第一章 近代的自己の創出 ―共依存的関係性の起源
 
 
T 「個体」概念の誕生 ―存在論的安定から価値論的安定へ
 共依存的関係性を考えるとき、そこにはみずからの存在の意義を他者に与えてもらわなくては、この世に存在することもおぼつかないような脆弱な存在としての人間像が浮かんでくる。それではなぜ、人間はみずからの存在の根拠をかくも見失ってしまったのだろうか。それ以前に、なぜ人間は生をまっとうしていくうえで、そもそもみずからの存在の意義を求めなくてはならないのだろうか。この章では共依存をそのような「自己とは何か」という問いのもとに現われる、いわば「自己現象*1」の問題としてとらえることにして、共依存的関係性を結ぶに至った人間の「自己現象」の変容の様子を探っていくことにする。
 自己現象の変容についてみていくうえで、まずは「個体」という概念そのものについて、歴史的に考察してみたい。いつの時代にも行動する個人や思考する個人が存在していたのは当然のことながら、とりたてて人間の個体性そのものが問題にされ始めたのは近代*2になってからのことであろう。社会史的にみてみると、人類が営んできた社会のパターンは、共同体を中心とした社会と共同体が解体した後の社会とに大きく二分することができるが、そのうち近代は共同体が解体した社会として特徴づけられる(今村[1995:360])。
 前近代社会において人間は、生活上の諸機能がそのなかで充足されるような、よくまとまった小さな集団のなかで暮らしており、その共同体内部での人間関係は全人格的な融合状態にあり、相互扶助が成り立っていた。つまりその共同体に帰属しているということが、すなわち共同体内部の固定した構造に組み込まれているということであり、そのかぎりにおいて、その個人はまずは「存在論的*3に肯定」されており、共同体に属する諸財の提供や受領を受けることができた。そこでは、共同体からの離脱が、彼らの存在の否定を意味するものの、彼らにとってはその「共同体」と「世界」は同等のものであるので、近代以前の社会における人間は、彼らがこの世に生きているかぎり、とりあえずは肯定されているという意味において、「存在論的に安定」していたのである(浅野[1992:75-81])。そのような社会においては、個人は帰属している共同体の一員として、つねに「何者かである being」状態にあり、個人という「個体性」を取り立てて問題にする必然性がなかったのである。
 しかし、生産技術や交通・通信手段の発展にともなう社会生活の範囲の拡大や、国家によるギルド・村落共同体・身分・宗教団体などの中間集団からの特権剥奪などが徹底されていくにつれて、それまで勢力を誇っていた共同体は次第に衰退し*4、細分化した生活上の諸機能はそれぞれ別個の集団によって担われていくことになる。このようにして、それまで全人格として個人を包みこんでいた共同体が解体していく近代社会においては、個人は最初から個々の原子化した「個人」として存在するしかない。原子化した人間は、それまで必然的に従ってきた特定の共同体から解き放たれると同時に、今度はみずからが「選択する主体」となって、自分の所属すべき集団を複数選びとり、みずからを帰属させていくようになる*5。こうして、近代になって共同体から切り離された諸個人は、みずからをもってすべてのことがらの出発点となり、同時にその存在の根拠をもみずからの手にゆだねられることになったのである。
 このような「近代的個人」の誕生にともなって、近代以前の社会においては共同体への帰属=存在という存在論的条件に基づいて制御されていた諸財の提供・受領が、近代社会においてはその個人に対価を支払う能力があるか否かという、個人の能力によって決定されることになった。つまり人びとは近代においてはもはや、「何者かである being」という存在論的な理由のみによってみずからの存在の安定感を得ることはできず、「…だから肯定する」というように、つねに「何かをしうる者である doing」がゆえにその存在を肯定されるような、「価値論的な安定*6」が必要となるのである。ここに価値論的安定を求め、みずからの価値を証明することに躍起にならざるをえない存在としての、近代的自己の原点を見ることができる*7
 
