家族介護神話
−高齢者介護と家族機能−
 
まえがき
T 「介護」とは何か
U 日本社会における高齢者介護の現状
V 社会学説にみる家族機能
W 高齢者の生活の変化
X 社会福祉学説にみる家族機能
Y 法学説にみる家族機能
あとがき
 

まえがき
 「核家族の増大による三世代同居率の低下、女性の社会進出、国民の扶養意識の変化による家庭の介護力の低下」 日本の高齢化の現状が語られるとき、このような表現が頻繁に用いられる。このとき「高齢者の介護は、昔は家族の内部でおこなわれていたのに、家族の機能が変化したために、現在の家族では高齢者の介護がうまく遂行されなくなってきた」ということが、暗に語られているように思われる。
 しかし本当に、日本において昔から「高齢者の介護は家庭内で、その家族によっておこなわれてきた」のだろうか。現在の高齢者介護の問題は、「最近の若い人は親の面倒をみたがらなくなったから」とか「女性が家庭内の役割を果たさなくなったから」というような、家族の変容によって顕在化してきたものなのだろうか。
 本稿では、このような「昔から高齢者、すなわち老親の世話は家族内部で処理されていた」という「家族介護神話」に焦点をあて、家族機能と高齢者介護について整理してみたい。
 
T 「介護」とは何か
 まず、「高齢者の介護」という言葉が頻繁に使われるようになったのは、いつごろからだろうか。ちなみに『広辞苑』では、1983年の第三版までには「介護」という見出し語はなく、1991年の第四版から掲載されている。つまり、「介護」という行為がおこなわれるようになったこと、同時に「高齢者を介護する」ということ自体、われわれの歴史において、比較的新しい出来事だと推測することができる。
 現在、総務庁などがおこなっている高齢者関連の調査では、「世話」「看護」「介護」「介助」「援助」など、さまざまな言葉が用いられている。考察に入る前に、ここで概念整理をしておきたい。
 日本における高齢者の福祉に関する基本理念とそのサービスの実施について規定している老人福祉法では、「身体上又は精神上の障害があるために日常生活を営むのに支障があるものにつき(中略)入浴、排せつ、食事等の介護」という表現を用いている*1。また、新しい福祉の専門職として注目されている介護福祉士の業務についての「社会福祉士及び介護福祉士法」での規定においても、「介護」の内容として、ほぼ同様の記述がみられる。このように「介護」とは、身体や精神などにおける何らかの機能障害があるために、日常生活動作に支障がある場合に、その動作の手助けとしての「介助」を含んだ身の回りの「世話」をすること、と考えることができる。
 また近年、増加傾向の顕著な「住民参加型在宅福祉サービス団体」や「シルバービジネス」など、ホームヘルプサービスをおこなっている団体のサービス体系においても、サービス内容を「身体介護」と「家事援助」とに区別して、価格を設定しているところが多く見られる*2。「ホームヘルプサービス事業運営要綱」によると、「身体介護」とは食事・排泄・衣類着脱・入浴・清拭・洗髪・通院等の介助を意味し、一方、「家事援助」とは調理・衣類の洗濯・補修・掃除・整理整頓・買物・関係機関等との連絡などを指すとされている。
 このように、「介護」と「家事援助」という言葉は、徐々に区別して使われるようにはなってきている。しかしそれだけに、ただ「世話」という言葉が使われるときには、そこで実際に何が問題とされ、何が語られているのかということへの注意が必要になる。そもそも「世話」というのは日常生活においても広く使われている汎用的な概念であり、ただ「高齢者の世話をする」というだけでは、その状況を正確に把握することはできない。「世話」という言葉が使われるときには、それが「金銭的援助」をさすのか、「機能障害があるための身体的な介護」をさすのか、それとも「特別な機能障害はないけれど、食事の支度や洗濯など、生活にかかわる部分を援助すること」をさすのかなどを、はっきりさせなければならない*3
 それでは、これらの概念整理を踏まえて、高齢者の生活に関する統計を見てみる。現在の日本において、誰が実際に高齢者の日々の生活にかかわり、その手助けをしているのか。
 
