ 学術研究の多様な発展を保障するため、大学に対する安定的な財政措置を行うべきである。
4.目標・評価
4.1.中期目標・中期計画について
・ 大学の自主性・自律性を認め、中期目標及び中期計画を大学自らが自発的に設定することを基本とすべきである。
・ 中期目標及び中期計画を社会へ自発的に公開することを通して、国民に対して直接説明責任を果たすべきである。
・ 国は様式や項目などの指針(フォーマット)を示すのみとする。
4.2.評価について
・ 大学評価に際しては、自己点検・評価を基本としつつ、外部評価を行う場合は、文科省から独立した学問の奥深さと幅広さ、評価の限界をわきまえた見識豊かな第三者機関で行うべきである。
・ 大学への資源配分は、大学評価機関とは独立した機関で行うべきである。
・ 評価の主体は社会であり、自己点検・評価にもとづく情報公開により、社会から直接評価をうけるしくみとすべきである。
5.財務・会計制度
5.1.運営費交付金
・ 運営費交付金について、「標準運営費交付金」の比重を厚くし、基本的な教育研究基盤を保障するべきである。
・ 運営費交付金の内、少なくとも「標準運営費交付金」については、基礎的基準的経費という性格をふまえ、評価結果を算定基準とすべきではない。
5.2.学生納付金について
・ 国立大学の学生納付金について、憲法の保障する教育の機会均等原則に基づき、基本的に均一で少なくとも現行水準を維持・抑制するべきである。
・ 有利子化によらず奨学金制度の充実を図るべきである。
5.3.長期借入金について
・ 現在、国立学校特別会計は、約1兆3000億円の借入金があるが、国立大学附属病院等のもつ借入金について、全額を法人の償還負担とせず、一定の国の補助を行う等大学附属病院の機能低下を起こさせない措置をとるべきである。