 
U 近代イデオロギーとしての自己意識   
1 近代的自己の自由と理性
 「個体」概念が誕生した近代社会においては、原子化した個人を再編することによって、社会を形成していくという新たな問題がもちあがることになる。この個人と社会との関係のあり方こそ、近代思想家たちにとっての最大のテーマであった。人びとがそれまで従ってきた共同体の慣習や宗教的権威を信じつづけることができなくなった時代に、近代社会はみずからの社会を正当化するために、「近代」というものを位置づけ、正当化するための思想、知識、哲学を必要としたのである。これはまさしく、自由・平等・友愛を旗印に闘ったナポレオンによるフランス革命*8を、ヘーゲルが啓蒙思想として語ることによって、ひとつの「近代」という時代の構図を生み出したという事実に象徴されていることであろう*9
 ヘーゲルは、フランス革命が歴史的な一段階であるという認識をもっており、その革命がめざしていた未曾有の「自由の政治的実現」の本質的な意味を哲学的に規定しようと試みた。この「自由」という観念こそが、ヘーゲルがその思想の基礎として考えたものであり、「わたしはわたしが自己を失わずにわたし自身であるときに自由である」という言葉に表わされているように、それはアリストテレスの示した「自己自身のために存在するのであって、けっして自己以外の他者のために存在するのではない人間は自由である」という古典的定義に立ち戻るものであった。(Ritter[1965=1966:28-30])
 この「自律した自己」という自由の観念はまた、「人間、一般に理性的存在は、単に手段としてではなく、それ自身が目的として存在する」というカントの思想を受け継ぐものともいえる。しかし、カントがその道徳論において、それぞれの個人が個別に抱くみずからの欲望のままに行動するのではなく、つねに自分の意志が普遍的なものであるかどうかについて問い、みずからを律するという「自律」にこそ、理性をもつ人間としての尊厳があるのだと主張し、自己の外側にある権威や命令に無批判に従うことからの自由を訴えたのに対して、ヘーゲルは、そのカントのいう理性をさらに推し進めたものとしての「良心」を想定したのである。この「良心」に従う人間は、「主観性」という個別的なものと、「客観性」という普遍的なものとの対立に悩むことはない。つまり「意志は、それが他の、外的な、無縁な何物をも欲せず、ただ自分自身を、意志を欲するかぎりにおいてのみ ― そうでなければ、それは依存的であるだろうから ― 自由である」、また「自由はまさに思惟そのものである。思惟を拒否して自由を口にするものは誰でも、自由が何を言っているかを知らないのである。思惟の自分自身との統一が自由であり、自由な意志である。 ― 意志は思惟する意志としてのみ自由である」(Taylor[1979=1981:147])というヘーゲルの言葉通り、人間の意志の観念そのものが自由と結びつけられることによって、「自由な意志をもつ人格」として、まさに「普遍的な理性」を与えられたのである。
 このようにヘーゲルは、近代的自己を排他的な個別的自己でも、外的規範の普遍性に同調する普遍的自己でもない、「個別性と普遍性の統一体」として把握することによって、真の意味での普遍的な理性をもった自己意識として描き出した。こうして啓蒙思想は、みずからの時代を対象として理解し、正当化しようとする「近代」自身の自己意識とでもいう近代イデオロギー*10を支えるものとして存在した。そして、「個人の尊厳を肯定する」という立場に立った啓蒙思想によって、さまざまなものを理性の対象に置き換え、理性に照らして理解し、変形し、理性にあわせて構成することができるという、強烈な理性の働きをもった近代的自己の自己意識が想定された。しかもそれは「人間が人間である」かぎりにおいて、普遍的なものであるとみなされるようになったのである。
 
 
2 近代的自己と社会秩序
 近代イデオロギーを支える啓蒙思想が、伝統的な権威の個人に対する拘束を否定し、個人的な自由を強調することによって用意された近代市民たちの自己意識は、当然、個々人が自分自身の利害をその行動の根拠とし、それぞれの利益を自由に求めることができるという、近代的な労働概念に結びついている。この近代的自己のもつ、「自分個人の利益を追求するために、自らの理性に従い、自由かつ合理的に活動する」という態度についてヘーゲルは、「個別者はまた普遍的な労働を己れの意識的な対象としても成就している。そこで全体は [個別者からなる] 全体として個別者の仕事であり事業となり、個別者はこの事業のために己れを犠牲にし、そうしてまさに犠牲にすることにおいて却って全体から己れ自身を受けもどしている(Hegel[1807=1979:355])」と説明する。すなわち、たんに個人としてみずからの利益のために労働をしているときでも、その労働は他の無数の人びとの経済的活動によって支えられて成立しているのであって、同時に、自分自身のために労働をしていても、それは同様に見知らぬ人びとのためになっているというのである。このような解釈を示すことによってヘーゲルは、近代社会においては、個人が労働によって自己実現を果たすことが、同時に社会の利益にもつながると主張する。
 この思考の背後には、近代的労働を担う個人がヘーゲル自身の描いた「個別性と普遍性の統一体」としての存在であるという重大な認識がある。またそれと同時に、近代的個人の自己意識の成立が、「私を承認する他者が、彼(彼女)に対する私の承認を通じて手に入れる彼(彼女)の同一性、そうした他者の同一性を媒介にしてはじめて可能である」という、自己意識自体のもつ他者との相互依存的な関係性の存在が前提となっている。つまりヘーゲルは、近代的労働が内包している矛盾である「私的な利益」と「公共の正義」との和解を、そもそも近代的自己がもっている「私」と「他」の同一性という構造によって図ろうとしているのである。では、「私的な利益」と「公共の正義」とのあいだの無矛盾性を主張したヘーゲルは、個人の自由と社会秩序についてはどのように考えていたのだろうか。
 
   この人倫的な実体もその普遍性だけを抽象すれば、ただ思惟
  せられた法則であるにすぎないけれども、しかし人倫的な実体
  は法則であると全く同時にすぐに現実の自己意識でもある、言
  いかえると、この実体は [すべての人々のしたがっている] 習
  俗なのである。反対に個別的な意識も「この」存在する一者で
  あるのは、自分が個別的でありながら、普遍的な意識が己れの
  存在であることを自覚しているときにかぎられることであり、
  自分の行為と定在とが普遍的な習俗にかなっているときにかぎ
  られたことである。(Hegel[1807=1979:353-354])
 
 ここでのヘーゲルの考えにそって個人と社会の関係を理解するならば、個人は社会の慣習や法則という規律に従って行動しているが、同時にそれらの規律は個々人にとっては「習慣」として内面化しているものである。それゆえに社会の規律は個人にとっては、強制的に従わされているといったような外在的なものではない。それはむしろ自分自身を構成しているもの、いわゆる個人的な特徴ともいえるようなものである。つまりヘーゲルは、社会秩序を内面化することによって認められ、達成される、個人の自由というものを思考しているのであり、そこからは当然、個人の自由と社会秩序のあいだの対立は回避されている。
 