U 日本社会における高齢者介護の現状
 一口に「高齢者との同居」といっても、家庭内での家族員同志の関係や各自が担っている家庭での役割はそれこそ千差万別である。「要介護の高齢者」や「寝たきりの高齢者」に対する介護者は誰で、どれくらいの人が家庭内で介護をおこなっているのか、という統計は出ているが、介護とは言えない程度の高齢者の日常生活の援助*4をどれほどの人がどのようにおこなっているのか、という統計は出てこない*5。ここではとりあえず、高齢者の「介護」のみに焦点をあてる。
 厚生省大臣官房統計情報部の「国民生活基礎調査」*6によると、1995年で寝たきりの高齢者のいる世帯は282.000世帯で、そのうち22.3%が核家族世帯(夫婦のみ世帯・夫婦と未婚子世帯・片親と未婚子世帯)、48.4%が三世代世帯である。また寝たきりだけでなく、要介護高齢者のいる世帯をみてみると、848.000世帯で、そのうち26.1%が核家族世帯、45.5%が三世代世帯となっている。この数字を見ても、現在の日本における高齢者の介護が、いかに家庭内でおこなわれているのかということがわかる。
 同機関による「人口動態社会経済面調査」によると、高齢者(65歳以上の死亡者)の主な介護者として、世帯員が66.8%、世帯員以外の親族が5.5%、病院・診療所の職員が16.4%、その他となっており、なかでも、世帯員と世帯員以外とを合わせた「親族」に着目して、その被介護者との続柄を見てみると、妻が31.6%、嫁(長男の妻)が27.6%、娘が20.0%(内、長女15.5%)、夫が5.0%、息子が5.6%(内、長男が4.4%)である。これらから、高齢者の介護は家庭内で、それもほとんどが女性によって担われているという現状が明らかになる。
 
V 社会学説にみる家族機能
 では、このような家庭内における高齢者の介護というのは、本稿の冒頭で「家族介護神話」として取り上げたように、昔から家族の機能としておこなわれてきたものなのだろうか。
 近代以降の家族機能の変容について、社会学ではよく「それまで家庭内で担われていた多くの機能は、近代化の過程において、家族外の専門集団によって担われるようになってきた」と説明される。家族員にとって遂行されることが必要で、そこで専門的技術を要するような機能(医療・教育)と、専門的知識や技術を要するというよりも、家族が生活を維持していくなかで必要になってきた機能(家族員が子どもの面倒をみることができない場合にかわりに子どもをあずかってくれる託児所のような施設)、という二つが独立した機能集団として、家庭の外に職業分野を作り上げてきた、という訳である。
 このような視点にたつとき、高齢者の介護に関して、われわれはそれまで家庭内でおこなわれていたものが、後者の場合のように、家族内部にその役目を果たす能力が低下したために、家庭外に別の職業集団を作らなければならなくなった、というように考えられがちである。しかし、この社会学的思考は高齢者介護問題に関しては、そのまま適応することはできない。それどころか、このような視点に立つことは、高齢者介護と家族機能の関係を見誤る結果にもつながっている。
 最近では「介護の社会化」という言葉が、あたかも時代の流れにそった変革を求めるスローガンのように叫ばれている。しかし、この言葉が持つ「家庭から家庭外へ」、つまり「私的責任から公的責任へ」とか、「家族内での介護から地域によって支える介護へ」という構図が示しているのは、「もともとは家庭内でおこなわれていた高齢者介護」というイメージである。この家族介護神話が見え隠れするかぎり、高齢者の介護を家庭内で賄えない「家族」自身が感じる「後ろめたさ」や、世間の側(これが主たる介護者ではない親類だったりすることが多いのだが)からの「非難」、というものはなくならない。
 問題の所在はここにある。高齢者介護の問題は、近代化の過程において、家族が家族外に任せるようになってきたさまざまな機能とは根本的に異なるものである。
 