 
3 管理装置としての近代イデオロギー
 これまで、近代イデオロギーの担い手としての啓蒙思想が提示した近代的自己像をヘーゲルを中心にみてきたが、そこにはみずからのもつ普遍的な理性に従って行動するがゆえに自由でありうる存在としての人間が描かれていた。そもそも啓蒙思想は、絶対権力による支配からの個人の解放をめざして、個人の自由の実現を訴えることによって、近代の方向性を示していた。しかしそこでめざしていた個人の自由を実現するために、「理性的な自己意識」をもつものとしての人間像を登場させることによって、実は個々人の存在の奥深くに社会的なるものを内面化させてしまっていたのである。それによって、個人による社会への「自発的な服従」という、いうならば「新たな権力構造」を用意してしまったと考えることができる。
 このような近代に特有の新たな権力構造について M.フーコーは、イギリスの功利主義哲学者の J.ベンサムによって合理的で効率的な監獄として考案されたパノプティコン(一望監視施設)*11で採用されている監視の技術が、まさに近代社会を存立せしめている権力構造の象徴であると指摘する。
 
   可視性の領域を押しつけられ、その事態を承知する者(つま
  り被拘留者)は、みずから権力による強制に責任を持ち、自発
  的にその強制を自分自身へ働かせる。しかもそこでは自分が同
  時に二役を演じる権力関係を自分に組込んで、自分がみずから
  の服従強制の本源になる。(Foucault[1975=1977:204-205])  
 
 つまり、近代イデオロギーがめざした個人と社会の関係を、構造的にとらえなおすならば、共同体に属するかぎりにおいてそこでの共通の信念や慣行への画一的な同調を強いたり、また特定の権力を有する者への服従を強いることによって、社会の秩序を維持しようとする古い社会統制の方法が有効性を失ってきたような社会においては、社会が個人を統制し全体の秩序を保つための手段として、個人の内部に道徳的義務(良心と同義)を植えつけ、その良心にしたがって「自主的に」社会の諸規範に同調するように促す、という方法は有効なのである。ゆえに人びとは近代イデオロギーを担う啓蒙思想によって与えられた、個人の理性の価値を受け入れれば受け入れるほど、みずからの理性に対する尊重から、自己の行動を統制する内面的な義務を感じるようになる。こうして「理性的な近代的個人」は、社会の諸規範により深いレベルで同調していくのである。
 この時点で、近代のイデオロギーはそれまで個人の外部にあった管理装置を、個々人の内部に埋めこむことに成功している。つまり、個々人の内部に入りこんだ管理装置は、個人に気づかれることなく、内部から個人の行動を統制していく。このように近代社会は、個人にそれぞれの自由を追求させながら、みずからの秩序をも維持していくことを可能にしており、フーコーがパノプティコンの監視システムをその象徴的な例として指摘しようとしたのも、まさにこうした構造についてなのである。
 
 
V 自己現象としての人格崇拝
1 近代社会におけるアノミーの増大
 これまでみてきたのは、近代以前まで共同体に属することでその存在が肯定され、存在論的に安定していた人間が、近代化とともに共同体が解体していくなかで「個体」として、つまりすべての出発点である主体として存在するようになったということ。また、そのような個人主体の社会における自由を実現しようとした啓蒙思想によって、個人の内部に普遍的な理性をもった自己意識が与えられ、近代イデオロギーに導かれた近代社会と近代的自己が誕生してきたという流れであった。では次に、そのような近代化という社会の変動のなかにありながら、19世紀後半から20世紀前半にかけて近代社会そのものとそこに生きる人間のあり方について思考した E.デュルケムについてみていきたい。
 デュルケムは近代化の進む19世紀末の西欧社会において、その社会構造の変化を「社会的分業の発達」という視点でとらえている。デュルケムによって「機械的連帯から有機的連帯へ」と称された、近代化にともなう社会的連帯の形態の変容とは、社会の構成員が個体性をもたず、没個性的に全体として活動することによって成り立っているような、分業のない機械的な連帯から、構成員がそれぞれの個体性に目覚め、異質な諸個人として各々の特定能力を活かすような職能の分担、すなわち分業を行なうことによって、全体がより活動的になることを可能にする有機的な連帯への移行であった。この有機的連帯についてデュルケムは、社会と諸個人の関係を高等動物とその身体の各器官との関係に見て取った。つまり「各器官には、その専門的な特徴、その自律性があるけれども、有機体としての統一性は、この部分の個性化がいちじるしくなるほど、大きくなる(Durkheim[1893=1971:129])」として、有機的連帯が実現した近代社会の「正常な」状態においては、個人がその個体性を発揮して自律的に活動すればするほど、全体もより活性化され、発展していくのだという見方を示したのである。その考えに従えば、近代は「各人がその真価を発揮しうる場をもち、その真価にみあった報酬を受け、したがってすべての人が全体と各人の善のために自発的に協力しあうような社会(Durkheim[1893=1971:390])」となるはずであった。
 しかし、現実としてデュルケムの生きた近代社会に蔓延していたのは、急激な資本主義的産業化の結果としての「異常な anormal」分業、つまり「無規制的分業 division du travail anomique」という憂慮すべき状況であった*12。デュルケムはその状況を分析し、事態を克服すべく次のように述べている。
 
   われわれの社会構造のうちには、深刻な変動が生じている。
  それもごく短日時のうちにである。(中略)伝統はその支配力
  を失い、個人的判断力は集団的判断力から解放されてきた。だ
  が、他方、この動乱の過程でバラバラになった機能は、相互に
  調整しあうゆとりもなく、突如としてあらわれた新しい生活は、
  完全に組織化されるまでにいたっていない。(中略)必要なこ
  とは、この無規制状態をとめることであり、またバラバラのま
  まの動きのなかでぶつかりあっているあの諸器官を調和的に協
  同させる手段を発見すること[である]。
  (Durkheim[1893=1971:391] [] 引用者挿入)
 
 デュルケムがあくまでも「異常」な状態としてみていた「連帯を生じない分業」は、「諸器官の関係が規制されていないからであり、それらの関係が、まさしくアノミー(anomie 無規制)の状態(Durkheim[1893=1971:355])」であることから生じるものであった。デュルケムはこの異常なアノミーの状態を正常に戻すために、諸器官を調和的に協同させる手段として、諸器官の諸関係のなかにより多くの正義を導入すること、つまり新しい道徳が必要であると考えたのである。
 またここでの指摘から、急速な社会変動によってそれまでの伝統的な規制から解き放たれた諸個人が、規制のない、アノミー状態のなかで不安と苦悩を抱えている様子をうかがうことができる。デュルケムはこのアノミー概念を、人間の自我の統合の危機にかかわる「欲求の充足」という視点において発展させ、その『自殺論』において、資本主義的産業化がもたらした個人の欲望の解放について以下のように論じている。前近代社会においては人間の欲望を抑制するような、宗教的、階級的な道徳意識があって、「この圧力のもとでは、各個人は、自分の生活領域のうちにあって、自分自身の欲望のおよびうる限界点をそれとなく感じとり、それ以上の欲望をいだかないもの(Durkheim[1897=1968:207])」として存在していた。けれども、近代社会の発展と共に「存在論的 being」安定ではなく「価値論的 doing」安定を必要とするようになった、主体として根源的な存在としての近代的個人は、「もはやそれまでのような(与えられた地位への)忍従に甘んじていることはできない。また、そのことへの反動として、その階級の巨大な富をまのあたりにした周囲の者、あるいは下位の階級の者は、ありとあらゆる羨望をそそられる。このように、欲望は、方向を見失った世論によってはもはや規制されないので、とどまるべき限界のどこにあるかを知らない(Durkheim[1897=1980:211])」のである。つまり、近代化によって伝統的な諸規範から解き放たれた諸個人は、その欲求もまた自己を起源とする利己的なものとなり、その解放された欲求は資本主義的産業化の波によって不断に刺激されつづけ、際限なく拡大していく。
 このようなアノミー状態が、個人の欲求充足のレベルにまで拡大してきている現実の社会状況を認識したデュルケムは、フランス革命の基本理念であり、人びとが獲得していった「個人の自由」を歴史の必然として賞賛しながらも、同時に、急速な資本主義的産業化の動きと伝統的な諸規範の低下によって、憂慮すべき異常な状態に人びとが陥っているという問題点を指摘したのである。さらに、デュルケムはそのアノミー状態からの回復をめざすのだが、そのときけっして個人の自由と自律性を前近代的な外在的な規制によって拘束する、という手段によって解決しようとはしなかった。あくまでも個人の自由と自律性を尊重するという立場に立ったデュルケムが導き出したのは、アノミーの危機にさらされている近代的自己に必要な「新しい道徳」であった。この「新しい道徳」とは何か、1898年の「個人主義と知識人」という論文を中心にみていくことにする。
 
 
2 個人主義という宗教
 デュルケムは「新しい道徳」を摸索するなかで、近代的個人の根源でもある「自己の尊厳」という意識が、今後も拡大の一途をたどるであろうと考えた。そして、そのような意識に支えられて誕生した近代の諸個人が、今後とも共通して所有しうるもののなかにその答えを探そうとしたのである。
 
   個人の多様化の傾向は余り強く抑制されず、より自由に発生
  し増大する。すなわち各人は一層自らの意見に従うようになる
  わけである。同時に、より発展した分業の結果、各人は地平の
  様々な方向に目を向け、世界の様々な側面を反映し、したがっ
  て意識内容は主体によって異なるようになる。(中略)そこで
  は、同一社会集団の諸成員は、彼らの人間性、つまり人格
  (personne humanine)一般を構成している諸属性の他には共通
  のものはもはや何も持たないであろう。
  (Durkheim[1970=1988:214])
 
 近代化にともなう、機械的連帯から有機的連帯へという変化に従って、それまで共通の感情と信仰によって培われていた共通の諸価値が、しだいにそれぞれの個人を起源とする諸価値に取って替わられていく。すなわち、より発展した分業の結果として、もはや人間の意識内容はそれぞれの主体によって異なり、職業集団などの同一の社会集団に属する諸成員も、彼らの人間性の他には共通のものは何ももたなくなるだろうと考えられるのである。そのような近代社会において「人格」という観念こそが、「個々の特殊な意見の変化しやすい流れを超越し、確固として非個人的に持続している唯一のもの(Durkheim[1970=1988:214])」としてその姿を現わしてくることになる。
 ここでもデュルケムはけっして近代化にともなう個人性の尊重を基礎にした人間の個人化の傾向を否定的に評価してはいない。それどころか「個人主義は単に無政府主義でないのみならず、今後はわが国の道徳的統一を確立しうる唯一の信条体系である(Durkheim[1970=1988:213])」として、「新しい道徳」の可能性を人間が共通にもつ「人格」を崇拝する個人主義という信条体系、つまり個人主義という新しい宗教に求めたのである。デュルケムはいう、近代社会において「唯一可能な宗教は、個人主義的道徳をその合理的表現とするような人間性の宗教であると確かに信ぜざるをえない(Durkheim[1970=1988:214])」と。
 デュルケムは宗教生活の原初形態の分析という研究を通して、宗教を宗教たらしめている究極の概念のひとつとして「聖なるもの」を挙げているが、それでは近代に唯一可能な宗教としてデュルケムが見出した、この個人主義という新しい宗教において、「聖なるもの」はどこに読み取ることができるのだろうか。
 