W 高齢者の生活の変化
 『遠野物語』の111話には、ある地域において昔は60歳を超えた高齢者はすべて、それまで暮らした家を離れて、決められた場所において共同生活をする習わしがあった、という記述がある*7。これは、今なお日本各地に残る「姥捨山」の民話に通じるものがあるだろう。また、デュルケムの『自殺論』のなかにも、いくつもの国において、高齢になった者にみずからの命を断つという社会的圧力がかけられていた時代があったという事例が紹介されている。これらの高齢者は、社会の要請にしたがい、自分個人よりも共同体の利益を優先さるというかたちで、みずからの人生の終止符を打っていたのである。
 しかし、このような高齢者の老後の姿は、何も何百年も前の昔話のなかだけのことではない。岡本祐三はその著書『高齢者医療と福祉』のなかで、日本が戦後の高度成長期を迎える以前の典型的な農村地帯における高齢者の生活を取り上げている。米所として知られているある地方では、布団を出ることができなくなった高齢者には、その枕もとにおにぎりと水を置いて、朝、他の家族員は一家総出で田んぼに出かけてしまう。ここでも、高齢者個人の利益より家族全体としての利益を増大させるための生産活動の方が優先されていたのである。そして、さらに高齢者がひとりでは食事もとることができなくなったときの様子を郷土歴史研究家は次のように語っている。「もう『終り』というのが皆の了解でした。そうなると食べ物も水も与えないようにして、要するに苦しませないように死期を早めた。老人もそうなると覚悟を決めて、そういう扱いを黙って受け入れた。だから何年も床につくなどということはなかった。まして5〜10年寝たままなんてことはあり得ない。なにしろ免許を持った医者は遠くにしかいないんです」*8
 これらのことから、「高齢者を介護する」という行為自体、比較的新しい状況であるということが明らかになる。デュルケムの考えによるならば、現在見られるような「高齢者の介護」という現象は、近代以降、人間が「個人の尊厳」を獲得したことに付随するものである。それは、正確に言うと、「個人の」というよりも「人間なるもの(人間性)の」尊厳という認識の誕生に他ならない。万人は、等しく「生きる権利」を持つ。そして、それを支える義務を社会は負うのである*9
 またこれとあわせて、医療技術の進歩などによる平均寿命の伸びに伴う、ライフサイクルの変化というものを忘れてはならない。日本では、今からつい60年程前には「人生50年」という言葉があたりまえに流通していた。ところが、1994年の平均寿命をみてみると、男子76.57歳、女子82.98歳という、世界でも有数の長寿国に数えられるようになった。以下に、1920年と1991年という時点での個人のライフサイクルを、夫と妻のそれぞれでつなぎ、家族周期(ファミリーライフサイクル)として比較したものを示す*10
 
(原文では図表掲載)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 これを、「子どもと親との関り」という視点でみてみると、1920年には長子が父親と死別するのは33.7歳、母親とは37.9歳。これでは、「親孝行、したいときには親は無し」という言われ方がまさにぴったりくる。ところが、1991年では、長子が父親と死別するのは47.3歳、母親とは55.4歳である。平均値で算定しただけでも、この差は大きい。現代における「親孝行」は、大正期のように「苦労をして育ててくれた親の恩に報いて、少しでも生活の楽をさせてあげること」という意味を変え、「高齢になり身体の自由が効かなくなった親に対して、育ててもらったお返しとして、今度は子どもの側が親の身体的な介護をおこなうこと」になってきた。
 これは、「金銭的扶養・金銭的援助」から「身体的介護」へという変化である。しかし、このような内容の違いを不可視のものとし、「親孝行」とか「子どもの義務」という言葉によって、明らかに異なる内容の行為が同一線上で語られ、現代まで受け継がれてきた背景には何があるのだろうか。次に、社会福祉政策として日本政府がとってきた立場を明らかにする。
 