   もし、個人に宗教的尊厳を受ける権利があるなら、それは彼
  が自らのうちに人間性という何かを持っているからである。尊
  敬すべきでありかつ聖的であるのは人間性である。(中略)個
  人が同時に対象であり主体でもある崇拝は、個人という、また
  個人という名前を帯びている個々の存在にではなく、人格  
  (personne humaine)―どんな形態で具現しようが、そこに人
  間性が現れている―に向けられている。
  (Durkheim[1970=1988:211-212])
 
 デュルケムは神の時代の終わりを感じながら、人類が「神」の代わりに共通して敬い、崇拝することのできる対象として、人間「個人」にその可能性を見て取った。そしてこの個人主義という近代の宗教において、「人格」という「聖なるもの」を有するがゆえに、「人間は人間にとっての神」となったのである。ここで重要なのは、デュルケムが主張する個人の聖性はあくまでも「人格」にあるのであって、たとえば生来的に「理性」という普遍的な性能をもったものとして個人の聖性を尊重するのでも、他者との差異によってとらえられるような個人のもつ「個性」によってその聖性を尊重するのでもない*13というところである。
 その点について、紀葉子はデュルケムの「聖なるもの」についての分析をもとに、次のように述べている。「デュルケムは人の『聖性』を生物学的な根拠に求めない。ヒトにすぎない人には『聖性』はみいだされないのである。ヒトは社会化されて、つまり、集合表象を体得することによってはじめて『聖なる』人となるのである。個人の『聖性』はその『社会』にのみその起源が求められるのだから(紀[1988:127])」。つまり、デュルケムが近代市民にとっての「新しい道徳」となる可能性を求めて想定した、近代社会における「宗教としての個人主義」とは、社会化された個人であるところの「聖なる個人」に対する人格崇拝なのである。「我ではなく個人一般の賛美なのである(Durkheim[1970=1988:212])」とデュルケムがいうこの個人主義は、あくまでも社会と個人のつながりによってのみ実現されうるものであって、それゆえ利己的な欲望や利害のままに行動するという功利主義的個人主義とはまったく立場を異にするものである。
 もともとデュルケムが尊重しようとした個人の自律性と自由とは、けっして個人が原子的な存在として、あらゆる規制やつながりから切り離されることによって成立するものではない。むしろ、有機的連帯の可能性として想定されていたような、新たな連帯の実現によって可能となるようなものである。したがってデュルケムが主張する「人格崇拝」という新たな道徳によって結ばれた近代の諸個人たちにとって、「個人の自律性」と「社会との道徳的つながり」とのあいだには何ら矛盾は存在しない。
 また、さらに指摘しておくならば、デュルケムは「市民道徳」という講義において、個人の諸権利が個人の本性そのものに由来すると考えているスペンサーやカントの理論を、人為的な単純化の所産であると批判したうえで、次のように述べている。
 
   個人の権利の基礎にあるのは、あるがままの個人についての
  観念ではなく、社会がそれを実際化し、それを理解する仕方、
  社会がそれに下す評価なのである。重要なのは、個人が何であ
  るかということではなく、個人が何に価するかということ、ま
  た逆にかれが何であらねばならないかということである。かれ
  があるいは多くの、あるいは少ない権利をもち、またあれやこ
  れやの権利をもちながら他の権利をもたない理由は、個人がそ
  のようにつくられているからではなく、個人に社会がかくかく
  しかじかの価値を与え、個人にかかわることにあるいは高い、
  あるいは低い評価を下すからである。(Durkheim[1950=1974:103])
 
 こうして、デュルケムが指摘した近代における個人主義という宗教において、人間が崇拝されうる「聖なる個人」であるための装置としての、「社会の承認体系」と「個人の承認欲求」という両方の姿が見えてくるのである。
 
 
W 承認体系としての社会
1 儀礼という相互行為秩序
 デュルケムの理論を受け継ぎ、20世紀の現代市民社会において展開した E.ゴフマンは、現代における自己は「適切な儀礼的配慮をもって扱わねばならず、また、他人に対し適切な姿で示さねばならない神聖な存在である(Goffman[1967=1987:88])」として、次のように述べている。
 
   たぶん人は、すぐれて神性をもつものであるゆえに、自分が
  遇される形の儀礼的な意味を実際に理解することができ、自分
  に提供された物に対してみずから劇的に応答することができる
  のである。そのような神性のあいだの接触においては、仲介者
  の必要はまったくない。これらの神々はそれぞれ、みずから神
  官(祭司)の役割をつとめることができるのである。
  (Goffman[1967=1987:93])
 
 このようにゴフマンは、現代社会において個人の一人一人が、「儀礼的態度」をもってお互いに「敬い合う」という社会的場面において、デュルケムの指摘した「個人主義という宗教における人格崇拝」の現代社会での実践を見て取った*14。それは、人格崇拝という共同信仰によって保たれている現代社会における社会秩序は、個人が互いに払い合う「儀礼的態度」によって支えられているという社会の仕組みであった。では以下において、現代社会秩序を支えている「儀礼 ritual」とはどのようなものかをみていくことによって、承認の体系としての社会がどのように成立し、また個人の承認欲求がいかにして生じているのかを明らかにしたい。
 ゴフマンは『儀礼としての相互行為』のなかで、儀礼の基本的成分を大きく二つに分類している。それは「敬意 deference」と「品行 demeanor」である。「敬意」は相手の聖性を侵さないように一定の距離を保って接するという「回避 avoidance」儀礼と、積極的に相手への関心を示すことによって相手に対する承認の保証をするという「呈示*15 presentational」儀礼という対照的な行為によって実現される。また「品行」は自分が他者によって「敬意」を払われるに値する人間であるということを示す行為である。つまり「敬意」と「品行」の関係の裏には、「一般に、人は自分で自分に敬意を与えることは許されず、他人にそれを求めなければならない(Goffman[1967=1987:52])」という前提のうえに、他者に敬意を与えることを迂回した自己に対する敬意の獲得という構図が存在する。これはお互いの人格についての聖性を認め、互いにそれを承認し合うことによって、社会秩序が保たれていくという意味において、「承認の体系としての社会」の存在を証明するものである。
 現代社会において、他者によって承認してもらいたいという承認の欲求は、そのまま「聖なる」人格を有する自分についての確認の欲求である。人びとはお互いが相手の神聖を崇め合う司祭でありつづけることによってのみ、秩序ある世界に安らぐことができている。ゴフマンはいう。
 