X 社会福祉学説にみる家族機能
 日本における、高齢者福祉政策と家族役割との関係を考えるとき、それを端的に表わすものとして「日本型福祉国家」という言葉をおさえない訳にはいかない。
 1963年に「老人福祉法」が施行され、それまで高齢化に伴う労働力低下からくる貧困化という側面からの対応しかなされていなかった高齢者について、生活困窮者としてだけではなく、心身の健康の保持や生活の安定など高齢者特有の問題に対応していこうという目標が初めて本格的に掲げられた。そして、「福祉元年」と呼ばれた1973年には、老人医療無料化制度を始めるなど、高齢者への医療面における社会的対応が整備された。しかし、同年のオイルショックをきかっけに、日本は深刻な経済停滞期を迎えることとなり、このような高齢者への金銭援助にたいして、「ばらまき福祉」であるという批判が表明されることになった。さらに、この批判は財政再建を訴える声となり、「福祉見直し論」として高まりを見せる。1970年代後半、政府はそれまで目標としてきた西欧型福祉国家モデルを廃し、日本の「古来からの醇風美俗」を基盤とした独自の福祉観、つまり「日本型福祉」を提唱することになる。そこでは、高い日本の三世代同居率を「日本のよさであり強み」とし、「福祉の含み資産」として位置づけることによって、「家庭機能の見直しと強化」を基盤とした「自助」と「社会連帯」とを基本とするシステムへの切り替えが目指されていた。この政策において、「家族機能としての高齢者介護」という新たな役割が家族に期待され、「親孝行=同居=身体介護」という図式が確立・強化されることになった。「日本型福祉」政策は、「小さな政府に見合った社会福祉の公的責任範囲の圧縮」を意図したもので、これは1980年代に推し進められた「臨調行革」路線を貫いていた福祉観である。
 このような「家族機能としての高齢者介護」を基盤とした、独特の福祉観が喚起されるなか、公的な高齢者福祉対策としての社会的な高齢者介護体制の整備は遅れたままにされていた。しかしその間にも、日本の高齢化率は他国に例を見ない程の速さで上昇を続けており、社会的な手立てがない状態で、次々と要介護状態になってゆく高齢者に直面した家族たちは、まさしくみずからの力で介護の担い手になってゆくより他に方法もなかった。そして、それが「嫁として・配偶者として・子としてのあたりまえの勤め」とされていたのである。
 しかし、家族内介護の果ての悲惨な事件や、「寝かせきり老人」の大量発生という高齢者のおかれている現状、また、「社会的入院」といわれるような医療費を使った高齢者の長期入院の実態などがマスコミによって次々と報告されるようになった1980年代に入ってようやく、医療ではない福祉の領域として、高齢者介護問題に注目が集まるようになり、1989年には在宅福祉サービスの強化をうたった「ゴールドプラン」が施行されるに至る。
 急激な高齢化という、大きな社会の変化が訪れる前の、まさに準備段階の好機に、政府がその政策として高齢者の介護を家族内の問題であるとして、私的領域に押し込めていた責任は大きい、と言わざるを得ない。急速な高齢化の波を迎え撃つのではなく、同時進行的に対処せざるをえなくなった混乱が、今の日本の現状にあらわれている。しかし重要なのは、公的介護保険構想にもつながっている「高齢者の在宅での介護を支える」という考え方の背景である。そこに、家族による在宅での高齢者介護を基盤とし、その家族介護を支えるものとして介護サービスをおこなう、という考え方があるならば、むしろ在宅福祉サービスの強化は、家族介護強化につながるものと理解できる。これでは、「日本型福祉」路線と何ら変わるものではない。そうではなく、「家族の手による介護」そのものを想定せずとも、高齢者が在宅で生活を営めるような体制づくり、これを目指していかなくては意味がないのである。公的介護保険構想においても「家族介護力」をあるものとして想定しているという事実がある以上、まだこの先しばらくのあいだ、家族はその介護機能を期待され続けることになるのだろう。それは、みずからの「義務感」であったり、周囲からの、ときには高齢者本人からの「当然だ」という期待であったりする。
 
Y 法学説にみる家族機能
 しばしば「子どもが親の面倒を見るのは当然の義務である」と言われるのを耳にする。確かに現行の民法第877条には「直系血族及び兄弟姉妹は、互に扶養をする義務がある」という項目があり、親子の間には「扶養義務」というものが存在する。となると、やはり子どもが高齢になった親の介護をするのは、法律で定められた当然の義務なのであろうか。われわれが感じてしまう親の老後の生活に関する責任感や、周囲からの期待は、この法律の存在が示すように疑問の余地のないものなのか。まずは民法上で定められている「扶養」概念の整理から始めたい。「扶養をする義務」とは、具体的にどのような事柄をおこなうことだと解釈されているのだろうか。
 扶養に関する法解釈を検討する上で優勢な扶養観とされているものに、中川善之助氏による扶養義務二分論がある。そこでは、民法では具体的に規定されていない「扶養義務」の内容として、「生活保持義務」と「生活扶助義務」という二つの性質の異なる扶養が想定されている。「生活保持義務」は、@親の未成熟子にたいする、または夫婦間の扶養のように、扶養をなすことがその身分関係の本質的不可欠要素であり、A扶養の程度は義務者が権利者に自己と同程度の生活をさせる必要があり、Bその基盤は一体的な生活共同があるところの扶養義務である。それにたいして「生活扶助義務」とは、@扶養することが偶然的・例外的現象であり、生活保持義務関係以外の親族間の扶養のように、扶養がなくともその身分関係が成立し、A扶養の程度は権利者が生活に困窮したとき、義務者が自己の地位相応な生活を犠牲にすることなしに給与しうる生活必要費だけでいい扶養義務とされている*11。ここからわかるように、扶養義務のなかでも、夫婦間や未成熟な子どもにたいする親の扶養についてが「生活保持義務」とされ、特に強調されているのである。そしてこの区別でいうと、高齢となった親の扶養がどちらの扶養義務に入るのか、ということについて中川氏自身は、兄弟姉妹間の生活扶助に比べればはるかに強く生活保持に近い、とは述べているものの、後者の「生活扶助義務」にあたるとしている。しかし、この問題はいまだはっきりとした結論は出ておらず、多くの議論が交わされている最中である。
 しかし、このような「扶養義務」についての議論は、その範囲と程度についてのものであって、扶養の内容としては主に「金銭的扶養」について語られている。この民法が定めている「扶養をする義務」のなかに「身体的介護」が含まれるかどうかについては、別に検討しなければならない問題である。民法の扶養義務の項目にあらわれた義務内容の変遷を概観してみる。
 明治以降、西洋を手本にした法典の編纂が進められ、民法の扶養義務についても、その編纂過程においてさまざまな議論が交わされ、修正も繰り返された。1980年に公布された「明治二三年民法」(=旧民法)のための「民法草案人事編」(=第一草案)においては、扶養義務者が「定期ニ金穀ヲ支給」するか「其家ニ引取リ養フ」かを任意に選択するものとされたが、その後の修正作業を経て、「旧民法」としては金銭的扶養か引取扶養かという選択の項目は削除され、扶養当事者が「相互ニ養料ヲ給スル義務ヲ負担ス」という、金銭的扶養を重視する規定がなされた。
 この「旧民法」の施行は家族法を権利義務の近代的法律関係として規定するのか、それとも家父長的な道義的関係として構成するのかという「法典論争」に持ち込まれ、延期されることとなる。そして、1893年から「旧民法」の修正作業がおこなわれ、1898年施行の「明治三一年民法」(=明治民法)においては「イエ」制度における戸主の家族員への責任が明確に規定された。そのなかで、戸主の扶養義務は「戸主ハ其家族ニ対シテ扶養ノ義務ヲ負フ」とされ、親族扶養が強調されることとなった。具体的には親族扶養における扶養の方法として、「扶養義務者ハ其選択ニ従ヒ扶養権利者ヲ引取リテ之ヲ養ヒ又ハ之ヲ引取ラスシテ生活ノ資料ヲ給付スルコトヲ要ス但正当ノ事由アルトキハ裁判所ハ扶養権利者ノ請求ニ因リ扶養ノ方法ヲ定ムルコトヲ得」とし、金銭的扶養のみの規定となっていた「旧民法」の規定を変更し、養料支給と引取扶養を扶養義務者の任意選択とした。つまり、「旧民法」との比較において「明治民法」では、相対的に引取扶養を重視する方向へ向かったということになる。
 戦後になり「イエ」制度が廃止され、それにともなって戸主の扶養義務の規定も消滅した。そして1948年に改正された「昭和二三年改正民法」では、「扶養の程度又は方法について、当事者間に協議が整わないとき、又は協議をすることができないときは、扶養権利者の需要、扶養義務者の資力その他の一切の事情を考慮して、家庭裁判所が、これを定める」として、扶養の方法や内容については明言を避けている。しかし、「明治民法」の規定にあった引取扶養の項目が削除されている現行民法下においては、その結果として、金銭的扶養が扶養の基本としてとらえられているとの解釈が可能である。
 そもそも、「引取扶養」は「扶養義務」の履行の一方法ではあるが、現行民法上、あくまでも金銭的扶養の代替的扶養方法としておこなわれるものである。したがって、経済的に要扶養状態にない高齢者がその生活の不自由を補うために、つまり家事援助や身体介護を受けようとするためだけに引取を請求することはできない*12。つまり、同居して高齢者の生活に必要な家事援助や身体介護をおこなうことが期待されるような引取扶養は、法律の範疇外とされ、当事者双方の話し合いに任せているというのが現状である。
 このような法律上の扶養義務の内容についての規定をみてみると、「高齢者の介護問題」つまり、金銭的扶養ではない身体的介護サービスの給付と家族との関係というものは、はっきりと規定されてはいない、ということがわかる。それだけに、今後ますます増加する高齢者の介護問題について、各方面からの議論が急がれるところである。
 では、実際にわれわれが高齢期の身体介護についてどのように考えているのかという意識を知る手掛かりとして、1985年に経済企画庁がおこなった、「もし、あなたが年をとってひとりになり体が不自由になったとき、あなたはだれに、どこで身の回りの世話をしてもらうつもりですか」という全国調査の結果を以下に示す。
 