   それ(敬意:引用者)を他人から求めるために、人は、自分
  に敬意を払ってくれる人々を捜し出す必要があることを知り、
  そして社会のほうは、そのおかげで、成員が相互作用と関係に
  入っていく一つの保証を得るのである。もし人が自分の手でみ
  ずから望む敬意を与えることができたとしたら、その社会は、
  みずからの殿堂のなかで、それぞれに限りなく祈り続けている
  ような、孤独な信仰的な人々のみが住んでいる無数の島々に分
  解してしまうだろう。(Goffman[1967=1987:52])
 
 
2 二つの自己 ―仮面の創出
 しかし、「承認された属性と、その属性の面子*16に対する関係とが、すべての人々をみずからの牢番にする(Goffman[1967=1987:6])」という表現からもうかがえるように、ゴフマンが描き出した現代社会に生きる「聖なる」人びとは、他者たちと直接かかわる対面的相互行為の場面において、他者の聖性を崇め、同時にみずからの聖性を証明するために「儀礼」にのっとって行為している。またそうしながらも、ふとした拍子に「あまりにも人間臭い自己 all-too-human self(Goffman[1959=1974:64])」を他者たちの面前に露呈してしまわないようにと、つねに自分の態度に気を配り、その場にふさわしい行動をするように心掛けるというような、きわめて状況依存的に振る舞っている姿として浮かんでくるのである。
 社会生活の場面が多様化した現代という時代においては、みずからがその場に適切な存在であるということを周囲に認めてもらうことによって、初めてその場での社会的存在性を証明される。したがって、このような状況依存的な人間は、周囲に承認してもらうことを目的とした、その場にふさわしい自己像を用意し、その自己像を他者に向けて呈示するという行為によって、呈示的自己すなわち「役柄 character」と、演ずる自己すなわち「パフォーマー performer」という二つの自己を経験しているといえるのではないだろうか*17
 
   あるパフォーマンスがリアリティについて人に抱かせた印象
  は、ごくささいな不運な出来事でこなごなになりかねない繊細
  な壊れ物なのである。(中略)人間としてわれわれは刻々変化
  する気分とエネルギーをもつ変化しやすい衝動の被造物である。
  しかしオーディエンスを前にして役柄を演ずる者としてはわれ
  われは気分の動きに左右されてはならないのである。
  (Goffman[1959=1974:64])
 
 つまり、人格崇拝において聖性を付与されたのは「社会化された自己」、すなわち「役柄」としての自己であり、それを他者たちと儀礼的な態度でもって崇め合うことによって成立している社会的状況においてのみ、われわれは現実味を帯びた個人として存在しうる。それはあたかも、舞台のうえで振る舞う仮面をかけた演技者は、静物としての仮面そのものでも、また生活者としての役者その人でもなく、仮面の人物としてしか存在しえないように、必然的に二つの自己でありながら、一つの状況的自己として存在するようなものである。近代以降の個人主義化の流れのなかで、互いが互いの聖性を崇め合うことによってのみ維持されているような社会秩序のもとで人間が生きていくとき、「人は、そのすべてが独自の自己であることは真実であるが、その一方で、それを所有しているという証拠は、それが完全に共同の儀式的営為の産物だから(Goffman[1967=1986:82])」なのである。それゆえ他者たちと崇め合う「聖なるもの」である「面子」という呈示的自己が現われた社会において、人びとは「仮面(外的自己)*18」と「演技者(内的自己)」という自己の分離を経験することになった*19。このように状況的自己として存在する個人は、その存在の契機においてすでに「仮面」を携えており、近代的自己は「仮面をかけた演技者」という二重構造的存在として、社会的状況のなかに登場するのである。
 
 
3 聖なる個人の自律性
 こうしてみてくると、儀礼を遵守し、状況に応じた振る舞いをするようにつねに気を配り、面子を保ちつづけていくことでかろうじてその聖性を保持しているという、現代社会を生きる状況依存的な「聖なる」個人には、近代において人びとが勝ち取ったあのたくましい「自律性」がまったく欠落してしまっているかのようである。それはまるで、20世紀の現代において人びとがみずからを律するのは、社会の側からの要請に忠実であることによってのみ実現されているかのようでもある。それでは、近代以降個人主義を支えてきた「自律という神話」はどのように形を変えて、この現代社会の聖なる個人のなかに宿っているのだろうか。桐田克利は現代社会の状況依存的な自己における自律の問題を次のように分析している。
 
   対人的状況における個人は、少なくとも日常生活の自明な状
  況において、他者との合意のなかでみずからの位置を確保せざ
  るをえない。そのため、彼は他者に評価されることとみずから
  を評価できることの両方を調和させるように試みなければなら
  ない。普通、彼は、行為を自己決定し、それを維持することに
  みずからの評価を置き、自己決定された行為を承認されること
  に他者による評価を求める傾向がある。
  (桐田[1984:70] 下線:引用者)
 