(原文では調査結果掲載)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 この調査結果が如実に示しているように、「子が親の面倒をみるのは当たり前」と考える高齢者はいまだに多数存在する*13。しかし、その場合の「面倒」の内容が、この5,60年では変化しているということこそ、われわれ自身しっかりと認識する必要がある。今後、身体的介護サービスを金銭によって購入することの可能性や選択の幅が広がっていくなかで、金銭的扶養と身体的介護サービス給付とは別の次元として語られるべきなのではないだろうか。なかには、身体的介護サービス給付を扶養義務の内容のひとつとして法的に義務化しようという意見を持っている論者もいるが、強調されるべきは、高齢者個人が自分の納得がいく身体介護サービスを得ることができる体制の整備である。そこでは、家族によるもの、企業によるもの、公的なもの、ボランタリーなものなど、さまざまな選択肢が用意されることがまず必要である。そして、それぞれの介護サービスの供給側にとっても他の団体と柔軟な協力関係を保ちながら、高齢者にかかわってゆくことによって、自分たちの介護にかかわる固有の存在意義というものを確認することができるのではないだろうか。
 何年にもわたる高齢者の身体介護を家族の義務としておこなうという決定がなされた場合、実際に介護をおこなうのは誰か。現状を見ても明らかなように、そこに想定されているのは家庭内における女性の世話労働への固定化、という性別役割分業の強化に他ならない、もしこの時代に法律としてそのような方向を志向するならば、それに対するわれわれの答えは「家族制度」そのものの否定というかたちで出されるかもしれない。個人にとって家族とは何か、家族制度と家族集団との違いは何か、というまた別の問題がそこには控えている。現在の法律において、高齢者の身体的介護は家族がおこなうべきである、という規定は存在しない。公的介護保険を「家族による高齢者の介護を補完する」という程度の実りの少ないものにさせないためにも、まず第一に「家族による介護ありき」という前提は早急かつ徹底的に捨てられるべき観念ではないだろうか。
 
あとがき
 これまで見てきたように、「昔から高齢者、すなわち老親の世話は家族内部で処理されていた」というのは、まさしく「家族介護神話」とでもいうべきものであることが明らかになった。「同居」という家族形態ゆえ、高齢者は家族と共に暮らす自宅において、その死を迎えていたというのは事実かもしれないが、自立した生活が困難になってから死を迎えるまでのあいだに、手厚い「介護」期間が存在するようになったのは、きわめて最近のことである。その背景には、医療技術の向上や物資的豊かさの享受等にともなう平均寿命の伸びや、人間個人の尊厳に対する認識の高まりという近代的な思考がある。
 このように、高齢者そのものの存在意義や生活のあり方が変容した時代に、これまでの「家族」の枠組みのなかで、高齢者の存在を捉えようとするところに、そもそもの間違いは存在する。したがって現在の高齢者介護の問題を、「最近の若い人は親の面倒をみたがらなくなったから」とか「女性が家庭内の役割を果たさなくなったから」というような、家族の変容と結び付けて論じることは、まったく的外れであると言わざるを得ない。高齢者介護はきわめて現代の問題であり、この新しい社会の局面への対応は、家族という私的領域においてなされることなどではなく、社会全体のしくみそのものの変革をもってあたるべきことである。つまり、一家の稼ぎ手として男性が企業で働き賃金を得、家庭において主婦が愛情の名の元に家族員の世話をするというような、性別役割分業の上になりたつ企業中心社会そのもののあり方から考えなおさなければならない。そうしなければ、賃金を稼ぎ出さない高齢者自身の社会的立場の位置付けの難しさや、高齢者を介護する介護労働に携わる人材のジェンダーによる偏りは是正されない。すでに現時点において、高齢者の身体介護を実際におこなっているのは、所属する供給団体の違いはどうであれ、その大多数は配偶者から養われている女性、つまり生活費を稼ぎ出す必要のない主婦であることには変わりはない。このように、賃金労働をする男性たちの生活とかけ離れたところで、高齢者の身体介護が無償に近い安価な報酬とひきかえに、女性たちによっておこなわれていくようなしくみは、「日本型福祉」のそれとなんら変わりがないものである。そこにはたんに、家庭内で無理ならば今度は地域社会で、という「場所」の違いがあるだけなのだ。女性の地域活動の活発化を奨励しつつ、それを介護のマンパワーとして高齢者政策に取り込んでいく。このようなやり方を実施している多くの市町村では、慢性的な人手不足に悩んでおり、介護を受けることは高齢者の権利と言えるまでの水準には到底達していない。
 公的介護保険の実施にあたり、今早急におこなうべきことは、介護労働者が生活の自立を保証されるほどの、しっかりとしたマンパワーの供給体制の確立である。これができれば、介護労働の担い手のジェンダー格差は減少し、職業の選択肢として介護労働の位置が確立する。そしてこのとき、家族と高齢者の身体介護との関係が変化し、家族特有の高齢者とのかかわりに専念することができるのではないだろうか。家族とのかかわりは、年齢に関係なくわれわれに特別な何かを与えてくれる。それは、人間にとって友人が必要だったり、仕事が必要だったりするのと同様のことである。家族員が高齢者の身体介護という過重労働から解放されることで、今度は家族員にしかできない情緒的安らぎの供給や、家族集団とのつながりという、高齢者が生きてきた歴史的存在証明を高齢者にもたらすという可能性が広がる。そして家族員は、高齢者の身体介護をしていないということによって、「親不孝をして、高齢者を捨てたのだ」というような後ろめたさを感じ、高齢者の全生活から遠ざかることなく、家族だからこそできる高齢者とのつながりをより強固にすることが可能になる。このような体制が確立して初めて、安心して老いを迎え、かつ、暖かく高齢者とかかわってゆける社会が実現するのである。
 