 つまり現代に生きるわれわれは、対面的相互行為の場面においてみずからの聖性を守るために、儀礼というルールに従いながら、他者からの評価を得られるような行為をみずから選択し、行為し、それによって獲得した他者からの評価を維持しようとする。そして、そのような一連の行為をみずからの意志において決定しているという認識のうちに、自己の自律性を見出しているのである。しかしここで重要なのは、このような個人の自律性を考えるとき、それはあくまでも「他者による承認」の獲得が前提とされているという点である。この前提によって「他者に方向づけられた個人の自律性」という、「承認の体系」に組み込まれた形での自己の自律性が実現されている。このような状況的な存在としての聖なる個人の自律性について、ゴフマンは次のように形容している。
 
   むしろ人は、自分の絵を完成させるには他人に頼らねばなら
  ず、彼自身はそのほんの一部を描くことが許されているにすぎ
  ないのである。(Goffman[1967=1986:81])
 
 以上のように、近代になって「個体」という概念が生まれてから、個人が社会とのつながりを保っていくうえで、どのような自己意識を与えられ、またどのような自己構造をもつようになってきたのかをみてきた。そして個々として存在し、みずからをもってすべての出発点となった近代的個人にとっての、自己の尊重と社会秩序との両立を可能にする個人主義という宗教が、デュルケームからゴフマンへと引き継がれ、現代社会において展開される様子を考察した。その試みを通じて、互いが互いの聖性を崇め合う人格崇拝によって可能になっている社会秩序の仕組み、すなわち「承認体系としての社会」の存在が明らかになったのである。
 では次章においては、「仮面」の創出によって、自己の分離を経験した個人が、今度は演じる主体としての自己と仮面との関係をどのようにとりながら、全体としてひとつの「自分」としてあるのか、という自己現象についてさらに詳しく考えていくことにする。またそうすることによって、現代における自己現象としての「共依存」の仕組みをより明らかにできると考えている。



*1 本論文においての「自己現象」とは、「自己とは何か」という問いのもとに現われてくる「自己において見出されるもの、自己としてあらわれてくるもの、自己が自己に対して成し得るところのこと(上田[1992:34)」とする。
 
*2 「近代」という概念自体は欧米で生まれたものであり、ブルジョア革命によって生まれた「市民社会」と、それが産業革命を経て転成された「資本主義社会」とからなるが、一般的には封建社会から資本主義社会への移行の過程を指して「近代化」という。本論文においての「近代」概念もそのような近代化過程の概念とほぼ同義のものとする。
 
*3 ここでの「存在論的」とは伝統的哲学における「存在論的」という意味では用いておらず、R.D.レインが、自己の存在に関する不安という意味を表わすために使用した「存在論的不安定 ontological insecurity」という、「存在」に対する形容詞として使ったものと同義である。(Laing[1960=1971:48])
 
*4 作田啓一が、西欧における急速な共同体の衰退の過程を宗教・経済・政治の三領域について指摘している部分を以下にまとめる。(作田[1981:84-94])
 
 宗教:16世紀のプロテスタンティズムの台頭によって、それまで神への唯一の通路であった教会が、その権威を失墜した。ルターやカルヴァンは宗教の本質を個人の信仰のなかにのみ見出し、信仰の深さは外面的なものによって評価されるのではなく、神のみが評価しうるものだとした。このような宗教改革によって、宗教の共同体的な側面に代わって、神に対する個人の直接的関係性が強調されていった。
 
 経済:近代資本主義の発展の過程において、共同体的な協働や相互扶助の精神が減退してゆき、ますます多くの個人が共同体の枠からはずれ、個人的な利潤を求めて自由市場に進出していった。こうして資本主義はそれまで集団に属する者が共通してもっていた伝統的な道徳の拘束を弱め、極めて個人的な目標を活動の原動力とする人びとを、エネルギーの一単位として市場に巻き込んでいった。
 
 政治:国家の軍事力を背景とする単一の法体系が、ギルド・教会・封建領主領のそれぞれがもっていた互いに矛盾し合う諸法に取って代わり、国家は貨幣や度量衡のシステムも標準化した。さらに、国家はギルドや教会の枠外で活動しようとする新興の実業家層に対して援助と保護を与えるなどして、実業家たちが個人として市場に参入するのを助け、さまざまな特権をもった中間集団を打ち砕いていった。これらのすべてが資本主義の勃興にとって強力な刺激となったことは確かである。
 
*5 注意が必要なのは、このように記述される「選択の主体」としての「近代的個人」という概念には、フェミニズム視点が欠けているということである。この点については詳しく三章にて論述するので、ここでは上野千鶴子の文章を引用するにとどめる。近代産業社会の「市場は『自由な個人』をプレイヤーとして成り立つゲームのはずだったのに、この『個人』は、実は単婚家族の代理人=家長労働者だった。『自由な個人』を登場させるために、市場は伝統的な共同体に敵対し、これを産業化の過程で解体していったが、共同体が折出したのは『自由な個人』ではなくその実『自由な・孤立した単婚家族』だった。(上野[1990:180-181])」
 
*6 浅野智彦は「価値論的肯定」を「関係当事者が正価値(を帯びた性能・物財など)を帰属させているがゆえに肯定される(「…だから肯定する」)というような場合である」と説明している。(浅野[1992:75])
 
*7 浅野は「存在論的不安を価値論的コードに準拠して問題化し、価値を証明することでその苦痛から逃れようとする一連の企て」を「自尊心のゲーム」として、近代社会の原ゲームから派生する二次的なゲームであると指摘している。(浅野[1992:81])
 