 
 
【文献】
新井誠・佐藤隆夫編 1995『高齢社会の親子法』勁草書房
Durkheim,E. 1960, Le suicide, Presses Universitaires de France = 1980宮島喬訳『自殺論』世界の名著 58, 中央公論社
三浦文夫編 1996『図説 高齢者白書 1996』全国社会福祉協議会
三浦文夫編 1998『図説 高齢者白書 1998』全国社会福祉協議会
岡本祐三 1996『高齢者医療と福祉』岩波新書
山脇貞司 1997「高齢者介護と扶養法理」『高齢者介護と家族』信山社
柳田国男 1973『遠野物語』新潮文庫
 
 



*1 実際には「病人などを介抱し看護すること」とされている。このように『広辞苑』では、「介護」を「看護」とほぼ同義としている。
*2 筆者がかかわっている日野市のワーカーズコレクティブの例では、それぞれの利用料金は「介護」1.200円、「家事援助」1.000円(平日9:00〜17:00 1時間あたり)となっている。
*3 総務庁長官官房高齢社会対策室がおこなった調査項目からも推測されるが、「世話」というとき、主に対面的サービスをさすことが多くい。例えば「世話を受けるための費用はどうしますか」とか「どのような形で世話を受けることになると思いますか(同居の子どもによる世話を受ける/近くに住んでいる子どもが通ってくる)」など。
*4 ホームヘルプサービスの体系で言うならば、前述した「家事援助」的なものにあたると考えられる。
*5 この問題は「嫁」役割とか、金銭的「扶養」の問題と絡んでくる。介護と扶養の関係については、後程考察する。
*6 阪神・淡路大震災のため、兵庫県分は除かれている。
*7 これについては、(株)コムスンの榎本氏からお話を伺った。
*8 岡本祐三『高齢者医療と福祉』1996 岩波新書 pp.29-38
*9 デュルケムは『自殺論』において、「今日では、個人は、一種の尊厳を獲得し、自分自身よりも、また社会よりも優越したところにおかれるようになった(Durkheim[1897=1980:307])」と語り、もはや人間の人格が、個人によっても集団によっても意のままに処分することのできないものとなってきたと分析している。
*10 三浦文夫編『図説 高齢者白書 1996』1996 全国社会福祉協議会 p.46
*11 山脇貞司「高齢者介護と扶養法理」『高齢者介護と家族』1997 信山社pp.92-93
*12 山脇貞司「高齢者介護と扶養法理」『高齢者介護と家族』1997 信山社 p.99
*13 三浦文夫編『図説 高齢者白書 1998』1998 全国社会福祉協議会 p.150