*8 国王と貴族による伝統的な権威が、人民主権によって取って替わられるべきだとし、人民主義とナショナリズム、法の下の平等、自由と私有財産の擁護を訴えたフランス革命について、R.Palmerは以下のように記述している。
 
 (フランス革命は)財産の性質および定義さえも変えた。それは、…
 教会・軍隊・教育・制度・公的救済制度・法律制度・市場経済・使用
 者と使用人の関係を変えた。それは、新しい決定的な価値、新しい地
 位の抗争、新しい水準の期待を導入した。それは、共同社会の本質、
 共同社会における個人の構成員である意識の本質、仲間の市民や仲間
 の人びとに対する関係についての個人の意識の本質を変えた。それは、
 歴史にたいする感じ、あるいは、歴史において、また世界において、
 何が起こりうるか、何が起こるべきか、についての観念さえも変えた
 のである。(Hearn[1985=1991:44-45])
 
*9 ヘーゲルは、シェリング宛の書簡のなかでフランス革命と哲学とのかかわりについて次のように述べている。
 
  この革命には哲学もその一助とならねばならない、「時代の標」と
 して、哲学は、「圧制者でありこの世の神々であるものの頭上に輝く
 光輪は、その光を失い地に堕ちる」ということの「証」とならねばな
 らない、いま哲学がなさねばならないことは、大衆が、「踏みにじら
 れ辱しめられた自分たちの権利を要求するのではなく、この権利を自
 ら再び取り戻し―獲得する」ように、彼ら自身の「人格の尊厳」を大
 衆に示してやることなのである。(Ritter[1956=1966:22])
 
*10 佐伯啓思はヘーゲルによって最もまとまった形をとることになった近代イデオロギーを、1)近代そのものの歴史的な自己意識 2)理性と進歩に対する信奉 3)近代の普遍性の意識 の3つによって特徴づけられるものだとした。また、近代と啓蒙思想の関係を、ナポレオンとヘーゲルの関係に等しいものとして、啓蒙思想家を近代の哲学的代弁者、すなわち「近代イデオロギーの担い手」として位置づけている。(佐伯[1995:151-154])
 
*11 その構造は、中央に置かれた円柱形の監視塔のなかの監視室から、その周囲に環状に配されたすべての独房の内部が見渡せるが、独房からは監視室の内部は見えないようになっている。つまりパノプティコンは、監督者の非可視性ゆえに、監視と服従という権力関係を被収容者自身の内部に組み込み、被収容者が自分で自分を監督するように仕向けることに成功しているという、極めて合理的・効率的な監視システムなのである。
 
*12 この点に関して、デュルケムは『社会分業論』(1893=1971)のなかの第三編「異常形態」にて詳しく語っている。
 
*13 デュルケムはこの点について次のような見解を示している。「我々は生来、あらゆる個人的な動機から解放されて自分自身の行動に抽象的に法を課すような賢明かつ純粋な理性を持ち合わせていない」また「もし個人の尊厳がその個々の特性に由来するものであるなら、その尊厳は、あらゆる連帯を不可能にする一種の道徳的利己主義に個人を閉じこめてしまうのではないかという心配があるかもしれない」(Durkheim[1970=1988:211])
 
*14 ゴフマンは自分が分析対象としている社会について、その著書のなかで、「アングロ―アメリカ社会では」とか「われわれの社会では」、また「アメリカの中流階層では」という限定的表現をたびたび使用し、みずからの理論の過剰な一般化を避けようとしている。しかしそれは、相互行為研究の実験室的手法に対する批判から、ゴフマン自身が非体系的―自然主義的観察法を採用しており、実際の日常生活において相互作用している人びとの眼の高さをその視点としていた、という方法論の点からも押さえておく必要があるだろう。
 
*15 『儀礼としての相互行為』のなかでは、presentational ritual の presentational の訳語として「提示」の文字が充てられているが、ゴフマンの著作の訳としては「呈示」という文字を充てるのが一般的であるため、本論文では「呈示」として記述した。
 
*16 ゴフマンは「面子 face」を「承認された社会的属性という形で描かれた自己のイメージ」と定義している。(Goffman[1967=1986:1-2])
 
*17 ゴフマンは「自己の構造」について、自己の呈示というパフォーマンスをわれわれがどのように整えるかという観点から分析し、その人の精神・力・その他のいろいろなすぐれた属性がその役柄のパフォーマンスによって喚起されるように設計されている、典型的には優れた性質の登場人物 figure である「役柄としての自己」と、パフォーマンスを演出するというあまりに人間臭い仕事にまき込まれた、印象を苦労してつくる者 harried fabricator of impression である「パフォーマーとしての自己」という二つの基礎部分によって構成されていると指摘している。(Goffman[1959=1974:297])
 
*18 ここでの「仮面」という用語は、ゴフマンが「面子」「役柄」「イメージとしての自己」「役割」というような用語によって表わそうとした、「相互行為場面において現われる、他者に向かって呈示される状況的自己の面」という広い意味で使用しており、それは R.E.パークが「この仮面がわれわれが自己自身にてついてつくり上げた概念 ― すなわちわれわれがその要求に応えようとしている役割 ― を表わしているかぎりで、この仮面はわれわれの真の自己、すなわちわれわれが現実化しようとしている自己、なのである(Goffman[1959=1974:297])」というところの「仮面」概念と同義のものとする。
 
*19 また、ここでの区別に近いものとしてゴフマンは、互いの聖性を崇め合う「儀礼ゲーム」としての相互行為場面における、その参加者の自己の分離構造について、「イメージとしての自己」と「プレイヤーとしての自己」という区別も行なっている。(Goffman[1967=1986:26-28])